2年ほど前のこと、ある研究会の帰りに私はギリシャ史をご専攻になっている若手の先生と新幹線でご一緒になり、話をお聞きしているうちに驚くようなことを聞いた。それは、

「現在の日本は民主主義ではない」

ということだった。

 

 「民主主義」とは「民」が「主」、つまり国民が主人だということらしい。ここで「らしい」と書いたのは、もちろん日本は民主主義といわれるが、現実には怪しいからだ。

 

 たとえば「お上」「天下り」などの言葉が残っているように「公僕」であるはずの官僚の方が主人であるはずの国民より、どうも上のような用語がまだ日本に残っていて、マスメディアも平気でつかう。

 

 その若手の先生のお話になるには、「国民が主人であるためには、まず「重要な情報」が国民に最初に届かなければならない」と言われる。これもおっしゃる通りである。「もし、重要な情報が国民に届かなければ選挙をやっても意味がない」とも付け加えられた。

 

 これもごもっとも。重要な情報が隠されていて選挙をやっても判断する材料自身がいい加減なのだからどうにもならない。

 

 そこで、私は専門の一つである環境分野で、国民に重要な情報が届いているかをチェックしてみたところ、リサイクル率は公表されないし、温暖化では間違いが横行し、ダイオキシンも猛毒という間違った情報が一向に修正されない。

 

 なぜ、国民にこれほど協力を呼びかけている環境ですら、正しい情報が行き渡らないのだろうと考えてみると、そこには根深い日本の病根が見えた。私の今回の本が多くの方に支持されたのは、現代の日本で民主主義との乖離を感じておられるからだろう。

 

 ところで、91日の防災の日の朝、訓練で鳴っているサイレンの音を聞きながら、私はまた民主主義を思い出した。

 

 今から30年も前のことだろう。明日にも東海地震が起こるという報道が続き、東京から名古屋に至る地方では毎日のようにビリビリしながら生活をしたものである。訓練はもちろんのこと、夜、寝るときには枕元に地震が襲ってきたときにでも間に合うように食物や飲み物を用意した。

 

 それから30年・・・いったい、あれは何だったのだろう?と思う。日本人は人が良いし性格も前向きなので、「地震が来なかったのだから良いじゃないか」「毎日、大変だったが、良い経験になったよ」と寛容である。

 

 でも「東海地震の研究はどうなったのですか?地震予知ができないことが判ったにしても、なにか少しぐらい判ったことがあるか、せめて私たちがどうしたら良いかぐらいは判らないのですか?」と聞くのは良いだろう。ともかく、膨大な税金を使ったのだから。

 

 30年前は地震の学問も未発達で、東海地方のデータも不足していた。阪神大震災の後、地震の研究もさらに進んだ。それなら東海地震が予測できそうなのか、それとも全くダメなのか、そのぐらいは「教えて欲しい」。いや、それでは民主主義ではない。税金を使った研究と管理である。「教える」のではない。国民には「報告」しなければならない。

 

 情報と安全は表裏一体である。テレビが普及すると死亡率が減るが、それはテレビという情報手段でより早く正確な情報が流れ、それによって危険を回避することが出来るからだ。

 

 それに今ではインターネットがあるから、「国民の為の東海地震情報」を毎日、流し、震源域と予想される場所の隆起などの状態、それを専門家がどのように見ているかの正直で率直な解釈を示す・・・それは簡単だ。

 

 まさか、国民に知らせるとパニックが起こるとか、新幹線を止めなければならないとか、さらには耐震工事が終わらない浜岡原子力発電所が危ないからとか、関係者の利害を優先しているのではないとは思うが、怪しい。また、お金をもらった人の保身を考えているのではないのかと勘ぐってしまう。

 

 ところで、中部大学に地震をご専門とする方がおられる。その先生のお話をお聞きしたとき、私は民主主義ではない国に住んだ地震の国民が身を守る方法を習った。

 

 それは、自分が生活をしている場所の「最大震度」をまず知ること、そして、最大震度の揺れが来ても大丈夫のように部屋を作っておくことだ。たとえば、自分が住んでいるところが最大震度が6の弱の場合、もちろん倒れやすい家具は止めて背の低い家具にし、電子レンジのような重たい物は足の上にも落ちないようにしておく。

 

 また地震では「下に落ちる」ということより「横に飛ぶ」ということも多いので、部屋を見渡してその部屋の中で子供や自分の方に飛んできそうなものをかたづけておく、できるだけ不要不急なものを捨てる、さらに1年ぐらい持つ食品と飲み水を玄関付近に用意しておく・・・などである。

 

 技術立国、情報過多のこの日本に住んで、「自衛しかできない」というのは哀しいが、日本が民主主義でなければ仕方がない。

 

 環境でも、地震でも、原発でも、はやく日本が民主主義の国になることを願いたい。そして、そのためにはかつての革命ほどではなくても「血」が必要である。現代の「血」は「勇気」だから、関係している人が勇気をもって重要な情報を国民に報告すること、それを願いたいものだ。

 

おわり