― おまけ人生 ―
・・・・なんで、あの頃は張り切っていたのだろうか?朝、お母さんに起こされると眠たい目を擦りながら歯を磨き、顔を洗った。ご飯をほおばり、ランドセルを背負って「行ってきまーす!」と勢いよく玄関を飛び出したものだ。
学校の教室でも張り切っていた。勉強が面白いとかそんなことも考えないで、ともかく一所懸命だった。もちろん、少しの風邪でも頑張って皆勤賞を狙っていた。懐かしい。
それがどうだ。大学生になったのに、最近では朝、起きるのも辛いし、大学に行っても寝てばかりいる。ダルだ。何で、こんなになったのだろう??もう二度と、再び、あの小学校の頃の輝いていた日々は帰ってきそうにない。なんでこんな風になったのだろう?・・・・
私が教えている学生には「おまけ人生」に犯された若者が多い。どこで、いつ、おまけの魅力に取り付かれたのかは判らないが、なんとか「おまけ」を見つけようと、それだけを考えているような学生もいる。
レポートを今月末までに出すように言うと、寸前になって「一日、遅れても良いですか?」と聞いてくる。講義の時間が始まっても、決まって5分ほど遅れて教室に入り、先生に怒られないようにと後ろの方に座る。おそらくは私生活でも「おまけ」を求めた生活をしているのだろう。
30日間の余裕のあるレポートを、たった一日おまけをしてもらっても「割引率」は3%である。90分の講義に5分遅れるということは、5%のおまけになるだけだ。でも一度、「おまけ癖」が付くとそれがその人の生活パターンになる。
そのうちには「なんで、先生!一日ぐらい、良いじゃないですか!」と文句を言うようになる。知らず知らずのうちに「おまけ人生病」に感染したようなのだ。
何かやらなければならないことを3%とか5%とか、社会はおまけしてくれる。「そう言ってくるから」と期限を緩めたり、値段を下げたりするのだ。5%のおまけに慣れた人は、今後はその5%が当たり前になり、そこからさらに5%のおまけを期待するようになる。
かくして10年も経つと、1.05の10乗は1.6。1.6の逆数は0.6だから、いつも「6割人生」を送るようになる。人の6割で生活をする。すっかりその癖がついてしまうのである。
6割人生の人には6割の幸福しか与えられない。人間は能力ではない。自分の力でできること、それを誠実に100%やることではないだろうか?どうせ・・・というと少し言葉が厳しいが、どうせ私がやっていることが大切なことかなど判らない。意味が無いかも知れない。でも私にできることは、その日、その日に与えられたことを精一杯やることだけだ。
人間、くじけそうになることがある。でもくじけることはない。自分にできることしか自分にはできないのだし、もしできなくてもそれは自分の運命だ。だから上手くいかなくてもくじけない。自分からはくじけないし、おまけもして貰わない。自分はそれで良い。
おまけ人生は結局、自分の人生をダメにしてしまうような気がする。
おわり