― Inverse Principle (逆向きの原理) ―

1. 長く生きると命が惜しくなる。
2. お金持ちはケチである。
3. 科学が進歩すると社会が危険になる。
4. 教育を受けると人格が下がる。
5. 種が進化すると種は滅亡する。

 実に不思議なことだ。

 若い頃は命が惜しくない。まだまだ人生の先が長いのに、命の執着はない。だから若者は敵が機関銃を撃ってくるのに突撃ができる。年をとるということは何十年も生きてきたことを意味する。60年も生きればずいぶん、多くのことができただろう。だから後はおまけのようなものだ。

 でも実際は違う。年を取ると命が惜しくなる。命の大切さがわかり、若い頃より慎重になり、時には臆病にもなる。

 お金持ちがケチなことはよく知られている。毎月30万円の収入なら、30万円を使う。宵越しの金は持たない。これが60万円にもなると貯金がしたくなる。どの程度、貯金したらよいか判らないので、毎月25万円使って、35万円貯金することすらある。

 90歳で天命を終えた実業者がいた。私はその人を尊敬していたが、亡くなった時の遺産が275億円と発表されて、唖然とした。もし100歳まで生きることができて、毎日、10万円を使ったとしても4億円も使えない。270億円は無駄である。なぜ、かわいそうな人に寄付しなかったのだろうか?

 命もお金も「逆向きの原理」が働く。逆向きの原理とはそのもの自体の目的と結果が必然的に逆向きになることである。お金というのは生活を豊かにするために「使い切る」ことを前提にくるものである。それがお金が多いほど使わなくなることを逆向きという。
 
 科学というのは一部の活動を別にして「自然の原理を活用して人類の福利に役立てる学問」である。だから科学が進歩したら、人類は幸福になるはずである。国連が大規模なアンケートをして「社会が進歩して安心な社会になりましたか?」と聞いたら、多くの国の人が反対だと答えた。

 特に科学技術が進み、その恩恵を受けている日本人は実に8割以上の人が危険になっていると答えている。2005年12月31日に発表された政府の科学技術計画は「逆向きの原理」を推進する内容になっている。科学技術計画に哲学がないからそうなる。(これに関しては「人生の鱗・科学者の目 其の三十三 -科学技術計画の哲学-」を参照。)

 実は教育も哲学がない。

 教育を担当している私が従来から感じていることは「学生に勉強をさせるほど、人格が下がる」ということである。また偉い人を見ると庶民より人格が低いのが一般的である。

 小学生は毎日、学校に行き、一所懸命勉強し、はきはきと楽しく過ごす。大学生は、サボってばかりいて、友達のレポートを写して提出し、暗い。

 大学4年生は卒業論文発表で答えられないことを聞かれると「すみません。わかりません。」と答える。大学院修士課程2年生は修士論文発表で答えられないことを聞かれると、科学的に間違っていることでもなんとか誤魔化そうとする。

 いわゆる教育のない人は額に汗して働き、賃金をもらって実直に生活をするが、高度な教育を受けた人は社会的に指導的立場にいるのに、汚職をしたり脱税をしたりする。

 世界で一番、優れた物理学者であったオッペンハイマーは原子爆弾を作り、20万人を殺した。長崎に親子4人で住み、被爆した少年は、両親の埋葬をし、数日して死んだ弟を背負って共同埋葬墓地に来た。

 教育は人をダメにする。オッペンハイマーより長崎の少年の方が比較にならないほど人格が高い。

 今から数億年前の中生代。恐竜がこの世を支配していた。2億年の長きにわたり生存したこの動物は、中生代のはじめに誕生した頃には、小さい動物だったが、他の動物に勝つために「進化」して巨大になった。絶滅の原因は隕石とも言われるが、最後には頭の指令がしっぽまで行かないぐらいになっていた。隕石が落下しなくても恐竜は絶滅した。

 「発展そのものが破滅に向かう。」というのは、すでによく知られた原理である。「発展の目的」は「繁栄」することだが、目的通りにはならず、反対になる。

 歴史上、逆向きの原理を最初に発見したのはお釈迦様で、今から2500年ほど前であり、それを普及したのはイエス・キリストであった。多くの宗教指導者は逆向きの原理に気がつき、「発展を望んではいけない。今日が幸せなら、それで良い」としている。

 その人達は「不幸な人は幸せである」「何も持っていない人は豊かである」と言っておられる。これが「逆説」に見えるのは、私たちの頭が逆になっているからで、これも逆向きの原理を心から理解していれば素直に納得できる。

 逆向きの原理を理解し、納得し、実践していたのは、日本の北海道に住んでいるアイヌである。彼らは、この世の本質を理解していた故に、2000年間にわたって戦争をしかけず、平和で豊かな生活をしてきた。今こそ、私たちはアイヌの人たちを尊敬し、アイヌの文化を学び、そしてそれを私たちの生活の中に取り込まなければならない。

おわり