― 美しい心・つけ込む心 (3) ―

 

 NHKの受信料問題を例にとって日本人がなぜ世界でも希な「美しい心」を持っているのかを考えてきた。それはおそらく相手が「美しい心」で来た場合、こちらはそれに「つけ込む心」を持ってはいけないことを強調した。

 NHKの受信台数が増えた頃、NHKは受信料を半分にすべきだった。そうすれば受信料を払う国民の「美しい心」にNHKも「美しい心」で応じたことになった。でも事実はそうは進まなかった。NHKも人の子で、「一度、受信料を下げたら、もう上げられない」という恐怖心で受信台数が増えても受信料を下げなかった。

 そこにNHKの肥大化の元があるのだろう。そして、どの組織でも大きくなればいろいろな人がいるのだから、NHKの不祥事をあまり厳しくは言いたくないが、「国民からいくらでもお金を取れる。放送法第32条がある限り、いざと言う時には強制的に取り立てることもできる」と錯覚する人が出るのも不思議ではない。

 そんな錯覚が不祥事の原因になっているとすると、これまでのNHKの受信料の取り立て思想の根源に拘わることになる。そこでもう少しこの問題を考えてみたいと思う。

 NHKの「過取り立て」はテレビの普及率以外にも見られた。その一つが「無収入の家族からも受信料を取る」ということであり、もう一つは「世帯数が増えても受信料を下げなかった」、ということである。

 放送法第32条が制定された当時、受信機は収入のある一家の主がテレビを購入し、それを家族で見た。二階で漫画を見ていたどら息子はときどき、ボーッとした顔をして居間に降りて来てテレビを見た。でもNHKはそのどら息子から受信料を取らなかった。

 どら息子が見ても見なくてもNHKの労力も経費も同じだからである。

 ところが、個人主義が進み、一部屋に一台という時代になると、息子は自分の部屋でテレビを見るようになった。その瞬間、放送法第32条に書いてあることは国民には理解ができない内容に代わった。

 放送法第32条には「受信機を設置した者」が払うのだから、お金を出したと言う点ではオヤジ、もし、どら息子が自分でテレビを二階に持って行ったのなら息子ということになる。また放送法では「設置した者」が一つの家の中に複数台据えたときにどうするかは書いていない。一家に一台だろうが二台だろうが、NHKの経費は同じだから受信料も同じというぐらいの根拠しかない。

 この問題は簡単なようで奥が深い。そもそもNHKの「受信料」というのは「テレビを見るから払う」のか「テレビを設置したから払うのか」ということも関係してくる。日本の国語では「受信料」というとテレビを見たら払うという意味であり、テレビを買ったら払うなら「受信機設置料」と呼ばなければならない。

 NHKは2度ほど、受信料の税金化、つまり「契約」によらずに強制的に取るという法律を国会に出しているが、私がNHKの会長なら、まずは「受信料」というなら放送法第32条を変えて、「NHKを受信する意図がある者」と表現を直すし、もし「受信機設置料」なら、受信料という言い方を止めて受信した人から受信機設置料として収入を得たい。

 さて、あのどら息子が家にいる間はまだなんとかなったが、息子が東京の大学に入り下宿したのでややこしくなった。テレビを設置したのは収入のあるオヤジだが、オヤジは東京に出張する時、息子の下宿に泊まったときしかテレビを見ない。現実にそのテレビを見るのは息子である。でも息子はあくまでオヤジから借りてテレビを見ているのであり、受信機を設置したのはオヤジである。

 もう少し複雑な例がある。ある人が仙台と東京を往復するので、東京と仙台に家を持っている。週に4日は仙台、3日は東京にいる。仙台にいる時には仙台のテレビを見て、東京にいる時には東京のテレビを見る。仙台にいる時に東京のテレビを見ることは物理的にできない。

 もしNHKの受信料が「受信」によって発生するならば、その人は一台分しか支払わなくて良いはずである。二台分もNHKに払ったら失礼になる。NHKも紳士だから「見ることもできない受信機に受信料は要りません」と言われるかと思ったら、どうも払うらしい。(公表されていないので、交渉ごとらしい。)

 このような事例をさらに深く考えなければならないのが「世帯数の増加と受信料」の関係である。下の図に示したが戦後、「家」の制度が無くなり、日本は大家族から核家族になった。そして世帯数は増加し続けている。

 NHKの受信料は世帯数の増加に伴って増加しているが、テレビの普及の時と同じように世帯数が増えてもNHKの労力は変わっていない。大家族でも核家族でも番組を制作し、配信するには同じ労力が必要だからである。

 これはサービスが「物」と「情報」で決定的に違う。メールを使っている人は実感があるが、手紙なら10通だせば800円だが、メールなら1通でも100通でも同じである。情報配信は個数ではない。だからNHKの受信料は「受信機の台数」ではなく、NHKが「配信にかかる費用」を「NHKを見たい人」で割って受信料を決めなければ矛盾が生じるのである。

 テレビが普及した時が受信料を下げる一回目のチャンス、そして世帯数が増えた時が二回目のチャンスだった。惜しかった!

 もし、一度でもNHKが「受信料を下げたいのですが」という理由で我が家を訪問してくれれば、「視聴者のためのNHK」になれた。惜しい!受信料を取り立てに来たと思っておそるおそる扉を開けた視聴者は感激してくれただろう。

 それにしても、「NHKが家に来る」というと「取り立て」以外には経験がない人が多いのではないか。私も人生で一度ぐらいは視聴者である私の財布を軽くする用事で玄関を開けたいものである。

つづく