2007811日、「内閣府さん、大丈夫ですか?」と思わず聞きたくなるようなニュースが流れた。

 

「内閣府が11日に発表した「森林と生活に関する世論調査」で、森林に期待する役割として「地球温暖化防止」を挙げた人が5割を超えた。地球温暖化問題への関心の高まりを反映した形になった。」

 

「森林のどのような働きを期待するかを複数回答で聞いたところ、「二酸化炭素を吸収することにより、地球温暖化防止に貢献」を選んだ人は54・2%と最も多く、2003年の前回調査から11・9ポイント増えて過去最高となった。」

 

「前回調査でトップだった「山崩れや洪水などの災害防止」は1・4ポイント減少し、48・5%で2番目となった。」

 

恐ろしいことである。森林が二酸化炭素を吸収しないことは科学的に明らかなことで、科学技術立国を標榜する日本でこのようなことが白昼堂々と行われ、大新聞やNHKが報道するのだから、おもわず「内閣府さん、大丈夫ですか?」と聞きたくなる。

 

もちろん、森林は二酸化炭素を吸収しない。

 

一本の木が二酸化炭素を吸収すればその分だけ「太る」。物質を吸収するのだから、吸収した質量がどこかに行ってしまうということはない。そしてその木は生物であるからやがて枯死してその体は全部、二酸化炭素になる。

 

終始はゼロである。

 

でも、森林はその利用の仕方を工夫すれば、二酸化炭素の削減に役立つかもしれない。

 

つまり、森林から木材を切り出し、その木材を石油の代わりの用途に使えば、差し引き二酸化炭素の排出量を減らす場合もある。「場合もある」と書いたのは、やり方によるからである。

 

森林から木を切り出して生活に役立てるためには、まず、山を削り、道路を敷設し、重機を使って木を伐採して引き出す。そこからトラックで運搬して貯木場にしばらく置き、さらに製材する。製材によってかなりの「廃棄物」も発生し、それもまた石油を使って処分する。

 

 森林を木材として利用するためには、多くの石油を必要とするが、それが得られる木材とどのような関係にあるかという「自然を利用するときにもっとも重要なこと」については全く触れない。

 

私のような専門家でも、日本の森林から木を切り出して、それを木材として使用するのが石油の節約になるかどうか、そのデータにアクセスできないのだから、普通の人はまったくデータは知らないだろう。

 

仮に、木材を利用する収支がプラスであったとしても、学問的に正しい表現としては「森林が二酸化炭素を吸収する」のではなく、「森林の利用によって二酸化炭素の発生を減少させる可能性がある」ということである。

 

「どちらでも良いじゃないか」ということではない。特にこれから学問を学ぶ多くの青少年も含まれているので、正しい表現をしっかり身につけなければならない。それが日本の今後の発展の基礎になるからである。

 

「森林が二酸化炭素を吸収する」ということを国が言うのは、「科学の力の弱さにある」。科学技術立国と言っているのに、その国が科学技術を軽視し、利権が科学を上回っているのは私には情けなく映る。

 

せめて、森林学者や森林関係の学会が「もう少し正確な言い方をすること」という勧告をしたらどうだろうか。

 

 それは、この記事に続く次の表現で明らかである。

 

 「地球温暖化防止対策として森林整備を進めるための費用負担について複数回答で聞いたところ、「温室効果ガスを排出する割合に応じて企業や国民が負担」が54・8%と最も多かった。次いで「森林の恩恵は広く国民全体に及ぶことから、国民全体で負担」が54・1%だった。いずれも前回調査に比べて10ポイント以上の高い伸びを示した。」

 

 「一方、「新たな負担は求めずに出来る範囲のことをすればよい」としたのは、前回調査から7ポイント減の9%だった。温暖化対策の費用負担に理解を示す人が増えていることを裏付けた。」

 

 つまり、本当に地球温暖化の防止に役立つかを示さないで、国民の間に誤解を蔓延させ、その費用負担だけを求めるという方法である。最近、やや常套手段になってきたこの方法はあまり感心したものではない。

 

 誤った用語の使用、それによって国民を徐々に政府の計画の方向に持って行って増税するという方法は、一種の詐欺ではないだろうか。「日本人の誠」を軸として執筆活動をしている私にとってはそう見える。

 

 終戦記念日になると、毎年、「平和の尊さ」が強調される。でも、平和を求めるのに願いだけでは難しい。戦争をしたい人たちの陰謀を止めなければならないが、それには一にも二にも正確な情報が国民に伝わることだ。

 

 今から70年前。アメリカとイギリスに対して戦線を開くために「鬼畜米英」という四文字熟語を作った。実際に、アメリカ人やイギリス人が鬼かどうかを確かめずに「鬼畜米英」という宣伝だけで日本人の感情を高ぶらせ、戦争に走った。

 

私にはその時と似ているように感じられる。「森林が二酸化炭素を吸収する」というウソを言ってそこにお金を投じる。戦争で死んだ人は310万人に及び、広島、長崎の原爆の犠牲者を生んだ。

 

ウソは犠牲を呼ぶ。

 

21世紀になった今日、ウソをつく理由は「軍隊」ではなく、「お金」になった。

 

 儲かるなら「ダイオキシンは人工物で猛毒」、「地球温暖化で海水面が著しく上がる」、「ペットボトルはリサイクルされている」と言ってもよい、間違っていてもお金が入れば良いというような、何から何までご都合主義で良いはずはない。

 

 おそらくは日本の制度がカチンカチンに硬直化して、どうにもならないようになっているのだろう。おそらく、この記事を書いた報道の記者も本当に森林が二酸化炭素を吸収するかどうかデータを当たっていないだろう。

 

 内閣府が間違ったら、せめて文部省は子供たちの為に注意をするべきだった。社会は学問的に間違っていることを容認しても、子供たちの教育を預かる文部省は「それはいくら何でも違う」と言って欲しかった。

 

 環境問題で儲けようとか、メンツを保ちたいという大人の気持ちは分かるが、子供たちも道連れにせずに、次世代にもっと冷静な判断ができるようにしてあげたいものである。

 

おわり