ある国のほとんどの人が不幸になることがある。
歴史上、もっとも有名なのはユダヤ民族のバビロン幽閉だろう。それまで実り豊かなパレスチナの地で栄華を誇っていた王国がバビロニアとの戦いに敗れ、民族ごと敵の首都バビロンに連れて行かれたのだ。
ユダヤ民族の中でも一人や二人はバビロンで幸運に恵まれただろうが、ほとんどのユダヤ人は神に祈り、ひたすら耐えてやがてパレスチナに帰ることを願った。
近いところでは太平洋戦争に突入した日本でもそうかも知れない。戦いを始めたのが悪かったとも言われるが、歴史をよく見ると単純ではない。ヨーロッパ諸国によるアジア・アフリカの植民地化、ABCD包囲網・・・など当時の国際情勢をすべて忘れ、さらに日本が敗れたという結果に基づいけば、そういう結論もありうるが、あまりにご都合主義である。
座していれば植民地になるアジアの国としての日本としては、戦いは仕方が無かったが、アメリカ、イギリス、フランス、オランダ、中国、ロシアを敵に回した戦いは容易ではなく、戦争の4年半、日本人の大半は苦しんだ。
民族全体が不幸に見舞われた時、その中にいる個人が幸運を求めるのは非常に難しい。宝くじに当たるようなものだ。
でも今は違う。私たちの先輩が戦争という辛苦をなめてくれたおかげで、戦後があり、現在では100カ国以上ある世界の国で、収入も寿命ももっとも長い国の一つになっている。
人生で大切なものは「生命と財産」と言うけれど、寿命が長く、収入が世界一に近いのだから、日本はもっとも豊かな国の一つである。そんな中で幸運を求めるのはそれほど難しくない。
今の日本では、技術を志している人は技術的成功を、ビジネスに夢を持っている人は高収益を、そして趣味に生き、愛に命をかける人はそれぞれに幸運であることができる。
でもそれには前提がある。その前提を一つずつ解きほぐし、目の前にある幸運を逃がさないようにしたい・・・それがこのシリーズの目的である。
書こうとするものが難しいので章立てもややこしい。まず「錯覚」から入るつもりである。その理由は幸運を呼ぶことができない一番の理由が私たちの頭や心の「錯覚」や「幻想」だからである。
誰でも自分はこの社会や人生をしっかり見つめ、理解しているつもりだが、実際はほとんどの人は錯覚の中にいる。その目の曇り、心に刺さったトゲをまずは取り去ることから始めたい。
つづく