最近では「北極の氷が溶けても海水面は上がらない」とアルキメデスの原理にそった解説がされるようになってきた。日本国は「科学技術立国」であるし、学校で習った物理がなにも生活に利用されないと悲しい。
せめて地球温暖化でもアルキメデスの原理が使われるようになって一安心だ。
さて、北極に比べて「温暖化と南極の氷」という問題は格段に難しい。この問題は3段構えに考えなければならない。
1) まず、原理原則で考える。
2) 次に、気象を考える。
3) 最後に、学問という立場で考える。
まどろっこしいが複雑な問題を考える時にはどうしてもステップが必要だから、若干、我慢しなければならない。それでは説明を開始する。
原理原則から考える時のスタートは、
「現在の南極の氷の量は何によって決まっているか?」
という問いに答えることである。なぜ南極には2400立方キロメートルという膨大な氷があるのだろうか?
それは「南極以外のところから氷の原料となる水が運ばれてくるから」ということと「南極の温度が0℃より遙かに低いから」という二つが原因している。
南極の氷の原料となる水は南極大陸の周辺の海から来る。日常的な生活でもわかるが、お風呂を沸かすとお風呂の温度が高くなるにつれて「湯気」が立ち上る。つまり水の温度が上がると少しずつだが水が蒸発する量が増える。
周囲の海から風にのって運ばれてきた水の蒸気が南極の中の方に進んでくると雪などになって降り積もる。ちょうど、冷蔵庫の中に暖かい水を入れると霜が付くのと同じである。スケールが大きいので直感的にわかりにくいが、理屈はそうなる。
かくして南極には氷がつもるが、それだけなら「永遠の時が過ぎれば」海水は少しずつ南極に吸い取られ、南極の氷はどんどん増えてついに地球上の水はすっかり無くなってしまい、地球は「氷の星」になるはずである?!
地球上のすべての水が氷となって南極に集まらない理由を考えてみる。
1) 氷も少しずつ気体になる(昇華)
2) そもそも南極大陸が現在のところに移動したのは「最近」である。
この世の状態というのは大ざっぱにいって「平衡」になっているとまずは仮定する。つまり「南極に運ばれる水と南極から出ていく水が同じ量なので、南極の氷がいつも一定」というように考えるのである。これを「平衡論」で処理するという。
現在の南極の氷が「平衡」になっているとすると、たとえば水が20℃付近で5℃上がると、1一立方メートルあたり5グラムぐらい水の蒸発量が増える。増えた水が風に乗って南極大陸の方に移動すればそこで氷になるので、「温暖化すると南極の氷が増える」ということになる。
反対に、南極の上空の水分は少なく、いわばカラカラの状態である。そのような時には「氷」という固体から「水蒸気」という気体に直接変わって空気中に水がでる(昇華)。氷になる量と昇華する量が一緒なら氷の量は変わらない。
これが平衡論からの原理原則である。
でも、平衡からはずれる要素もある。もともと南極大陸は今のアフリカ大陸と一緒で赤道付近にあった。それが大陸の移動とともにだんだん、南に移動して今のところに落ち着いている。
下の図は少し前の地球の大陸の地図である。南アメリカとアフリカ、南極、インドなどが仲良く一緒である。
だから、まだ南極大陸が寒くなってからそれほど時間が経っていない。だいたい氷ができはじめたのが5000万年前ぐらいと言われており、地球の年齢46億年に比べれば実に100分の1、つまり100歳の人が99歳から頭が白くなったようなもので、あまり長い間のことが考えにくい。
まして、現在の南極大陸とオーストラリア大陸が離れたのが確か2600万年前と記憶しているが、大陸が分かれたとき海峡ができてものすごい気候の変化が合ったとされている。そんな激しい歴史をたどって来ているのだ。
このように考えるのが「速度論」である。つまり「本来は地球上の水が全部、南極大陸に氷となってつもる可能性もあるが、なにせ数千万年ぐらいではそこまでは行かない」ということである。日常的にも「平衡」になっていることと、「とりあえず」という「速度」が関係したものがある。
少し脱線したが、地球が温暖化すると海の水が温かくなり、それだけ空気中の水分が多くなり、南極の氷が増える傾向にあることは間違いない。
しかし、南極大陸の中は上空と地表で気温が逆転(地表の方が気温が低い)していたり、あまりに大きな大陸全体が冷えているので海の方から吹いてくる風の状態が複雑であるとか、大陸から周辺の海に滑り落ちる氷の量が正確にはわからない・・・などの理由から、原理原則はわかるがそれ以上になるとまだ研究が不十分というのが正しい。
だから長く学問を経験していない人は、原理原則をやや軽視して「自分のおそれ、希望、儲け」などが先に立って原理原則から先は事実より意見を前に出して解説をするのでややこしい。
そこで最後に「学問」という性質について触れたい。
多くの人は学問が将来を予測できると思っている。確かにそうなのだが、それには条件がある。それは「現在の学問でわかる範囲ならわかる」と言わなければならない。
一方、学問というのはもともと「新しいことを発見する」という性質を持っているので、「現在の学問で将来を予測する」ということ自体が学問としては矛盾した活動なのである。
そこで学者は慎重になる。誤解を恐れずにズバッと言うと「まともな学者ほど慎重になる」と言ってよいだろう。
それでも現在の私たちは現在の学問をよりどころにして考えるしかない。最近の地球温暖化の評論のように、これまでの学問を全否定して「俺は正しい」と言い、自分だけの考えをあたかも普遍的なことのように言うのは論外だ。
科学はやがて変化するが、だからといって現在の科学を無視することはできない。私たちは現代の中に住んでいるのだから。
【結論】
地球が温暖化すると南極の氷は第一段階として増えるので、海水面は下がる傾向を示す。でも、増えた結果がどのような二次的結果をもたらすかは現代の学問では推定の域をでないが、それが起こるのは数100年後だろう。
また、仮に人間の活動が地球の気温を大きく変え、南極の氷の変化に影響を及ぼすようなことがあれば、温暖化より酷いことが次々と起こるはずである。たとえば石油や石炭が無くなれば人間は二酸化炭素を出したくても出せなくなるから、二酸化炭素が原因している地球温暖化は一気に解消する。
私は地球温暖化それ自体はあまり怖くない。それよりもし人間の活動で地球の気温が変わることがあれば、それ自体が一番、恐ろしい。
おわり
(このページはある読者の方の感想に基づいて執筆しました)