「大切なこと」というこのシリーズは「大量消費の生活から脱皮するには」という私の考え方と自らの体験から21世紀型の新しい生活スタイルを提案しているものです。第一回はテレビの買い方、第二回は車の乗り方、そして第三回は割り箸でした。

 

 

【ウェーバー・フェヒナーの法則】

 

 

 ウェーバー・フェヒナーの法則というのがある。別に難しい法則を出してこなくても、日常的な感覚でわかるのだが、「強い臭いをかいでいると、その臭いに慣れてしまって、わからなくなる」という人間の臭覚の性質だ。

 

 

 それも恐ろしいことに感覚は「対数」になっている。つまりある臭いの強さが1とすると1の中で生活していると1と2は倍の臭いに感じる。ところが臭いの強さが10の中で生活をしていると1020の「差」が、12の「差」と同じく感じる。

 

 

 実に恐ろしい。1と2は倍であるし、1020は倍だから、1の中に生活をしていて2の臭いを倍に感じ、10の中に生活をして20の臭いを倍に感じるなら納得できるが、1020の差が1と2の差と同じように感じられるのである。

 

 

 同じような傾向が、味覚にも聴覚にも、皮膚の感覚にもあるような気がする。学問的には臭覚ほど研究が進んでいないが、少なくとも経験では同じように感じられる。辛い物ばかりを食べていると辛くなければ物足りなくなるし、気温が急に変わるとそれについて行けなくなる。

 

 

【第一話】

 

 

 私は大学にいるのでとても良い。一週間に4回ぐらいは学食で食べる。大学の学食というのは実に良い物で、第一に学生さんの若いエネルギーを感じる。第二に食事を出してくれるおばさん(尊敬語)の愛想が良い。毎日、自分の息子や娘のような学生にご飯を出すのだから愛情がこもっている。そして第三に安い。

 

 

 私の大学は食堂が完備していて7つぐらいある。大きな食堂が2つ。それにラーメン、ハンバーグ、カレー、イタリアン、パン屋さんなどの「専門店の学食」が揃っている。よりどりみどりだ。そしてどこでも400円以下で満腹になる。

 

 

 そんな素晴らしい学食だが、味の方はもう一つ。何しろ学生の第一の希望は「お腹を膨らすこと」であって「味」ではない。実に環境問題の本質を突いている。だから文句は言えない。それに毎週4回、学食を食べていると私の味覚はリセットされ、まずい物が美味しく感じられる。

 

 

 そんな舌になった時を見計らって外出し1000円の昼食を食べ、4000円の夕食を採るとまるで極楽である。400円がお酒を入れて4000円だからもしかするとショックで舌にヒビが入るかと心配になるぐらい、美味しい。

 

 

【第二話】 

 

 

 私はお酒をたしなむ。それを知っている人は私に美味しいお酒を勧める。酒税法が改正された後、日本酒は格段に美味しくなった。つまらない税法があったので、これほど美味しいお酒を造ることができる技術が日本にあったのにそれが使えなかったのだからお役人も罪作りである。

 

 

 美味しいお酒を勧められた時、私は「ええ」と曖昧に答え、せっかく勧めていただいたので少し飲んで「あまり飲むともったいないから」と言う。でも本心は違う。 

 

 美味しいお酒を飲むと、次にはさらに美味しいお酒が欲しくなる。日本酒を美味しく造ろうと思うと、お米を「磨く」。磨くというのは米粒の外側を削り取るのである。吟醸は何割、大吟醸は3割とか言ってせっかくの米粒のわずかしか使わない。

 

 

 自然から与えられるもの・・・それが少しは味が悪くても私はありがたくいただこうと思う。そうしているうちにだんだん私の舌が「ウェーバー・フェヒナーの法則」に従って「まずい酒が美味しくなる」。それまで待つ。

 

 

 そうすると毎日、安いお酒で美味しくいただき、満足な生活を送ることができる。さらに時々、美味しいお酒を勧められるとこれもまた天国に昇る気持ちになる。でも、天国は時々が良い。

 

 

【第三話】

 

 

 「ウェーバー・フェヒナーの法則」は至る所にあるような気がする。

 

 

 家の前の駐車場から事務所まで毎日、車で通勤していると歩くのが苦痛になる。足の筋肉は一週間で衰え、骨のカルシウムは一日半もすれば減り始める。

 

 

 全館暖房とか、自動着火というような「電化された生活」になってからトイレの便器も暖かくなった。いつもヒーターが入っていてお尻が乗っかるのを待っている。それにすっかり慣れていたので家が変わって冷たい便器の上にお尻をのせた時には耐え難いほどの苦痛を感じた。

 

 

 あまりの冷たさにドキッとして思わずお尻をあげてしまうほどだった。

 

 

 ところが不思議なものである。最近では冷たい便器に腰を下ろしても冷たいこと自体に気がつかなくなった。何とも感じないのである。あんなに冷たいのが苦痛に感じられたのは何だったのだろうか??今では冷たい方が衛生的にも思える。

 

 

【第四話】

 

 

 水道の水を安心して飲めるのは6カ国ぐらいと思う。カナダ、オーストラリア、スイス、フィンランド、スウェーデン、それに日本ぐらいだろう。かつてはアメリカも水道がしっかりしていたが、最近ではどうも危ない。

 

 

 中部ヨーロッパはもともと水が悪いこともあって「水を飲むのはカエルだけ」と言われる。だからフランスなのではペットボトルの水が発達した。アジアの多くの国やアフリカはまだ衛生的に問題がある。日本の水道は素晴らしい。

 

 

 東京から名古屋に移動した時のことだ。のどが渇いたので、つい冷蔵庫を空けてペットボトルのお茶を探したけれど無い。そこで仕方なく水道の水を飲んだ。

「美味しいっ!名古屋に水道は美味しい」。

 

 

 聞くところによると木曽川の豊富な水を採っているかららしい。実にまろやかで美味しい。汚れた多摩川の水を取水して消毒した水道を飲んでいた私にとってはありがたいことだった。それなのになぜか名古屋の人もヨーロッパから運ばれてきたペットボトルの水を買っている。不思議なことである。

 

 

 人間に備わったウェーバー・フェヒナーの法則は自然の中に生活する人間に必要な性質だったのだろう。その地方地方で寒くもあり、暑くもあり、作物が十分ではなく、害虫が多い地方もあった。それでもその中で人間は「住めば都」と満足して人生を送ったのである。

 

 

 環境に優しい生活・・・それはテレビのブラウン管の後ろを見ないことであり(第一話)、値段を買うのではなく自分の好きな車を買うことであり(第二話)、割り箸を使い捨てすることであり(第三話)、そしてウェーバー・フェヒナーの法則に従うことなのだろう。

 

 

ある時にマウスの実験を見たことがある。十分な食事を与えたマウスは寿命が短く、死ぬ時期の相当前から頭がぼける。それに対して食事を十分には与えないマウスの平均寿命は、肥えたマウスの1.5倍も長く、そして死ぬ寸前まで行動も敏速だった。

 

 

 環境問題とは、自分の周りの環境をダメにするだけではなく、自分の体や精神自体も破壊する。

 

 

つづく