私は一般に「地球温暖化の懐疑派」に属しているらしいのですが、私は温暖化に懐疑的ではありません。私が懐疑派に分類されるのは私の執筆の書体がそう見えるのかも知れません。

 

 地球温暖化は、オゾン層の破壊と共に重要な地球規模の環境破壊で、我々は十分に注意をしなければなりません。この2つは人間の活動が大きな自然環境に直接、影響を与えると考えられる典型的なものだからです。

 

 この他の重要な環境問題とすると、他の生物から見て、「人間の爆発的な人口の増加や都市の建設」などが大規模破壊として見えるでしょうが、それは今のところ人間に直接的な影響を与えないと考えられています。でも、舗装によって大量に死滅するミミズのような微小な生物が人間の生理に大きな影響を与える可能性も含んでいます。

 

 地球温暖化で私が指摘しているのは「民衆はバカだから、怖がらせるにはウソを言ってもよい」という風潮を批判しているだけです。この問題が重要な問題であればあるほど、できるだけ正確なデータの提供が望まれます。

 

 むやみに海水面が上がることを強調して、それが指摘されると一斉に他の影響を強調するというようなことはあまり感心できないからです。

 

 ところで、この中級講座では少し違う視点から地球温暖化を考えてみたいと思います。

 

 1997年に締結された京都議定書では、日本は完全に欧米連合軍にやられてしまいました。ヨーロッパは1992年のリオデジャネイロ合意、そしてそれに続く1995年のベルリン・マンデートで十分に準備して、1997年に条約を締結するのに1990年を基準年とするという離れ業を演じました。

 

 私の見解ではこのことは「ヨーロッパが温暖化ガスを下げるのには熱心ではない」と見えます。つまり、当時、ヨーロッパはすでに10%ほどの削減をしていたのですが、それに対して京都議定書ではマイナス8%の約束をしました。

 

 もしヨーロッパが世界の先頭にたって本当に地球温暖化を心配し、二酸化炭素を削減しようとしたなら、基準年を1990年にすることに用意周到な準備など必要がなく、1997年を基準年にするはずだからです。もちろん、京都会議ではヨーロッパはアメリカと緊密な連絡を取りながら進んだことは間違いありません。

 

 世界の歴史を勉強すれば判るように、18世紀以来、欧米の諸国はアジア、アフリカ、南アメリカなどの国をほとんどすべて植民地にしてそこから多くの富を得ました。現在の社会で「先進国」と言われる国の多くが植民地を持った国であり、「発展途上国」というのはほとんど植民地にされた国です。

 

 つまり発展途上国がなぜ発展途上かというと欧米の植民地にされたからといっても良いのです。第二次世界大戦を機会に植民地は次々と独立したのですが、それも欧米が積極的に植民地を放棄したのではなく、戦争で民族意識が高まった有色人種の国が血を流して独立したのです。

 

 そうして約50年。白色人種の国は有色人種の国に発展が気になってきました。有色人種の国が発展すると困る理由は、第一に石油などの枯渇、第二に貿易の赤字、そして第三に環境の破壊です。

 

 もし、有色人種の国が発展し、みんな日本のようになると、日本人のように石油を使い、優れた製品を輸出し、そして環境を破壊するからです。それは中国とインドの発展によって現実的な脅威になってきました。

 

 そこで登場したのが「有色人種の国の発展を抑制するための地球温暖化」です。これは1980年代からの国際的な動きを見ていると、有色人種の国では日本を取り込み、共産主義の崩壊と共に二酸化炭素の削減の余力ができたヨーロッパが、これを武器に先導し、アメリカをできるだけ巻き込まないと言う基本戦略が見て取れます。

 

 日本は第二次世界大戦で大打撃を受けましたが、その主な理由は、日本という有色人種の国がアジアに進出することについて欧米の国が我慢ができなかったということです。これまで自分たちの稼ぎのもとだったアジアの利権は自分たちのものにしておきたかったという訳です。

 

 この辺の事情は客観的な歴史からもわかりますが、最近、話題になっている東京裁判でもかなり明確に表面化しています。日本人の死刑に反対したインドの判事の判決にはそのことが論理的に書かれています。

 

 私は地球温暖化で日本がいくら頑張っても意味がないと考えています。その理由は、

1) 白色人種が有色人種の指導を受けることはない。

2) 日本は世界の4%ほどしか温暖化ガスを排出していない。

ということです。

 

 日本の指導部が世界の情勢を誤って判断し、太平洋戦争を起こし、310万人の人を犠牲にしたときも、日本の指導部には「やらなければならない」という「善意」の意識があったのです。それは、現在の日本における二酸化炭素問題ときわめて似ています。

 

 政府、マスメディア、知識人がこぞって欧米の誘いに乗り、「中国をとれ、東南アジアに進出せよ。それがアジアで日本のやるべき道だ。大東亜共栄圏の確立。植民地からの脱皮」といったのです。太平洋戦争は軍部の独裁でもなんでもなく、当時の日本の指導層が動き、国民が追従したものです。

 

 私は、環境に関して日本で指導的立場にいる方に、上の2つの疑問を提示していますが、まだ明確な回答は得ていません。地球温暖化がどれほど恐ろしくても、「成算」のある方法を採るのが指導層の大切なことだからです。

 

 この問題では、日本が欧米側に付くか、それともアジアの同胞とともに歩むか、それも選択しなければなりませんし、「そんなことはオレは知らない。オレは環境だけだ。」と責任逃れをしても結局、苦しむのは日本人ですから十分に考えなければなりません。

 

 人種偏見と国の利害・・・これほど強烈なものはありませんから欧米は温暖化を最大限利用してくると思います。すでに1990年基準というトリックにかけられ、京都議定書は大国では日本だけが削減義務を負い、日本の企業は苦しんでいます。

 

 かつて「国威発揚」という誰も反対できない理由で崩壊した日本、また「環境破壊」という題目で崩壊しようとしています。私は地球温暖化が厳しい環境破壊であることを認識しつつ、欧米に適当につきあい、決して日本が先頭を切るべきではないと考えています。

 

 つまり、地球規模の環境破壊としては温暖化は深刻ですが、日本ではそれほど影響が深刻ではなく、また対策は「温暖化ガスの排出抑制」ではなく、異常気象に対する備え、食糧自給率をあげること、そしてエネルギーが少なくても暮らしていける住環境などと考えられます。

 

 繰り返しますが、日本が取るべきなのは、地球温暖化対策ではなく、「日本生き残り策」を優先すべきというのが私の考えです。

つづく