20072月、「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」という出版されるまで、日本のリサイクル協会は頭を痛めていた。

 

 その理由は、ペットボトルでもプラスチック容器包装でも、協会は日本国のためにリサイクルの推進に日々、努力をしているのに、法律や行政の制約があって、「リサイクル率」を公表することができなかったからである。

 

 たとえばペットボトルについて、国は「昭和17年度では、指定法人の引き取り量が17万トンで、再商品化量が14万トンだから、再商品化率は80%程度」と発表する。

 

 でも、リサイクル協会は現場と密着しているし、平成17年度には50万トンを超えるペットボトルが消費されていることも知っているし、20万トン以上が海外に持ち出されていることも知っている。

 

 それを知っているのにまさか、「リサイクル率は80%」などと発表することは出来ないからだ。こんな簡単なウソはすぐばれるし、第一、リサイクル協会がウソをつく必要はない。

 

 法律で定められた「再商品化」というのは回収業者がペットボトルを洗浄して砕いたものを、再商品化する会社に渡した量であり、法律として再商品化率というのを使うのはかまわないが、国民が期待している「本当に再利用された量」ではない。

 

 国民が知りたいと思っているのは単純だ。分母が「消費量」、分子が「本当に再利用された量」である。そんな簡単な計算もできない仕組みになっていた。それが、リサイクルを始めて10年、はじめて「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」という本によって明らかにされたのだ!

 

 将来性のある、夢のあるリサイクルという仕事を進めるためには、一刻も早く、次の事実、

「ほとんどがリサイクルされていない」

「リサイクルをするには膨大な資源を使う」

「現在のリサイクルではかえってゴミが増える」

事を国民に知ってもらわなければならない。

 

 こんなことが明らかになるのは、リサイクルを提唱したお役人には都合が悪いかも知れない。でも数人のお役人のメンツや出世より、国民の方が重要だ。それに日本は民主主義ではないか!

 リサイクルを始めて10年。リサイクルはうまく行っているのか?かえって資源の無駄使いになっていないか?というのは国民全体の関心事だ。だから、始めてリサイクル率を明らかにしたあの本には深く感謝している。

 

・・・とリサイクル協会は感謝してくれているものとばかり思っていたら、人づてではあるが、「リサイクル協会は著者に抗議をしようとしている」と連絡があった。これには驚いた。リサイクル協会から感謝状がくるとばかり思っていたからである。

 

 もちろん、従来からリサイクル協会が「リサイクル率」を公表していて、それと本の数字が違っているなら、学問と言論の自由の範囲から逸脱していれば抗議もあり得る。でも、出したくても出せなかった数字が一研究者からでたのだから、本来は嬉しいはずである。

 

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 今回の本の出版とその本に対して多くの人がどのような反応を示すかについて著者として当然のことであるが、強い関心があった。そして、概ね次の反応にまとめられる。

 

1)    情報自体(リサイクル率やリサイクルに使う資源量)が発表されていなかったことに気がつかなかった。

 

2)    公的な数字ならその内容を確認しないでも「罪」にならず、私的な数字はかなりの研究背景を持っていても怪しまれる。

 

3)    現代の日本は「立場によって事実を曲げて言う」のは当たり前と受け取られている。

 

 民主主義では「公」は国民の公僕である。あくまでも主人は国民であり、国民にできるだけ正しく、国民が知る必要のある、また知りたがっている情報を提供しなければならない。

 

 情報と民主主義について深く考えさせられた一ヶ月であった。

 

つづく