― 岡倉天心とブッシュの民主主義 ―

 

 江戸時代の末期に生まれ、大正のはじめに亡くなった岡倉天心という人がいます。かつては有名な人だったのですが、今ではテレビに出てくるタレントより名前は知られていません。いわゆる「偉人」の一人ですが、奇妙なところもあります。

 まず一つは彼の経歴と能力です。江戸末期に生まれ、物心がついた頃には明治維新になっていました。利発な青年だったので明治10年に東京大学に入学、一時、文部省に勤めますが、美術に長けていたこともあって明治23年、まだ20歳台の若さで東京美術学校の校長に就任します。この美術学校は現在の東京芸術大学ですから、若くして芸術大学の学長を務めたことになります。

 後にボストン美術館の東洋部長となり、横山大観、下村観山、菱田春草など錚々たる明治の画家を育てたことでも有名です。

 その後、中国、インドなど海外で長く生活をして明治の末期には東大で美術史の講義をしています。新渡戸稲造や鈴木大拙と同じように、国際人であるということです。普通、英語が達者で国際人というと、決まってヨーロッパやアメリカを尊敬していることが多いのですが、彼は逆でした。

 有名な著書としては英語で書かれた「東洋の理想」があり、そこで彼は有名な”Asia is one.”という言葉を残しています。

 ・・・アジア人は、なぜヨーロッパやアメリカ人のもとで呻吟しているのか!アジア人は一体となって白人の隷属から逃れなければならない!・・・と彼は激烈な言葉で語ります。英語が達者な国際人で白人文化をけなす人はそれほど多くはありません。

 彼の奇妙な二つめは、文章があまりに激烈だということです。「偉人」と言われる人はその思想は激烈でも、多くの書物にはその激烈さが直接出ることはありません。穏やかな中に熱い心が感じられるというところでしょうか。

 ところが岡倉天心の文章は激烈です。

「アジアの兄弟姉妹たちよ!
 おびただしい苦痛が、われわれの父祖の地を蔽っている。東洋は柔弱の同義語となった。土着の民とは奴隷の仇名である。われわれの温順にたいする讚辞は反語であって、西洋人からすればその礼儀正しさは臆病のせいなのだ。商業の名においてわれわれは好戦の徒を歓迎している。文明の名において帝国主義者を抱擁している。キリスト教の名において無慈悲のまえにひれ伏している。国際法の光は白い羊皮紙のうえに輝いている。だが、あますところは不正の翳(かげ)が有色の皮膚に暗く落ちている。」

 私が岡倉天心の激烈な言葉で一番、印象に残っているのは、
「キリスト教の牧師はあれほど穏やかなのに、なぜ、あれほど残虐なことをするのだ」
という意味のことを読んだ時でした。物事を真正面から見る岡倉天心にとってみれば、許し難い二重人格性だったのでしょう。

 私も岡倉天心と同じ思いを持っています。
花の都パリ、素晴らしい絵画や音楽、そして数学。あれほど薫り高い文化を生んだがフランス。大革命で人間の平等を高らかに唱えたフランス人。彼らが植民地ベトナムでしたことを思い起こすと、あの絵画や情熱はどこから来るのかと訝しくなることがあります。

 ところで最近、アメリカのブッシュ大統領がテロ対策で電話機の盗聴を行っていたことの言い訳はかなり面白いものでした。同時に、「中国の人権問題」についてのブッシュ大統領のコメントも紹介します。

 アメリカの新聞”USAtoday”の、米国家安全保障局がテロ対策の一環として電話会社から市民数千万人分の通話記録を極秘に収集していたとする報道に対して、ブッシュ米大統領は、
「自身が許可した通信傍受は合法的で、政府は裁判所の令状無しに国内での盗聴を行っていない。我々のすべての活動では、一般市民のプライバシーは堅く守られている。米国市民の私生活をせんさくしたりはしていない」
と言ったと報じられています。

 民主主義で個人の通信の秘密は、基本的に大切なことで、個人通信を盗聴する社会というものは、20世紀ではナチスドイツ、スターリンのソ連などがその典型的なもので、これこそ「全体主義」の典型的なものなのです。
 
 そのブッシュ大統領が同じ日に中国の作家と大学教授に会い、中国政府の政策が「非民主的」であると非難した後、次の様に言っています。
「故マーチン・ルーサー・キング牧師を手本とした非暴力、平和手段による民主化活動を全面支援する」

 自らの盗聴、アフガニスタンやイラクへの暴力・戦争手段による民主化・・・これが同じ人の言動なのかと思わず驚いてしまいます。だから「ブッシュはダメだ」という人もいますが、私はこれこそ「ヨーロッパ、アメリカの二重人格性」だと思っています。

 素晴らしい文化、芸術、そして政治体制。学問、科学・・・私たちがヨーロッパに学ぶものは多くあるような気がします。でも同時にそれはすべてが幻想であり、学んではいけないもののように感じられるのです。

 岡倉天心が強く警告したように、欧米の文化は考えられないほどの二重人格性を持っています。このことを私は「両価性」と言っています。両価性というのは精神分裂病の患者さんの言動を表現するのに使われていた言葉で、「明らかに価値観の違うことを同時に行う性質」を言います。

 欧米文化の両価性は、
・・・人間は平等だ、平等ではない
・・・民主主義が正しい、全体主義は正しい
・・・平和は大切だ、戦争は大切だ
・・・男女平等だ、女は男の所有物だ
ということで、それが目の前で見せられても、私たちは頭が混乱して、自分たちの価値観に沿うことだけを認識します。

 そうすると、アメリカは、
平等で、民主主義で、平和を尊重し、男女平等
と思いますが、同時に、
不平等で、全体主義で、戦争好きで、女性を所有物扱いにする
ということなのです。

「ブッシュの民主主義」の中には、このように、民主主義そのものが持っている未熟さと、ヨーロッパ・アメリカ文化が持っている両価性が共に含まれていて、それもブッシュ本人の問題では無く、アメリカ人全体がそうなのです。

おわり