少し前まで、自分の意見を社会に発信する場合、新聞の「読者の声」などの機会しかなかったのだが、今はインターネットというものがあり、ずいぶん「個人の情報発信」が容易になった。

 

民主主義というのは「一番、重要な機密情報を民衆が知っている」ということだから、インターネットというものは民主主義を守る上で最大の武器かも知れない。

 

 ネットに拙著の反論が多く載っている。それもまた歓迎すべきことで、読者の方がどのように感じ、何を疑問にもっておられるかを把握することができる。今回のテーマは「反論」という事でもないが、ネットに次のような意味の記述があった。

 

「武田さんは、森林が二酸化炭素を吸収しないというが、植物が生まれて死んで酸素を出さなければ、空気中の酸素はどこから来たのか?だから、森林は二酸化炭素を吸収するからこそ、空気中に酸素がある。だから武田さんの言うのは間違っている。」

 

 この疑問はもっともであるし、二酸化炭素の問題の根源に関わるので、ここで少し説明をしておきたいと思う。

 

 地球が誕生した時、酸素は不足していたと言われている。たとえば、酸素と結合しやすいシリカなどは酸素の化合物(石や岩)になっていたが、銅のようにあまり酸素と結合しやすくないものは銅のまま、鉄のように中途半端に酸素と親和性があるものは中途半端(二価の鉄イオン)でいた。空気中にはあまり酸素が無かったと思われる。

 

 地球は46億年前に誕生し、生命は37億年前に出現した。最初の生物は単細胞の藻類のようなものだった。それが30億年の長きにわたって地球上で活躍して、現在の海、大気、地形を作っていった。

 

 その反応を簡単にまとめておく。

 

 まず、藻の毎日の生活だが、藻が子供の頃は、

「二酸化炭素を吸収して自分の体をつくり、酸素を出す」

二酸化炭素はCO2だから、そのままでは体を作ることができない。そこでCOを分離してCで体をつくりOは海水中に放出する。

 

 そのうち、藻も成長して大人になると、

「二酸化炭素を吸収して栄養を自分で作り、それを自分で食べる」

というようになる。こうなると栄養を自分で作る時に二酸化炭素を吸収し、それを自分で食べるときに二酸化炭素を放出する。詳しく言うと「嫌気性」などのがあり説明がややこしいが本質は同じである。

 

「質量保存則」という確実で信頼性の高い法則がある。

 

 やがて藻も年老いてくる。そして死ぬ。死骸が海の底に沈めば酸素と出会うことが無いので、Cの体のまま永遠に海底に埋まってしまう。数億年前になると石油や石炭になった。石油にも石炭にもならずに海底に堆積した死骸もあると言われる。

 

でも、もしどこかで死骸が酸素と接触すると体(C)が酸素(O)と反応して、再び二酸化炭素(CO2)になる。

 

 生物の活動が盛んになった最初のころは、海の鉄が酸素を吸収したが、次第次第に酸素があふれてきて空気中に出て、さらに成層圏まで昇っていってオゾン層を作り出した。

 

 二酸化炭素(CO2)が炭素(C)と酸素(O)に分かれて、Cは生物の体になる。やがて生物が死ぬと、またCOと結合してCO2になる。だから地球は「持続性」であり、基本的には何も変わらない。ただ、石油、石炭などの量だけは酸素(O)が反応せずに残る。それが今の空気の中の酸素である。

 

 まとめると次のようになる。

 

 地球が最初に誕生した時と現代を単純明快、原理原則で整理すると、

(1)         二酸化炭素が酸素になった分だけ、地中に生物の体(炭素)が埋まっている、

(2)         生物が作った酸素は、今、空気中の酸素と鉄の中の酸素などになっている、

(3)         地中に埋まった生物の体の一部が、石油・石炭である。

(4)         天然ガスについてはまだよくわかっていない。

 

 森林が二酸化炭素の吸収源になるというのは欲の皮の突っ張った人間の希望であって、科学ではない。

 

 もう一つ、付け足しておきたいことがある。それは、現在の「地球温暖化」という問題は「先進国で人間が使う酸素の量は、自然が一時的にでも製造する酸素の量の100倍以上も多い」ということである。このこともよく考えて欲しいと思う。

 

つづく