日本の社会がまだ発達せず、素朴な時代がありました。

多くの人が、畑を耕し、種を蒔き、夏は草刈り、秋に収穫・・・という生活をしていた時代です。そんな昔ながらの生活では、すべてのものが自分の感覚の中にあり、辛いけれど充実した人生でした。

 

そんな時代には「貯金」という概念すらなく、ただその日の暮らしを無事に楽しく過ごして神様に感謝することと、多少の蓄えを持てることだったのです。

 

でも、少し社会が発達してきますと、「宵越しの金は持たない」と言うわけにもいかずに、日々の生活費のほかに、なにがしかのお金を銀行に預けて蓄えを作るようになりました。

 

私の好きな映画に「メリーポピンズ」というミュージカルがありますが、そのなかである銀行マンが少年のお金の預金させようとして、「君がその金の預けてくれればイギリスはスエズ運河を作り、船がインドからすぐ来ることができるようになる」と勧誘するシーンがあります。

 

まさに少し前までは、多くの市民が銀行にお金を預け、銀行はそれを企業に貸して立派な仕事が為されるという「お金の循環」がありました。もちろん仕事の収益の一部は市民が利子として受け取ることができたのです。

 

そんな時代、銀行の仕事というのは社会的にも立派な仕事でしたから銀行員は尊敬され、また給与も高かったのです。

 

ところが、最近の日本ではそんな当たり前のことが怪しくなりました。銀行の倒産が多くなり、銀行員が普通の人と格別に良い生活ができるということも無くなってきました。

 

この原因の一つは、日本の社会の成長が遅くなってきたこと、それに優良な会社は収益をあげて自分で事業のお金を持つことができるようになったことです。

 

このこと自体は悪いことではないのですが、企業が自分の資金、つまり自己資本比率が高くなってきますと銀行からお金を借りなくなります。

 

まして、現代の日本のように国民が、年金の不祥事で将来が不安であるとか、環境に配慮して少しでも電気を消そうとすると、お金があまり銀行に預金しますが、銀行はお金を借りてくれる優良企業がないので、政府から国債を買うということになります。

 

政府はそのお金で福祉事業とか、道路を作ったりしますが、もともと国の仕事というのは、税金をとってするものですから収益を上げるのは下手です。だから、国がやる仕事は、国民には役立ちますが、お金は無くなってしまいます。

 

ある人が100万円ほどたまったので銀行に貯金し、銀行はその100万円で国債を買ったとします。国は直ちにそれを使い切ってしまいますから、銀行に100万円をあずけた人が、数年後に銀行に卸に行ったときに問題を生じます。

 

預金した人が引き出しに来たのですから、その銀行は100万円を払わなければいけません。そこで国に国債を出して100万円を要求します。でも国にはもう100万円がありません。そのお金はとうの昔に使いきってしまったわけですから手元にないわけです。

 

そこで、国は国民から100万円を税金で取ります。つまり、国民から見ると、自分の100万円を銀行に預けると、それを政府が使い、お金をおろそうとすると、自分が税金で100万円を払わなければいけないということになるのです。

 

つまり合計で200万円を払い、100万円を受け取るわけです。それだけで止まりません。銀行員のや政府の政府のお役人の給与、建物の維持費などを払うわけですから、それが20万円とすると「銀行預金とは、220万円を払って100万円を受け取る」というなことになるのです。

 

かつて大富豪・岩崎弥太郎が国債を買い、それで政府が仕事をするという時代は去り、多くの国民が国債を買う時代になりました。そうなると国債の意味も変わってくる、現在の日本がそうなっていることをよく理解しておかないと、自分のお金を失うことになるのです。

 

恐ろしい世の中になったものだと感じます。社会が発展し成熟するということはその副作用も認めなければならないのでしょう。

 

おわり