私は「地球温暖化の懐疑派」に分類されているようですが、おそらく「地球温暖化に強い警告をしている多くの指導者」や「私を懐疑派に分類している人」より、私の方が「温暖化阻止派」だと自負しています。

 

それは私の生活が質素だからです。

 

 人間の行動のうち、二酸化炭素を出すものと出さない行動があります。たとえば、大型車に乗り高速道路を120キロで飛ばせば、速度違反は当然ですが、二酸化炭素も膨大に出します。その代わり、必要最小限のところだけ軽自動車で移動すればおそらく3分の1ぐらいにはなるでしょう。

 

 お酒を飲むときに、安いお酒を飲めばそのお酒を造るときに原料となるお米を節約できますが、大吟醸のような高いお酒ではお米を多く削らなければならないので、その分だけ稲を使い、ひいては二酸化炭素の排出量が増えます。

 

 種類の違う行動では必ずしも「使うお金」と「二酸化炭素の排出量」は比例していませんが、同じような行動では、お金と二酸化炭素の排出量は強く関係しています。

 

 一方、一人の人間がその人の人生を送る上で、どんな行動を選択するかという自由は憲法で保障されています。法律に違反しない限り、どんな行動をしても良いというのが近代国家なのです。

 

 つまり、9人の人を考えて、それぞれの人が3つのパターンの生活をするとします。車が好きな人、グルメの人、そして仕事本位の人とします。それぞれの人生ですから、その行動自体を文句を言うことは出来ません。

 

 車好きの人は軽自動車が良いし、グルメの人は二級酒が環境に良いし、仕事本位の人は国内活動の方が外国に行くより二酸化炭素の排出量は減ります。どれも「お金を使わない方が地球温暖化に寄与している」ということになります。

 

 実につまらない人生のように思えます。

 

自動車の好きな人は車を運転するのが人生にとって重要なのですから、それを止めてといわれるとがっかりするでしょう。グルメの人も食べるのが楽しみなのに「美味しい物を食べてはいけない」と言われるとこれもがっくり来ると思います。

 

 でも、二酸化炭素を減らすということはそういうことなのです。

 

社会では「省エネルギー」や「レジ袋追放」などと言っていますが、それは見当はずれです。個人の省エネルギーは社会にとってはエネルギー消費量が増えるのは歴史的にも論理的にも証明済みですし、レジ袋に至ってはスーパーの売り上げに協力しているだけです。

 

 私はどうかというと、私の人生は「仕事と体」という感じです。仕事は書くことが好きなのでパソコンが一つあれば十分、1年間は楽しめます。使用する電気も少ないし、場所もそれほどいりません。またあまり仕事では外国にも行かないようにしています。

 

 時々、体を動かします。これも健康には良いし、エネルギーも使わず、お金もいりません。散歩では靴ぐらいしか消耗しません。

 

 でも、そうすると困ることがあります。大学教授の薄給でもお金が余ってしまうからです。せっかく二酸化炭素がでない生活をしても、お金があまって、そのお金でドライブに行くと「ゴワサン」になってしまいますので、それを銀行に預けます。

 

 そうすると銀行が企業や国に貸し付けて、私が使うよりもっとお金を効率的に使うので、これも二酸化炭素を増やしてしまいます。といって、余ったお金をドブに捨てるわけにもいかず、私は後ろめたい気持ちを持ちながら、右往左往しています。

 

 もう一つ、人に勧めるのに迷うことがあります。

 

 学校に通っているときには一所懸命に勉強し、勤めてからというもの真面目に仕事をしていると、今の日本では給料が増えてそれに比例して二酸化炭素の排出量が増えてしまいます。

 

 だから勉強するな、仕事をするなとは言う勇気がありません。

 

 私が地球温暖化の懐疑派と言われるのは、この矛盾を解決する策が思いつかないので奥歯にものが挟まるからです。そして、悪口になるのですが、私から見ると、日本で「地球温暖化は環境破壊だから、一人一人が工夫をして二酸化炭素の排出量を減らそう」と呼びかけている多くの指導層の人が、良い車に乗り、グルメで、よく外国に行っていることが気になります。

 

 誰でも、「自分はしなくても良いが、他人はしなければならない」とか、「オレは偉いから二酸化炭素を出しても良いが、庶民はダメだ」というなら何でも言うことができます。

 

 地球温暖化を阻止するには何をしたらよいのでしょうか?

 

 一所懸命、勉強してはいけない。真面目に働いてはいけない。節約してはいけない。テレビを見てはいけない。シャワーを浴びてはいけない。貯金はしてはいけない。楽しんではいけない。人生を送ってはいけない。君は早く死になさい・・・とでもいうのでしょうか?

 

 希には「1000円より一万円の方が資源を使わない」という行動があるかも知れませんが、それは希なことと思います。資源学、環境学を専門とする私が判らないのですから、多くの人が判らず、従って「私に何ができますか?」と言っても出来ないのです。

 

 額に汗して働いてお給料をもらうのは良いが、それを使うのは良くないという理屈になるのも奇妙と思います。私自身のことでは、「頑張って良い本を書き、それが売れてしまうとまずい」ということになります。

 

単純に、また本質的に「環境に良い生活」を自信をもって言えて、それが自らの行動となり、日本人の平均より二酸化炭素の排出量が少なくなるまで、私は「地球温暖化を防止しよう」とは言いません。

 

 それは地球温暖化が厳しい環境破壊ではないということではなく、自分ができないことは人に勧められないということです。

 

 地球温暖化は阻止しなければなりませんが、なにをすれば阻止できるのか、その解答を真面目に探し、自分も実施するのが「日本人の誠」というものでしょう。

 

つづく