32才で目覚めた。

 

 それまで自分が何をやっていたのかはっきりしない。おそらく「周囲が勧めるから」「それが当たり前だから」という人生の時を送っていたのだろう。

 

 その時、私は小さなホテルの部屋で論文を読んでいた。数時間前、同僚とこのホテルに着いたのだが、私だけが飲みに行かなかった。

 

 若いサラリーマンにとって出張の時に女性のいる飲み屋に行くのが楽しみの一つだった。当時、それはキャバレーという名で呼ばれていて、自分の母親のような女性と話し、ゴマすりながら飲むのだった。

 

 でもその時だけ、私は誘いを断って一人、ホテルで論文を読んだ。

 

 真夜中を過ぎた時だったと思う。どやどやと同僚たちが帰ってくる物音を聞いた途端、私は目覚めたのである。

 

「あっ、そうか。俺は論文を読んでいる方が楽しかったのだ!」

 

 その瞬間までの私は自分の人生の時間を知らなかった。ただ、人の言うこと、社会の常識というものだけで善し悪しを決めていた。

 

・・・学校は講義があるより、休講が得である。

・・・会社は勤務があるより、休みが得である。

・・・飲みに行く方が、論文を読むより楽しい。

 

 みんな「私」ではなかった。世間の平均か、なにかは判らないけれど私が若いうちから「当然だ」と思っていたことばかりだった。

 それからというもの、私の目は透明になり、自分がしたいことが見えてきた。

 

・・・どうも4000円のお寿司より、私には600円の刺身定食の方が美味しい。

・・・どうも2万円の宴席より、私には2000円のカウンターの方が楽しい。

 

 変なことだが、「お金を払う額」と「自分が楽しいこと」とは比例しないようになった。私だけかも知れないが、それからの私はそうだった。

 

 40才を超える頃には、すっかりそれが板に付き、もうほとんど「いくらだからやる」「給料が上がったから買う」というようなことはなくなり、お金とは切り離された生活になった。

 

もちろん、給料は安かったからお金には制限があり、値段が高くて買えない物があったが、それは「買いたい物」のごく一部であり、たまにそういうものが生じても我慢するのはそれほど苦痛ではなかった。

 

 当時のわたしは若い研究者だったので、計算するのが好きだった。時々、家に閉じこもってはA4の紙を使って計算した。一日、計算しても20枚の紙も使わなかったが、それは十分に楽しい時を与えてくれた。

 

 私はスポーツが好きだった。ラケットを抱えて2,3時間を楽しみ、汗を流して少し昼寝をした。それでその日は充実していた。

 

 年老いた私の楽しみは年に1度、パソコンを買い換えることだ。ものを書くのが好きになった私はパソコンを時々、新しくしてそれに慣れるのが楽しみだ。慣れないパソコンは次々とトラブルに見舞われるが、それが生活の変化となり楽しみだ。

 

 車はすでに9年目の車検を5月に終わった。スタイルは好きになれないが、運転席の高さ、サスペンジョンの悪さ、そして騒音。車雑誌の評価はさんざんだが、私にはちょうど良い。静かでなめらかな車は私には物足りない。

 

 貯金をはたけば「良い車」を買うことができるだろう。でも、「高い車」、「新しい車」は私にとっては「良い車」ではない。

 

 かつて人間は「足りない」生活をしていた。でも今は「足りる」生活である。かなり収入の少ない人でも、わずか30年前ではお金持ちのグループに入る。

 

人類が現在のような人間としての生活をするようになって15万年。その中で「30年前に生まれた気になる」だけで、幸福な生活を送ることができる。30年前の人たちが不満だらけの生活をしていたわけではない。むしろ今より幸福感は高かった。

 

 もし、お金があるだけ、その範囲で人生を送ろうとすると、いつも不満だ。そして自分が稼ぐお金の多さで自分の人生でやることが決まる。

もし、お金に関係なく、人生の時が過ごせれば、過ぎゆく時は自分の人生になる。

 

つづく