ブラウン管の向こう

 テレビというものは実に素晴らしいもので、遠くの景色、一生、会うことのできない人でもブラウン管に映し出してくれる。それもテレビがカラーになってからというもの実に人生は豊かになった。

 

 最近では「低俗番組」とか「あそこのラーメンがおいしい」というような番組ばかりでつまらないという人もいるし、実際にもそう感じることもあるが、それでもチャンネルは複数あり、個人で楽しむぶんにはハードディスクに録画しておいて好きなときに聞くことすらできる。

 

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 ところで上の写真はなんだろう?言うまでもなくテレビのブラウン管である。このブラウン管で私たちは番組を見ることができる。

 

 数年前、液晶の大量生産技術が向上して家庭用のテレビにも液晶が使われ出した。最初はかなり高かったが少しずつ値段も下がり、庶民にも手が届くようになると猛烈な勢いで売れ出した。

 

 「薄型テレビ」というのがそれで「もうすぐディジタル放送が始まって持っているテレビでは見ることができなくなる」というのとセットになって販売合戦が始まった。多くの人が「薄型」というのに惹かれてまだ見ることができるテレビを捨てて購入した。

 

 先日、家電大手の技術部長さんとお話をした時、その部長さんは「まだ液晶技術が未完成なのでブラウン管のテレビの方が綺麗です。特に動きのあるものは」と言われた。

 

 それを聞いて私は、

「私もなんとなくそう思っていました。ブラウン管の方が良いのですね。もっとも、もともとテレビでは「薄型」というのは意味がありませんね。ブラウン管の向こうが20センチぐらい出っ張っていても、よほど狭い部屋なら別ですが問題はないですから」

と答えた。

 

 この家電大手のメーカーは「私の会社は環境に配慮しています」と常に宣伝をしているが、もしブラウン管の方が綺麗なら「今はまだ液晶テレビを買う時期ではありません。テレビは画面を見る物ですからその後ろのことなど気にする必要はありません。ぜひ、我が社のテレビを末永く使ってください」と宣伝するはずだ。

 

 でも現実には液晶よりブラウン管が綺麗であることも、液晶テレビが発展途上にあることも、そして映像の後ろが少し出っ張っていても、テレビというこの優れた工業製品の価値には関係ないという情報を流さなかった。

 

 社長さんは二重人格で、儲かるためなら平気で違うことも言える人である。

 

 映像の後ろは関係ないということは素人でもわかるが、液晶よりブラウン管が優れているとか、まだ液晶テレビが発展途上にあるのですぐ購入するともう一度、買わなければならなくなる、ということは言わなかった。 環境省も「現在のブラウン管のテレビの方が性能が良いので、よほどのことが無い限り液晶テレビを買って、廃棄物を増やさないように」という注意を出さなかった。

 

 現在の日本は、お役所や大企業がウソをつくことは普通になっている。「お役所は国民のことより企業のことを考えている」「企業は儲かるなら自分が損する情報は流さなくて良い」と思っているし、庶民の方も相手が不都合なことは言わない、それはウソではないと許している。

 

 だから、あれほど液晶テレビを宣伝している家電メーカーが、自分自身がブラウン管の方がよいと知っていると聞いても「そうでしょうね」というあきらめた答えが返ってくる。

 私たちの方にも幻想がある。

 

 もともとテレビは映像を見るものだから、その後ろなどわからない。それにほとんどのテレビは「据え付け型」だから動かすことも少ない。事務所と違って家庭では居間に一つあるテレビの場所に困ることも少ない。

 

 それなのになぜ、我々は液晶テレビを買うのだろうか?それは、

「自分が楽しむこと、欲しいもの」

がわからなくなっているからだと私は思う。

 

 少し前、私たちは人間だった。だからブラウン管に映る映像を楽しんだ。でも現在の私たちは抜け殻だ。だから実はテレビを見ても、「ブラウン管に写った映像」にはほとんど興味が無くその後ろが気になるのだ。

 

そして、なぜ後ろが気になるかというと、それはテレビで宣伝されるからだろう。

 

 私たちはすでに「抜け殻」になっていて、自分の楽しみ、自分の人生を見失い、ただひたすら映像の後ろの厚みだけを気にしている。これが「環境破壊」の元凶である。

おわり

 

(このシリーズは「環境幻想はわかったから、どうしたら良いのか?」という問いに答えようとするものである。ちなみに、ここで使った写真はブラウン管ではなく液晶である。失礼!)