― 研究者は偉い! ―

 

 今、日本はお金がものすごく余っている。どのぐらい余っているかと言うと個人金融資産だけで実に1400兆円である。国家予算が80兆円であることを考えると、実にその17.5年分を国民が持っている。

 ではなぜ、こんなにお金が余っているのかというと、「節約はするけれど、新しい事業は自分ではやりたくない」というのが日本人の国民性だからだ。アメリカ人はいろいろ欠点があるが、それでも陽気で積極的だから新しい事業をする。失敗も多いが成功もする。

 残念ながら私たちの身の回りの物、ヒコーキ、テレビ、パソコン、インターネット、携帯電話・・・すべてアメリカ人が発明したものだ。

 ところで日本人でも新しいことをする人たちがいる。それは「研究者」と呼ばれる人たちである。私も研究者として一生を送ってきた。自分の仕事を褒めるのも何だが、研究者というのは実に偉い!

 何が偉いかというと、次の2つのことだ。
1) 自分の研究を、夢を持って語ることができる
2) 研究が何回、失敗してもくじけない
そして、この2つがなぜ偉いかを説明するには2)からの方が判りやすい。

 研究は失敗する。「千三つ」と言われるぐらいで、1000ヶの研究のうちで成功するのは3つというのが歴史的な教訓である。私の経験では研究といえども「千三つ」ほど失敗しないが「百、八つ」という所だろう。つまり、残念ながら研究の成功率は10%を超えない。10中8,9は失敗する。

 普通の生活で10中8,9失敗するというと「失敗するからやらない方が良い」という意味になる。もし研究者がそれにならうと研究は始められない。

 「なぜ、研究というのは失敗するのか」というと簡単な原理原則があるからだ。すでに今、人間が判っていることで、「良い」と思うことは実行されている。良いと思っていて出来るのにやらないという事はない。特に最近の社会のように「なんとかして儲けたい」と思っている人が多ければ、「良くて出来る」というものは研究の対象として残っていない。

 そうすると研究者が選ぶテーマは「良いと思われるが、できない」という事であり、さらに「今の知識では間違っていると思うこと」である。「出来ないことを出来るようにする」「間違っていることを正しいと証明する」というのだから難しい。

 さらに原理原則は続く・・・
 今、出来ないことでも何とかしてできるかも知れない。でもそれは「自分が世界一、頭が良く運が良い」場合に限られる。自分より頭が良い人が取り組んでもできなかった物が自分にできる可能性は少ない。

 スポーツでもそうだ。類い希な水泳選手がオリンピックで優勝しようと思って400メートル自由形を練習する。そのタイムに勝つことはかなり大変である。誰もやっていない10メートル平泳ぎぐらいなら何とか世界のトップに立つことができるかも知れないが、激戦区で勝つことはできない。

 だから研究は失敗する。でも失敗が当然なのだから平然として楽しそうにしていなければならない。そして果敢に次のテーマに向かわなければならないが、周囲が協力してくれなくなる。

 それはそうで、周囲の人というのは普通は「研究」というものをしていない。まさか研究が10中8,9は失敗するとは思っていない。多少は上手くいかないこともあるだろうくらいに思っている程度だ。商売でも結婚でも就職でも受験でも成功率が50%を切るようなことを連続的にするはずはない。だから研究者の行動を理解できないのである。

 でも周囲が反対したら研究はできない。お金もいるし場所もいる。どうしても周囲の協力が必要である。そこで1)が登場する事になる。自分の研究を夢を持って語る・・・それは、失敗をすることが運命である研究者が唯一できることなのだ。

 研究者を指導していると、どうもこの人は研究者には向いていないと思うこともある。慎重派、心配性、そして周囲のことを気にする人である。研究者は楽天家、忘れやすい、そしてノーテンキでなければならない。

 研究者は偉い。君が未来の日本を切り拓くのだ!失敗と非難は覚悟の上だ。へこたれるな!若い研究者!!

おわり