― 貴族の食事 ―

 中世ヨーロッパの貴族はあまり働きもせず、小作人から上がってくる収益で日々、遊んで暮らしていた。労働もあまりしないから食欲も湧かないが、やることもないので宴会ばかりする。

 労働も運動もしないのだから、だんだん食欲も無くなる。食欲もないのに宴会をすれば相手もあるので食べなければならない。でも食べられない。食欲は湧かないし、第一、お腹が一杯なのである。

 そこで食事の途中にトイレに行って指を喉にさし入れ、今、食べたものを胃から吐き出す。あまり綺麗な話ではなくて恐縮だが、事実だから少し我慢して読んで欲しい。貴族は宴会で食べ、そしてトイレで吐いて、また食べる。食事中にうまく吐けることが貴族としては大切な技術だったのである。

 それでも食べ過ぎになるので、体は太り、醜い姿を晒していた。デブデブの体、シワシワの皮膚、ボテッとしたお腹・・・が貴族だった。糖尿病になり早死にした。

 少し脱線するが、ローマの貴族はワインが好きだった。でも現在のワインと違ってローマ時代のワインはそれほど味も鮮麗なものではなかったので甘みが不足していたらしい。そこで甘みを付けるために鉛の容器に入れて少し温める。そうすると「ワインの鉛シロップ」ができて、これが甘い。

 ローマの貴族は鉛シロップのワインを飲み、次第に鉛中毒に罹った。もっとも被害が大きかったのは妊娠している女性で、流産が多く、体の調子も悪かったので子供の発育も良くない。ローマの貴族階級の数が急激に減少した一つの理由としてこの鉛シロップが原因とされている。

 ローマの貴族といいヨーロッパ中世の貴族といい、貴族の食事が異常だったことがよく分かる。人間は恵まれると不幸になり、不幸は幸福である。この原則は常に成り立つ。

 いずれにしても貴族の生活は「生物としての人間」の限度を超えていた。人間は生物だから生物としての体の働きがある。それは常に食事が不足気味でそれをどのようにして獲得し、体の中に入った食事はとことん利用するように出来ている。決して飽食は生物の原理ではない。

 たとえば、ミジンコのような小さな動物でも、ネズミのような高等動物でも飽食は体に悪い。その証拠として多くの動物の寿命はその動物が「食餌に恵まれているか」が問題で、飢えて死ぬという危険さえなければ、「飽食」するか、「腹八分目」かどうかで左右される。

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 この図はラットの生存率(寿命)のものだが、自由に食べさせると平均して33ヶ月で死に、長寿でも40歳止まりである。それに対して、腹八分目では平均45ヶ月も生存し、中には60ヶ月も長生きするラットもいる。

 これはラットばかりではなく、多くの動物でほぼ同様であり、私の調査では約10種類の動物についてはまったく同じ傾向を示して、食糧を制限すると寿命は平均して1.5倍になる。1.5倍!この数値は素晴らしい。人生80年ならそれが120年になる。それもヨボヨボになって120年ではなく元気で120年なのである。

 

 上の図はラットの食餌を制限した場合と自由に食べさせた場合の「免疫力」の差を測定した結果である。自由に食事を与えたラットは生後6ヶ月も経つと免疫力のピークが来てその後は低くなる。それに対して、食餌を制限したラットは生後10ヶ月で免疫力が最高になり、30ヶ月では自由に食べさせたラットの免疫力がほとんど無くなっているのに、まだかなり強い免疫力を保持している。

 病気になればクスリの世話になるのは仕方がないが、もし自分に強い免疫力があればそれで病気を克服することが出来る。もし食餌を制限するだけで歳を取っても病気を自分の力で治すことが出来ればなんと素晴らしいだろうか!

 だから腹八分目の食餌をしていると寿命も延び、免疫力も弱らないから良いことずくめだが、体が生きていても頭が呆ければそれも楽しくはない。食餌を制限したら頭の方はどうなるだろうか ?

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 上の図は左が自由に食餌を食べさせたラットにゲームをさせ、その時の間違いの数を記録した物である。縦軸はゲームでラットが間違いをした数である。ラットにゲームを教え始めたときには誤りの数は6(相対値)と多いが、少しずつ学習してきて6日目には若いラットはほとんど誤らなくなる。

 ところが年寄りラットは覚えが悪く、6日目も間違いばかりをしている。全く困ったものであるが読者の中にも心当たりがある人もおられるだろう。人間をラットと同じように比較するのも失礼であるが、歳を取ると覚えが悪くなるものであり、特にゲームなどさせればどうも自信はない。

 ところが食餌を制限したラットの場合、右の図にあるように年齢にほとんど関係なくよくゲームを覚え間違いが少ない。黒▲が年寄りラットだから少しは若いラットに比べると間違いの数が多いが、このぐらいならゲームを楽しむことも出来るし、仲間はずれになることもないだろう。

 「歳を取って物覚えが悪くなった」「このごろどうも忘れっぽい」というのは、もしかすると年のせいではないかも知れない。単に毎日お腹いっぱいに食事をしているからぼけるので、少し足りないぐらいの食餌をしていたら元気はつらつ頭の回転も昔通りかも知れないのである。

 おまけに食事を制限すると、お腹が減っているので食べると美味しい。なにも指を喉に突っ込んではき出さなくても良い。食事を楽しみ、美味しくいただき、そして長寿となる。こんなに良いことずくめなのに現代の日本人は飽食する。なぜだろうか?

 それは「我慢の心」を失ったからと私は思う。美味しいものをもっと食べたいと思う。そしてそれを我慢できない。我慢するぐらいなら太ってもよいと思ってしまう。そこが問題である。「我慢の心」というのは恐ろしいもので、その心が無くなると我慢するのが辛く、あれば我慢は楽になる。だから一度我慢の心を失うと、螺旋階段を落ちるように落ちていく。

 だから私たちは我慢の心を思い出した方がよいのだが、それよりもっと良い方法がある。それは私たちがもっと給料が低くなり貧乏になることである。貧乏になれば食事も自由に出来ないから我慢しなくても節食になる。しかも「いつかは美味しいものを腹一杯食べるぞ!」という目標もあるから毎日が楽しい。

 お金持ちになる、美味しい物を食べ過ぎる、生活習慣病になる、我慢の心を養う、毎日が辛い・・・とまるでマッチポンプである。それなら最初のところを「貧乏」に変えると、我慢もいらないし、生活習慣病にもかからない。毎日を楽しく過ごし、おまけに長生きすることができる。

終わり