メアリーは神経質になっていたのだろう。18才の時にクララを産み、僅か12日後にこの子を失う。

 

「わたしの赤ちゃんは死んでしまいました。あなたに会いたい・・・すぐ来てください!

昨夜ベッドについたときには何でもなかったのに、お乳をあげようと夜中に起きたら静かに眠っていたのでお乳を上げるのをやめたの・・・そして朝起きたらもう死んでいました。

 

“ひきつけ”の発作らしいのです。早く来てください!夫は動揺して力にはなりません。あなたなら落ち着いて下さるでしょう。ああ、わたしはもう母親では無くなったのです!」

 

 彼女が「夫」と書いているのは有名は詩人のシェリー。感性が豊かすぎる夫婦だった。

 

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翌年、彼女は2番目の子供、ウィリアムを産み、その子もまた3歳の時にマラリアにかかって死んでしまう。メアリーが怪物小説「フランケンシュタイン」を書いたのウィルアムを産んだその年だった。

 

・・・怪物「フランケンシュタイン」・・・

 

 「自らの手で,無生物に生命を与えること―天才科学者ヴィクターが真理を追求して得たのは,奇跡的な技術だった。「十一月のとあるわぴしい夜」,恐るべき怪物は誕生する。だがこの日から,科学者ヴィクターの地獄のような日々が始まる。

 

 ヴィクターには愛する人々がいた。やがてこれらの人々が次々に殺されていく。まず,弟ウィリアム。弟が何者かに殺されたという知らせを故郷の父親から知らされた彼は,すぐにそれが,自ら創り出した怪物の仕業であることを直感する。

 

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 物語の終盤、ヴィクターはアルプスの山の中で自らが生んだ怪物と遺遇する。呪いを浴ぴせる怪物の生みの親ヴィクターに怪物は切々と語り始めるのであった。

 

……苦しんだのはヴィクターだけではない,醜く恐ろしい形相ゆえに自分がどんなに人々に退けられ孤独であったか,またそれゆえに罪を犯さなければ生きてこられなかった苦しみが,どれほど想像を絶するものであったか……

 

彼はヴィクターに訴える。

 

・・・おれが今まで苦しんだだけでは足りなくて,このうえ不幸になれというのか?命は苦悩の積み重ねにすぎないとしても,おれには尊いものなんだ。おれはそれを守るぞ。忘れるな,おまえは,自分よりも強くこのおれを創った。・・・

 

 科学者ヴィクターは,生命創造という大それた業を成し遂げることによって愛する者を失い,罪の意識に独り苦しみ、一方、怪物は,高度な知職,人問的感情を習得することによって,逆に自分が世の中で孤立した存在であることを思い知らされる。

 

この作品が創造主と被創造物との間の苦悩・・・それは知恵を得た人間の苦悩というキリスト教の主題の一つをフランケンシュタインという怪物の形を通じて描いたものであるし、18才で子供を失ったメリーの苦悩でもあった。

 

怪物は醜く恐ろしく生まれ、それ故に人々から退けられる。それは自分の運命であって責任ではない。運命は甘受しなければならないが、責任はヴィクターにもある。なのに自分がヴィクターの愛する人を殺したからと言って、なぜそれを責めるのか?

 

怪物フランケンシュタインも自分が言っていることの矛盾は痛いほど判る。でも、人間から見ると怪物であっても彼は彼である。夢もあるし、幸福も求める。そして愛する彼女も必要なのだ。

 

一度、この世に生を受けたもの、それは人間であろうと、怪物であろうと、どんな生物でもまた石ころのような無生物ですら、矛盾の中に存在し、悩み、そして消えていく。その悩みを真に理解してくれるものはいない。

 

私は自分の身の回りにあるもの・・・科学者として私の先輩や私自身が作り出したもの・・・それらがたとえ木工細工であれ、工業製品であれ・・・怪物フランケンシュタインのように私に向かって叫んでいるように感じる。

 

今や、「大量生産」と言われ「ゴミ」、「温暖化」と言われて忌み嫌われているが、それらはすべて私たちの子供であり、私たちがこの世に作り出したものである。

 

慎重でなければならないだろう。思いつきや衝動、名誉、お金、そして小さな充足感、そんなものを求めてなにかを作りだし、それが醜いから、大量生産だ、使えばゴミになってやっかいだと責めてはいけないのだ。もし責めるなら創造してはいけない、生産してはいけない。

 

ペットボトルは私の奴隷ではない。40℃の気温は作り出されたものである。自分が使い終わったから、自分が作り出したから、それを目の前から除き、あたかも自分が熱波の被害者のように伝えるのは、私にはしっくりいかない。

 

おわり