ある大新聞は2007年5月2日に「レジ袋新聞」という形で首都圏エリアに次のような趣旨の「ニュース?」を流しています。

 

「使い終わったレジ袋をそのままゴミ箱に捨ててはいませんか? 日本で1年間に使われるレジ袋は一人当たりおよそ300枚、全体で305億枚、石油に換算すると日本が輸入する原油量の1日分にあたると言われています。 流通業界や行政でも過剰レジ袋の削減に向け、さまざまな取り組みが始まっています。 今日の「レジ袋新聞」をきっかけに皆さんも考えてみてください。」

 

 この新聞は派手ではありませんが、教育の記事なども多く、比較的、真面目で自己本位ということがない新聞です。もし新聞が気軽に「問い合わせ」に応じてくれればこの記事の記者にもお話をしてみたいのですが、お話しする機会は提供されていないので、ネット上で記事の評価を公開したいと思います。

 

 この問題を中級講座では、

1) 新聞がなぜ政府と同じ「取り組み」をしなければならないのか?

2) この記事の中に「故意の誤報」あるいは「普通に読んだら普通に誤解する」というところは無いか?

3) レジ袋問題は中級レベルでも批判に耐えられるのか?

3つを問題にしたいと思います。

 

 公共的な報道機関というのはある制約があります。それは「報道の公正性を保つために、異論のある問題については2つの意見を併記する」ということです。また、報道の自由は基本的に「政府に批判的である」というのが前提になります。

 

 従って、仮に新聞が「行政が進めているから」という理由を掲げる時には、報道の自由を失うことになります。近代国家と報道が成立する時代、政府は自ら国民に情報を流す手段と権力を持っているが、それでは危ないので報道の自由が保障されてきました。

 

 その点で、大きな疑問があります。私の周りでも「レジ袋は有効に使っているのに」という声を聞くからです。記者は政府の声は聞いて、身の回りの人の声は聞かなかったのでしょうか?

 

 第二の点は、数字です。レジ袋の問題では「何億枚」という単位が出てきて、なかなか「何万トン」とか「何万リットル」という数値が出てきません。「物」の量は普通は重量で示す物ですから、レジ袋が何億枚でも一枚あたりの重さが軽ければ何の問題もありません。

 

 レジ袋が環境を汚染するか、資源の節約になるかはまず「何万トン」使っているということが大切です。

 

 人はなにか心にやましいことがあると、わかりにくい数字を使うものです。おそらく記者の心の奥になにかおかしいという感じはあるのでしょう。

 

ところで、レジ袋は一枚5グラムぐらいですから、一日一人5グラムというと、日本人が一日に廃棄するゴミの量は家庭からだけで一日一人1キログラム(1000グラム)ですから、200分の1ぐらいになります。

 

また、人は家庭人であると共に産業でも働いていますから、産業からの廃棄物も国民として責任の持たなければならないので日本人は一日一人50キログラム(50000グラム)です。この場合、レジ袋はそれ自体と、それを作るときに使用する資源と見なければならないので一枚10グラムと見なければいけないでしょう。

 

そうすると2000分の1になります。つまり、レジ袋を全廃して、その代わりに何も使わなくても、家庭からでるゴミが0.5%減少し、国民一人あたりが捨てる廃棄物の実に0.05%だけが減る計算です。

 

さらに、レジ袋の代わりに買い物袋を使うことになり、またその袋を洗濯しなければなりませんので、資源節約効果はさらに下がるでしょう。

 

 だから、レジ袋の撤廃は資源を無駄に使うことになる可能性もあります。そして、それよりなにより、「新聞記者」という職業にとってもっとも重要なことは「政府の発表に疑いを持つ」ことです。

 

「レジ袋のような小さな物を環境省がやっても意味があるのか?」「スーパーはレジ袋を減らすことで自分の店を宣伝し、逆に売り上げを増やそうとしているのではないか?」「レジ袋の代わりに買い物袋を使えば、それにも資源が必要となるし、中身が見えないので万引きが増えないか?」などを取材するのが新聞です。

 

 こんなことは記者の方はご存じであることは間違いないので、そうなると「意識的に間違った情報を流した」ことになり「故意の誤報」の部類に入ります。

 

 この記事を「中級環境講座」として取り扱うと、次の事が判ります。

 

 まず、レジ袋に使用されるポリエチレンは原油から大量にとれる物で、それを社会で有効に使うのは環境にも間違っていません。もしレジ袋が使われなくなったら、余った石油は別のものに回さなければならなくなります。

 

 石油は大昔の生物の体からできたものですから、人間の希望するような成分にはなっていません。だから、レジ袋を止めたらその分だけ石油が有効に使用できるという事ではないのです。

 

 第二に、もちろんレジ袋の代わりに何かを持って行かなければならず、それを作る為の資源、洗う資源、下水の処理、そして勤め人が帰りに買い物に行く場合、朝から袋を持ち歩くのか?といった生活上の問題もあります。

 

 資源的に節約できるかかなり疑問です。また「環境の為と言って朝、出かけるときに夕方、買い物をする時に必要な袋を持ち歩くのが「生活スタイル」として良いか?」ということも正面から議論して欲しいものです。

 

 なによりも、仮に国家や大新聞が音頭をとって国民にあることを強制するときには、十分な計算がいります。そして、その結果を国民に示して批判を浴びなければならないでしょう。最低でも「レジ袋を使うのと、買い物袋を使うので、どの程度の資源が節約できるか?」というのを賛成、反対の立場から計算するのは当然の手続きです。

 

 環境では人にものごとを強制することが多いのですが、あまり安易に考えて欲しくないと私は思います。

 

つづく