今回は最初から「カチンとくること」を書くので少し気が引けるが、我慢して読んでもらいたい。もしできれば最後まで読んでいただけけると最初の意味がわかると思う。

 

 割り箸を大切にする人たちがいて、その人たちにある特徴がある。一つは「マイ箸」を首からぶら下げていること、もう一つは「怒りっぽい」ということである。だから割り箸のことを書くこのページも神経を使う。

 

【事実の整理】

 

 日本で割り箸は一年に250億膳使う。これは日本の森林を傷めるのだろうか?またかつて日本の割り箸は北海道と奈良県で作られていたが、今では97%が外国から輸入、しかもそのほとんどが中国である。

 

 この割り箸の使用量を減らすということはどういう事だろうか?最初から「割り箸の使用量を減らすと環境に良い」と決めてかからないで、「割り箸の使用量を減らすとどうなるか」という事実の確認から始めたい。

 

 日本は森林の多い国で約3分の2が森林である。そしてその森林に45億立方メートルの樹木がある。あまりに多いのでピンとこないが、数字も少しずつわかりやすく行くのでしばらく我慢して欲しい。また「立方メートル」という単位が面倒なので、慣用的にリューベ(R)という呼び名が使われるので、以後は単に1Rとか1千万Rとか書くことにする。

 

 樹木というのは毎年、成長する。樹木が若いうちは成長も早く、歳を採ってくるとあまり成長しなくなる。人間が利用させていただくまでの樹木の寿命を45年とすると、日本の樹木の生長量は、45R45年で割るから、一年に1Rなる。

 

 少し少なめという人もいるが、何しろ現在ではほとんど日本の森林は利用されていないので、このぐらいの計算から始めた方がよい。

 

 一年に割り箸250億膳というのはそれに使う樹木の体積にすると割り箸110ccだから、25Rになる。つまり仮に日本の森林からとれる樹木を使って割り箸を作ると、日本の森林が生長する1Rのうち、025%が割り箸に使われる計算だ。

 

 庭木を育てた人ならすぐ理解できることだが、樹木は生長する。日々、成長し枝を伸ばす。手入れをして切り取った枝葉の量は結構、多いがそれを利用する事もできないので、焼却するしかない。

 

 また本格的な森林では、まず小さい木をびっしり植えて成長するごとに間引いて行かなければ「木材」になるような木はとれない。間伐材などと呼ばれる「使い道のない小さな木」は日本で年間500Rでる。そのうち200Rは使っているが、残りの300Rは捨てている。

 

 捨てている間伐材だけで300R、これに対して日本人が使う割り箸が25R.。つまり

「もし、日本人が割り箸を積極的に使ってもらったら、せめて捨てている間伐材の1割は有効に使える」

ということだ。

 

 日本の森林は死んでいる。それは森林を育て、樹木を使うというサイクルがうまくいていないからである。なぜ、うまくいっていないか?紙をリサイクルしたり、割り箸を使用しない運動をしたりするからである。

 

【事実をふまえた考え方】

 

 なぜ、そんなことになるのか?・・・ここが重要である。これまでの先入観を全部、捨てて欲しい。その上で、次の文章から始まる「私たちの頭の幻想」を取り払って欲しいのだ。

 人間は自然の中で生きている。そして食糧も箸もすべては自然からしか得ることができない。ということは、「箸を使いたいから箸を使う」という考えは成り立たない。20世紀はそういう時代だったが、これからは成り立たない。

 

 ではどういう考え方なら自然と生きていくことができるのだろうか?

「自分が使いたいから使うのではなく、自然から得られる量に合わせて使う」

ということである。

 

 つまり、「ご飯を食べるから箸を使う」というのではなく、「箸が何本あるからそれだけで食べる」という考えに切り替えなければならない。

たとえば、一日に2本の箸が自然からとれるとする。でも自分は一日に3回はご飯を食べたい・・・そういうときには2回は新しい箸、1回は箸を洗って使う。自然の方に自分の生活を合わせるのである。

 

もし、箸が一日に2本できるのに、「自然に優しい」と錯覚して「マイ箸」を使ったとする。一日に2本できる箸は捨てなければならない。そうすると箸が売れないので間伐材が要らなくなる。間伐材が要らなければ間伐をする人がいなくなり、その結果、森林が荒れる。それが今の日本である。

 

これからさらに奇妙な話になるが、割り箸はあまり樹木を使わない。これほど割り箸を使い捨てにしても日本の森林が生長する量のわずか400分の1である。だから本当は一日に割り箸を20本ぐらいは使ってもらいたい。その方が「環境に優しい」??

 

でも、そんなこと信じられないだろう。私たちは自然から無限に物質が供給されると信じて、大量生産、効率重視の世界に長く生きてきた。だから考えていることの多くが逆さまになっているのである。自然界には足りない物もあれば、有り余っているものもある。すでに私たちにはそれは見えない。

 

【脱線】

 

かつてイエス・キリストが「お祈りは目立たないところでそっとしなさい」と言われた。「自分は良いことをしているのだ」という時にはそれを宣伝してはいけないという戒めである。割り箸運動をしている人で箸を首にぶら下げている人はイエス・キリストの教えを少し勉強した方が良いように思える。

 

割り箸運動の人は怒りっぽいと表現した。あまり良い言い方ではないが、人間は余裕があると怒らないが、せっぱ詰まっていたり、心にわだかまりがあると怒る。割り箸運動の人は森林の状態がよくわからないのでイライラしておられ、わからないということがわだかまりになっているのだろう。 

 

【元に戻る】

 

「割り箸を使わない運動」・・・少なくともこの運動は現在では日本の森林を破壊している可能性もある。でも、それも早計かも知れない。間伐材が間伐材である理由、森林がそのすべてを利用できない理由は、「森林が遠くにあって急峻だから」という理由だ。間伐材を利用するのが大切だから、無理矢理、割り箸にするということになると、環境負荷は大きい。

私たちは「日本の森林が育つ量」にあわせて生活を設計することがまず第一であろう。

つづく