― 燃える家と役所の窓口 ―
私は学生によく次のような話をします。
火災現場のシーン
・ ・・目の前に火事で燃えている家がある。消防車が駆けつけて消火を始めた。その時、ちょうど時間は4時55分だった。
消防士が必死にホースで水を掛けている時、どこからか終業を知らせるベルが鳴った。消防士は「我々は公務員ですから、これで帰ります」といって放水を止めて、燃える家を後にして帰ってしまった。
火災は消さなければならない。でも消防士にも個人的な予定もあるし、子供もお父さんと一緒に夕食をしようと楽しみにしている。公務員なのだから5時に退勤するのは当然だ・・・
役所の窓口のシーン
・ ・・目の前に窓口に駆けつけてきた人がいた。その役場の窓口には担当の人がいたが、ちょうどその時、終業を知らせるベルが鳴った。
窓口に来た人 「すみません。どうしても証明書がいるので、私の母が・・・」
窓口の人 「すみません。今日は終わりました。また明日、来てください」
窓口に来た人 「お願いします。母が・・・母が・・・」
窓口の人 「すみません。終わりましたので」
役所の窓口は5時に終わる。大学の事務も5時に終わる。私がある時に、北海道のある博物館で調べ物をしていたら4時40分に出てくれと言われた。20分は「後始末」をするのに必要だそうだ。閉館時間は5時となっていたが。
私は学生に言う。
「研究というのは消防だろうか?それとも役所の窓口だろうか?期限が間に合わない研究でも、定時になったら帰って良いのだろうか?」
「この社会には専門家と専門家ではない職業の人がいる。専門家は自分の人生の時間より、職業の時間を重視する人たちだ。消防士は専門家だから火事の家を前にしては帰らない。警察官も専門家だから泥棒を追いかけている時には業務を終わらない。
医師は手術の途中で5時になったからといって帰らない。私たち研究者も期限が間に合わない研究や、実験中には帰らない。それが我々の任務だ。もしそれがイヤなら役人になればよい。」
でも、それも本当だろうか?この社会に専門家ではない人という人はいるのだろうか?役所の窓口の人と消防士は何が違うのだろうか?役所に勤める人はみんな自分だけのことを考えている人だろうか?役所の人で自分たちの仕事の対象がそこに住む住民と思っている人はいないのだろうか?
おわり