―争いの原因―

 

 日本の近くにある民族が住んでいた。この民族にも「神様」が存在し、篤く敬い、そして生活の中に祈りがあった。

 この民族は「漆(うるし)」をことのほか大切にしていた。交易によって遠い世界から手に入れることのできる漆器は彼らの神棚に飾られていた。彼らは優れた工芸の技(わざ)を持っていたので、漆の作り方を習い、それを自分達のものにすることは容易だった。

 でも、彼らは漆を作ることをせず、自分たちが作った素晴らしい工芸品と交換して漆を得た。

 この民族は「鉄の製品」をことのほか大切にしていた。それは彼らが狩猟をもって生活の糧にしていたからであり、狩猟には鉄の製品が大いに役にたったからである。鋭い刃物は猛獣と戦うときにその威力を発揮し、小さい鏃は小動物を射止めるときに必要であった。

 でも彼らは鉄の製品を自分たちで作ろうとはしなかった。彼らは交易で得た鋭い刃物を使って猛獣を狩り、その毛皮を持っていって新しい鉄器を受け取った。猛獣を狩るのは命の危険があったが、それでも彼らは鉄の製品を作ろうとはしなかった。砂鉄もあったし、炉を作ることもできたが、それもしなかった。

 なぜ、彼らは大切な漆も、必要な鉄器も作らなかったのだろうか?それは彼らには守るべき道徳があったからである。それは、難しいことではない。

「人のものは人のもの、
自分のものは自分のもの」

 人のものが大切なら、自分の大切なものを持っていって交換して貰う。人のものが必要なら自分が命を賭けて採ったものと交換する。漆を作ったり、鉄を作る技術はあくまでも「人のもの」であり、それを「自分のもの」にはしなかった。

 「人のものが欲しいときには、自分を磨く」
というのが彼らの考え方である。それはものでも、土地でも、そして技術でも同じだった。漆も鉄器も苦労して他人が開発した技術である。そしてその技術で他人は生業を守っている。

 もし、その民族が技術に長けていたらたちまちの内に、技術を教えてくれた人たちを超え、それは必ずその人達の恨みを買うだろう。また、もし技術に長けてなければ、いつまで経っても教えてくれた人たちより悪い製品しかできないだろう。だから、人のものは人のもとして尊重した。

 この民族は「アイヌ」である。彼らは人のもの、人の土地、人の技術に手を付けなかった。自分たちは自分たちの文化の中で生き、そして平和に過ごした。

 驚くべきことがある。アイヌは今から2000年ほど前までに主に北海道に住み着いたと考えられるが、その後、北海道の中では、ほとんど諍いや戦争が無かったと考えられている。和人が築城したような城は発見されていないし、頭蓋に刃が食い込んだ骨も見いだされていない。武器も発達していなかった。

 それでも彼らの土地に無断で進入し、大きな顔をした和人とは3回ほど戦っている。でもそれは彼らの本意ではなく、3回とも戦いの途中で和睦を誘われ、騙されて敗れている。戦争は人間の性のように言われるが、戦争のない民族は地上に存在したのである。

 一体、人が争う原因はなんだろうか?それには深く暗い背景があるが、その一つに、
「人のものは自分のもの」
という奇妙な前提があることが挙げられる。

 人間は時として人をうらやみ、人の持っているものが欲しくなる。最初は頭を低くしてもらいに行くだろう。それでも手に入らないときに「暴力」で手に入れようとする。それが戦争である。

 和人と呼ばれる私たち日本人も、卑弥呼の時代から日本列島の中で戦いを繰り返してきた。神武天皇が美々津の港をご出航になった時をもって「日本海軍発祥」とされているが、軍隊は和人の集落ができてからずっと存在したのである。

 アイヌには職業軍人はいなかったと考えられている。北海道という広いところに推定20万人近くの人が住んでいて、定住で狩猟民族である彼らの土地には、サケが多く遡上するところもあり、クマの狩猟に適した所もあった。でも彼らはそれはそれとして、決して土地争いもしなかったのである。

 私たちは「技術導入」は当たり前のことと思っている。自分の所にない技術で必要なら導入したら良いじゃないか。お金を払うもよし、もし相手に隙があれば盗んでもよし、ともかく技術導入は正しいと確信している。でも本当に人のものをとることは正しいのだろうか?

 近代ヨーロッパの思想は「人のものは自分のもの」を徹底した文化の上に生まれた。だから武力を手に入れると、アジア、アフリカ、南アメリカの大半の国を植民地にした。植民地になった人々の了解を得たのではない。無理矢理、暴力でねじ伏せただけである。

 日本は明治維新以来、この暴虐な相手と戦い続け、独立を保ち、そして太平洋戦争に敗れた。その結果、私たちの心まで「人のものは自分のもの」という彼らの道徳を学んでしまったのであろう。

 もう一度、私たちは私たちの隣人であったアイヌの優れた文化を学び、そこから再出発しようではないかと私は思う。

 

おわり