マリーとピエール

 「ウラニウムとトリウムを含んでいる鉱石は放射線を出すという点では極めて活発である。私たちはそれがウラニウムやトリウムよりもものすごく強力であることを示し、それが全く新しい物質に基づくものであるという意見を述べた」
(ピエールおよびマリー・キュリー、1898年7月18日付け研究所報告)

 ラジウムの発見で有名なポーランド人、キュリー夫人はその生涯に二度のノーベル賞を受けた。一つ目は1903年のノーベル物理学賞、二つめは1910年に授与されたノーベル化学賞である。彼女の学問上の功績は、夫であり優れた物理学者であったピエール・キュリーの助けによったと言われることもあるが、キュリー夫人の研究方法は彼女の科学者としての優れた才能を示している。

 マリーは1867年、ポーランドのワルソーで中学校の理科の先生の末娘として生まれ、24才でパリ大学理学部に入学した。彼女がパリに行ったのは姉のブローニャがパリに医学の勉強に行き、その地で結婚したという偶然の産物であったが、それが後に人類史上、特筆すべき大発見を生み出す。

 マリーはパリ大学では非常に優れた学生として認められていたが、それでも大学を卒業して研究生活に入ると環境は決して良くなかった。伝統あるパリ大学の権威はポーランド生まれの女性をそれほどスムーズには受け入れず、彼女の苦しい研究を支えたのは他ならぬ夫ピエールであった。 

 彼女の科学上の業績は素晴らしい。とにかく、原子が崩壊すること、原子力というものがこの世にあることを実証したのである。彼女の発見の前、人類は多くの答えに解答を得られなかったのである。

「太陽はなんであんなに光っているのですか?」
「錬金術で鉄を金に変えることはできるのか?」
などの問いはキュリー夫人以後、答えられるようになる。

 ピエールとキュリー夫人には2人の子どもがいた。

 「イレーネは片手で"ありがとう"をする……今では“はいはい”もよくでき、そのときは"ゴグリ、ゴグリ、ゴー"という。一日中、庭の芝生の上で遊んでいる。転んだり、立ち上がったり、座ったりするのだ。」

 この日記は彼女がラジウムの発見に全力を注いでいた1998年7月20日のものである。結婚生活は経済的にはとても苦しかったけれどもピエールと二人の子供に囲まれ、マリーにとっては精神的には充実した生活であった。彼女は天才的な頭脳を持ってはいたが家族に対する愛情はことのほか深かった。

 「1899年1月5日、イレーネの歯は十五本になった。」

 学者としての情熱、その真摯な研究態度、そして科学的業績に加え、夫婦愛という点でも、マリーとピエールは飛び抜けて素晴らしいカップルといっても良いだろう。

 でも運命というのは皮肉なものである。ノーベル賞を取り、苦しい研究生活が一転して栄光の日々に変ったとき、夫ピエールは馬車の事故で他界する。1906年4月19日、マリー・キュリー39才。ノーベル賞受賞からわずか3年目のことだった。

 「わたしのピエール。わたしはどこまでもあなたのことを想う。私の頭はそのことで痛く、理性は乱れる。愛する夫の微笑みなくして今後も生きなければならないとは、わたしにはわからない。 2日前から庭の木は葉を付け美しくなった。その庭で子供達が遊ぶ。そして、あなたがかれらを見たらどんなに良いと思っただろう。きのう墓地でふとわたしは石に刻んである"ピエール・キュリー"という字が判らなくなってしまった。」

 「わたしのピエール。わたしは昨日はよく眠った。起きてからまだ十五分と経たないのにわたしは何かに怯えて大きな声で叫びたくなる。」

 「わたしのピエール。えにしだの花が咲き、藤やしょうぶが咲いている。わたしはそれをあなたに言ってあげたい。みんなあなたの好きな花だった。わたしはもはや太陽も花も好まなくなってしまったことをあなたに言いたい。あなたが死んだ日のような暗い天気の方がわたしには感じがいい。」

 その後のキュリー夫人は夫の後を受けてパリ大学の教授となり、2回目のノーベル賞を受け、ラジウム研究所の所長となり、第一次世界大戦には放射線治療班を組織して負傷兵の看護に奔走した。67才で白血病で死去。

 私はキュリー夫人の研究記録を幾度か読み、科学者としてのキュリー夫人を尊敬している。家族の助けを得ながら子供を育て、生涯にわたって自然現象に対する真摯な興味を失わなかった。

 でも同時に私は複雑な心境である。これほど立派なキュリー夫人の業績が、やがて原子力技術を産み、それが原子爆弾へと発展する。すでに広島長崎で大きな災害をもたらしたが、将来、人類が原子爆弾で滅びる可能性は残されている。

 「原子力も役に立っている」というのは科学者の言い訳だろう。「広島長崎で亡くなった方の数は人類全体と比べて少ない」などの理屈には私は与(くみ)しない。

 科学がいかに素晴らしかろうと、またキュリー夫人がどれほど立派だろうと、人間の頭脳はあまりにも利己的で短絡的であり、科学を人類の財産にすることができないと感じる。だから科学の活動は止めるべきなのだろう。

 

(お断り:ここで引用したキュリー夫人の日記などの著作物(原著)は著作権が切れていますが、翻訳は私の古いノートに書き留めてあったもので、書籍を探すことができませんでした。もし翻訳に権利が残っていたり、翻訳通りでない可能性もあります。キュリー夫人の業績を記すためにご容赦願いたいと希望しております。)

 

おわり