― アメリカがその日の夕方を作ってくれる ―
哲学者ヘーゲルの有名な言葉に、
「ミネルヴァのフクロウは夕暮れに飛翔する」
というのがある。
最初にこの言葉とその解釈を聞いた時は「さすがにヘーゲル」と感心したものである。最近ではヨーロッパ嫌いになってきたので、何となく引っかかるところがあるが、それでも高い教養を感じる。
ミネルヴァとはギリシャの女神で、「知恵と勝利」を司っている。その横に傅(かしず)く梟(フクロウ)は学問なら何でも知っているという「フクロウ博士」である。フクロウという鳥はなんとなく偉そうに感じるのだろう。アイヌ文化でもフクロウは知恵の神として尊敬されている。
そのフクロウは「夕暮れに飛翔する」という。その意味は「一日が終わりになりそうな時に飛び立つ」という意味である。解釈は二つある。一つの時代が終わり次の時代が開けようとする時、その前に知恵が飛び立つという積極的な意味と、一つの時代が終わる時に知恵が発動してその解釈をするという意味である。
私は後者、つまり消極的な意味に解釈している。
学問と言うのはこれまでの知恵の集積でできているので、新しいことをするのは得意ではない。むしろ、これまで起こったことを解釈することに対して力がある。そのことをフクロウになぞらえて言っているというのが私の理解である。
20世紀、ライト兄弟の初飛行で開けた前世紀はアメリカ人の果敢なフロンティア精神が遺憾なく発揮された世紀だった。人間が空なんか安全に飛べるはずはない、ニュートン力学はしっかりした物理体系だから間違いなど無い、太陽が輝いているのと同じエネルギーを人間が使えるはずはない、生命は神聖な物で科学的に解釈できるようなものではない、そして人間の頭脳は神から授かった物だから人工的な頭脳など作れるはずはない・・・こうした常識を覆したのはアメリカだった。
航空機時代、相対性原理と量子力学、原子力、DNA、そしてコンピュータに至るまで20世紀の大きな発見・発明はDNAを除いてすべてアメリカと言っても良い。もちろん相対性原理のアインシュタインはオーストリア出身、原子力のフェルミはイタリア出身だが、アメリカという土壌の上に花開いた。そこには「フクロウ」ではなく、「チャレンジ精神」があったからである。
時代が変わり20世紀の後半になるとアメリカのチャレンジ精神は「ファンド」のような方向に向き、科学技術で新しい発見や発明は極端に減ってきた。インターネットがアメリカの大学で使われ始めて世界に普及し、携帯電話が大爆発をしたのを最後にほとんど社会を変えるような発明は生まれていない。
残念ながら、日本人はあまりチャレンジ精神が無く、若い学生も「自分で会社を興すより大会社のサラリーマン」が望みである。別に悪いことではないが、そういう社会では「誰かが新しいことを始めてくれないと段々、仕事が無くなる」ということになる。
その結果、お金の面ではひどい状態に陥っている。下のグラフはややこしいが、このグラフの中に恐ろしい現実が隠されている。
1980年頃は、家庭が10%の黒字で、そのお金が企業と政府に5%ずつ流れている。正常である。個人が稼いだお金が企業に再投資され、そのお金で企業が仕事を拡大していた。でも2000年を過ぎるとどうだろう。家庭は5%の黒字、企業も似たようなもので、政府だけが断然大きな赤字になっている。
実に恐ろしいことである。政府というのは前向きの仕事はあまり得意ではない。政府が新しい事にチャレンジして成功したら企業になってしまう。儲けにはならないが国民のために必要なことをするのが政府だから、企業が黒字になり政府が赤字になるのは社会に希望が無くなってきている証拠でもある。
つまり、新しい幕を開こうとする人が多ければその人達は事業を始めるのにお金がいる。だから民間の企業はお金が足りなくなる。一方、政府はもともと税金で仕事を行うところだから、赤字も黒字もなくプラスマイナスゼロで運営しなければならないが、民間が将来のことを始めなければ国がとりあえず現状でお金を使わなければならない。そんな状態なのだ。
でも、「日本にアメリカ人がいないのだから仕方がない」。つまり、誰もが今までやっている仕事をそのまま進めて、新しいことをしたがらなければお金もいらない。誰かがアメリカ人になってその日の夕方を作らなければフクロウも飛び立つ元気が出ない。
個人金融資産1400兆円。新しい仕事ゼロ、企業も借金ゼロになったら、お金だけが余り、日本社会は今の体制を維持できないだろう。
おわり