環境に関心があり、節約精神もある方が、リサイクルに熱心なことがあります。というより多くの人が節約するためにリサイクルをしています。でも、リサイクルは新しく作るより資源を余計に使うことを知っている私にしてみれば、「なぜ、まじめで環境を良くしようとしているのにリサイクルをしているのかな?」という疑問がいつも私の頭を離れません。

 

「リサイクルは資源を節約できる」という人でも、毎朝、ごはんを食べたらお茶碗を割ってリサイクルに出し、昼、ご飯を食べたらまた割ってリサイクルに出すなどという人はいません。「リサイクルは資源を節約する」と言ってもやはり繰り返し使った方が良いのは御存じなのでしょう。ペットボトルをリサイクルに出せば節約になるならお茶碗もリサイクルに出すはずだからです。

 

長い間のこの疑問は、最近、カタログハウスというところが出した「ピカイチ事典」という厚い雑誌を送っていただいてわかりました。「買い物バイブル」と題するこの雑誌は、日常生活を送る上で何を選んだら良いかを懇切丁寧に解説してヒントを与えてくれます。そこに私のインタビューの記事、つまり「もったいないからリサイクルしないほうがいい」という記事と、次のページには「もったいないからリサイクルしよう」という記事が並んでいるのです。私はその記事を二つ見比べて、今までの疑問がすーっと解消していくのを感じました。

 

それは、「対象とするものの範囲と、考えている地域の範囲」が違うからのようです。私は「対象は資源全体、地域も日本全体」であるのに対して、リサイクルした方が良いと言っているは「対象はリサイクルするもの、地域は自分が関係している先」のようです。

私の次の記事は、食用油のリサイクルのものでしたが、食用油を捨てるのはもったいないので、リサイクルしてトラックの燃料にするのは大変、結構なことです。

 

私の視点では、食用油もトラックの燃料もトラックを作る鉄板の高炉も、みんな資源を使いますから、回収できる食料油を1キログラムとすると、それ以下の資源でできないと「リサイクルしてはいけない」ということになります。ところが、もし、「食用油が回収されれば良いので、それに使うトラックの燃料とか、タイヤの損耗、道路のアスファルトに敷きなおしなどとは「資源が違うから別扱い」となると「リサイクルは良い」ということになります。

 

ペットボトルでも同じです。ペットボトルをリサイクルして、新しく石油から作るのに対して5倍も石油を使えば、ペットボトルをリサイクルできますから、「ペットボトルとしてはリサイクルできる」ということになります。また、リサイクルするためには量がまとまらなければなりませんので、消費量が増えなければうまくいきません。そこでリサイクルを推進する人は、ペットボトル以外のものは資源ではないこと、ペットボトルの量を増やすことが目標になります。

 

一方、私は個人的にはペットボトルをリサイクルにだしません。ペットボトルは大変にいい水筒で、空になったペットボトルを簡単に水洗いをしてそこにお茶を詰めて使います。私が子供のころに使った水筒に比べれば軽くて割れずとても快適です。五回ぐらいぐらい使いますとなんとなく口の周りが黒くなってきますし、何かの会議でペットボトルが配られたりすると、鞄の中のペットボトルが二つになるのでどちらかを捨てます。

 

リサイクルすれば5倍の石油、繰り返し使えば5分の1ですから、リサイクルしている人に比べれば、私は資源を25分の1しか使っていないことになります。

 

「個人で繰り返し使う」のはお茶碗と同じでよいのですが、「社会で繰り返し使う」ということになると、分別し、集め、ペットボトルの中のチューインガムやたばこの灰、農薬などを取り出し、全部、きれいにしないと使えません。個人と社会では違うのがリサイクルの悩みです。

お母さんが着た浴衣を作り直して娘さんが楽しむ。娘さんがかなり使えば繊維も弱ってくるので雑巾にするというのは良いのですが、それを社会に出しますと現代の日本では親子二代使った浴衣地を買う人はいません。結局、開発途上国にもっていきます。今は国際的な約束で、先進国の廃棄物はどういう形にしても開発途上国に移動してはいけないのです。「開発途上国の人は貧乏人なのだから、日本人の使い古しを使うだろう」という人もおられますが、あまり良くないのです。

 

一時、日本で使い古したテレビを中古品と称して外国に輸出していたことがありました。一見、安いテレビを買えるのだから良いように思えますが、そのテレビはあと1年そこそこしか見れませんから、すぐ捨てることになりますから、その国の廃棄物が増えるという問題を生じます。個人、日本社会、そして国際的な範囲と、自分が考えている範囲が変わるとその結果も変わるのです。

 

目の前にあるものをもう一度使いたい、もったいないと思うことは大変に重要なことですが、だからと言って個人の感覚だけでそれを社会全体に適用するということは危険なのです。

 

例えば、ヒートアイランドの都市でクーラーを使わないのは大変ですが、林に囲まれた快適な都市を作れば縁側で涼むこともできます。つまり社会全体の環境は社会全体で取り組めば良いのですが、個人では解決しません。つまり、リサイクルというのは個人としてはもったいないに通じますが、社会全体や国際的には「浪費」に変わるのです。

 

ところで、材料や環境の専門家は、個人でやる行為と社会全体でやる行為が違う結果をもたらすことはよく知っています。でも、利権があるのです。たとえば、ペットボトルのリサイクルで我々が払ってる税金は、1年で一人600円にしかすぎませんが、1億人の人から一人600円を集めたお金は、一部の人に一人1000万円ぐらい渡せることになります。専門家もその一人ですから黙っています。

 

私は日本人のすばらしい特徴は「誠実さ」「誠」であり、相手が知らないからといって決してごまかさないということでした。江戸時代、ある渡し船に外国から来た人が乗るときに船頭が「100円だよ」と言ったとします。多くの外国人は、「日本ではそう言ったら100円払えばよい」と旅行記に書いて感心しています。日本以外の国では知らない人と見ると200円と言うわけです。「この前は100円だった」と言うと「じゃあ100円でいいよ」というように答える・・・外国と日本とは違ったのです。

 

リサイクルでも普通の人がリサイクルの仕組みや結果を知らないからといって、それを利用して儲けるというやり方は、日本人の誠実さや誠に反すると私は思っています。そんなことを大人がして子供に良い教育ができるはずはありません。

 

もう一つ、付け加えます。

 

もともと、科学や社会の発達は人間を楽しくするものです。何でもやたらに節約したらいいということではなくて、物もお金も私たちの生活の人生のためにあります。お金のための人生ではなく、物のための人生でもなく、自分の人生のためです。

 

私がリサイクルをあまり好まない理由は、リサイクル自身が社会的には節約にならないということもありますが、二つ目は、人を騙して儲けるシステムになっていること、そして三番目が、あまりに「物」を中心に考えているという風に感じるからです。

 

本当に自分の人生に必要なものを選び、大切に使えば、自分が捨てる時にはそれをまた使う人がいるような状態ではないはずです。リサイクルは社会的なシステムですから、個人のレベルでは「愛用品を使わない」、「どんどん使い捨てる」ことを結果的に促進します。食品リサイクルは食べ残しや大量の廃棄食料を作っていますし、建築リサイクルができるとビルはどんどん建て替えられます。

 

ペットボトルを私のように繰り返し使うとペットボトルの消費量が5分の1になりますから、製造会社は半分以上、つぶれることになります。リサイクルするとペットボトルの消費量が増えますから、会社は繁栄します。わたしは愛用品を買い、それを大切に使って、豊かな心休まる生活をすることが日本の子孫のために良いと思っていまし、結局、会社もその方向に行かざるを得ないと思うのです。

 

おわり