― 1972年生まれ ―

 1972年、今から34年前だが、どうやら将来の歴史家が日本の時代をそこで区分するような変化が起こったらしい。明治、大正、昭和というような年号は確かに、その時代の特徴を表現することはできるが、年号自体は天皇が崩御することによって区分ができる。

 1945年の終戦と共に戦争の時代が終わったことも日本にとっては大きな時代の変化である。しかし、江戸時代以前は侍には戦争があったが、平民にとっては基本的にはときどき侍が戦争をするだけだったし、また飛鳥時代以前はそれほど大きな戦争もなかった。だから1945年も大きな時代の変化ではあるが、1972年に比べればたいしたことはない。

 上の図は日本における粗鋼生産量を示したものであるが、1972年まで毎年、右上がりで増えてきたのが、バタッと止まり、それから既に34年。日本の粗鋼生産量は1972年からピタリとも動かない。これは日本だけではない。世界全体では10年ほど早いが1963年からまったく同じ動きをしている。

 私は「材料」を専門としているので「鉄鋼」というと「材料の王様」であり、人間の生活と直結しているという感覚がある。紀元前14世紀、ヒッタイトからもたらされた良質の鉄製品が当時の文明諸国に伝わり今日に至る鉄器時代の幕が開いたのである。

 それから3300年間、人間は鉄鋼の生産量を増やし、それを中心にして「豊かな生活」を実現しようとした。普通の意味での「豊かな生活」というのは「物」が多いことであり、それが自分の生活の中で使われることである。だから材料が無ければならず、その中心的存在が鉄だった。

 これをわかりやすく言うと「豊かになろうとすれば鉄を増産しろ」ということであり、戦時には「鉄は国家なり」となる。

 それが1972年に終わる。これを素直に受け取れば、
「人間は3300年続いてきた物質追求の時代を終えた」
ということなのである。これには、ビックリする。そんな大きな変化が自分が生きている間に起こったということはにわかには信じられない。直近だから大きな変化が起こったように思うだけで、1000年も経てば1972年など忘れられるだろう、とも思う。でも、その後の社会を見るとどうも否定もできないのである。

 その一つが1972年から始まり1990年まで続いた「金融バブル」である。この間、約20年。「物」を増やす必要が無くなったので鉄鋼を増産しなくなったのだから、経済活動を拡大する必要はなかったのだが、「架空の物」を欲しがった。なにせ3300年の間、物を増やすことだけをやってきたのだから、慣性力としては仕方がない。

 その次、1990年からおそらく2010年までの20年間は「環境バブル」が進んでいて、いずれは弾けるだろう。なぜかというと大気も綺麗、水も飲める、公害患者も少ない、食品も安全、寿命は世界一、ダイオキシンも環境ホルモンも幻だった・・・あなたにとってなぜ「環境」が問題なのだろうか?

 2010年から、3番目の幻想、バブルが発生するのか、あるいは本当に「物」の次に人間が求めるものが登場するのか、それはわからない。

 ところで1972年に生まれた人が心配である。今、34才。この人たちは赤子の時代から「目的の無い社会、目的の無い人生」という架空の中で成長してきた。34才以上の人は少なくとも一時期は「物が欲しい」という環境にあったが、34才以下の人はバブルしか経験していない。

 「物が欲しい」という世代が「物」以外の価値観を生み出せるとは思えない。なにも目的が無くバブルの時代に生きてきた世代は爆発的、衝撃的にしか新しい価値観を作ることができないだろう。おそらくは、現代において現代に生きていない人たちから出てくると私は思う。

おわり