― イボタとイボタ蛾の決戦 ―

 ミヤマイボタという樹木がある。背が低くて落葉する。モクセイ科の植物で、白い綺麗な花をつける。

 ところが、可憐な花の感じとは違い、ミヤマイボタの葉をかじってみると非常に渋みの強い味がする。この味が今回の話題である。南方の植物マカランガが絶え間ない虫の攻撃に耐えるために体の中をほとんど全部空けて、アリと共生するように、イボタも自らを守るのに必死である。

 イボタの作戦は昆虫の幼虫が葉を食べに来たら、その葉の中に毒物を含ませておいて、それでやっつけるというものである。でも、昆虫だけに効く毒物というものはなかなか難しい。そこでイボタは、
「昆虫が葉を噛んだら、葉の中にある袋が破れて、葉の中の化合物と反応して毒物になる」
という高度なシステムを考えた。

 毒物を作る原料は二つ。一つは葉の中の細胞質などに安定な状態であるもの(オレウロペインという化合物)、もう一つは細胞小器官という袋の中にあるグルコシダーゼやオキシダーゼのような酵素である。この酵素は普段は袋の中に入っているので、細胞の中にあるオレウロペインという化合物とは接触しない。

 さて、イボタの敵というのは、その名も「イボタ蛾」。イボタの葉を食べて成長する幼虫である。そのほかに蝶の幼虫もイボタを食料にしている。

 イボタ蛾の幼虫にとっては食料が無ければ成長できないし、下手をすれば死んでしまう。一方、イボタはイボタ蛾のために生きているのではなく、自分が生きるために生活をしている。やすやすと葉を食べられるわけにはいかない。

 イボタ蛾の幼虫が、イボタの葉をかじると、葉の中にある細胞小器官の袋が破れる。イボタ蛾の幼虫もそこまでは判らないので、ガリッと噛むと袋も破いてしまうのである。そこからグルコシターゼとオキシダーゼが出て、オレウロペインと反応する。

 有機化学に弱い人は少し難しいかも知れないが、オレウロペインの左にOH(水酸基)が2つついたベンゼン環がある。それがポリフェノールオキシダーゼと反応してH(水素)が抜けて酸素だけになる。これをキノン型と言っている。

 オレウロペインの右には酸素が入った六員環があるが、これがβ―グルコシダーゼと反応して、六員環が開いてCHO(アルデヒド)になる。反応前の化合物よりずっと不安定になって、かなり多くのものと素早く反応するような形になる。

 これが葉の中にあるタンパク質やイボタ蛾の幼虫の口の中のタンパク質と反応する。タンパク質は体を作っている物だから、かじられたイボタの葉も死んでしまうが、イボタ蛾の幼虫の口もしびれて使えなくなる。

 この効果を調べた研究がある(今野浩太郎,「昆虫と自然」、34巻、6号、p.14-18 (1999))。カイコに餌を与える時、そのままのものと、イボタの葉から液体を取り出して混ぜた餌とを与えてみる。そうすると、効果はてきめんで、図に示すように普通の栄養を与えたカイコは2日間で体重が5倍にもなるのに、イボタの葉からとったものを混ぜた餌を食べたカイコはさっぱり体重が増えない。

 これではたまらない。イボタの葉を苦労して食べてもさっぱり体重が増えないのだから、厳しい自然の中ではすぐ競争に負けて死んでしまう。イボタの作戦は成功である。

 ところが自然はそれほど甘くはない。イボタが攻撃から身を守ろうとかなり複雑な防御をしてしばらくすると、今度はイボタの葉を食べる幼虫の方が対策を講じてきた。それは、葉をかじったらすぐ、イボタの葉の中にある毒物と反応するものを唾液と一緒に出す。

 それが下に構造を書いた「グリシン」というアミノ酸である。実は、イボタの毒は-NH2というもの(アミノ基)と反応する。幼虫の口が痺れたり、食べても栄養にならないのはタンパク質の中のリジンというアミノ酸のアミノ基と反応するのだが、それが判っているようにイボタ蛾の幼虫はかじった途端に、グリシンを出す。

 グリシンはイボタの葉の中の毒と反応して無毒化する。そうなればこっちのものである。ゆっくりイボタの葉をかじることができる。

 唾液の中のこのグリシンの濃度を測ってみると、普通の昆虫の唾液1ccの中には10マイクログラムも入っていないのに、イボタ蛾の幼虫の唾液には実にその600倍近くも含まれているのである。

 ファーブルが「昆虫記」の中で、「これほど巧妙な仕掛けが自然に出来たとは考えられない。私は自然の中に神を見る」という意味のことを書いているが、本当にそうだ。オレウロペインの構造といい、酵素との反応、そしてできた毒物がイボタ蛾の幼虫のタンパク質のグリシンと反応するから・・・・

 研究に研究を重ねないと、グリシンが毒消しに使えるなど考えつかない。実験室もなく、有機化学の知識も無いイボタ蛾がそんな高級なことを考えつくはずがない。でも、事実、考えついていて、それを利用しているのである。

 このホームページでは物理学の式とか化学反応式などは出来るだけ使わないで話を進めている。でも今回、化学構造や反応を書いたのは、実は訳があった。私たち、人間の学問だけを知っていると、「俺は有機化学はダメだ。亀の子(ベンゼン環のこと)が出てくるとお手上げだ」という。でもこれは昆虫の幼虫でも知っていることである。

 文科系は有機化学はダメだ。ということはイボタ蛾より劣るということになる。でも、どうも見かけでも、話をしても、いかに文科系と言えどもイボタ蛾の幼虫よりは良いような気もする。もちろんそうなのだが、どこに問題があるかがポイントである。

 人間が築き上げた近代の学問というものはある特徴を持っている。それは「わかっているものはわかるが、判らないものは判らない」ということで、「判らないことが判るようになる」ということではない。それは学問に使う用語や対象物の整理の仕方が悪いだけで、本質的な欠陥ではない。

 人間の知恵が増大し、個別の知識や専門用語が膨大になりつつある。それなのに従来の学問のしきたりのまま進めている。これは、それしか思いつかないからだが、これまで哲学や物理をやっていた頭の良い人が「新しい知識の使い方」という分野で仕事をして欲しいものである。

 私は「自然と伝統に学ぶ」ということを軸としてある学問的分野を形作ろうと努力してきた。でもデータの数が少ないとか、方法の厳密性が不足しているなど、これまでの狭い範囲の学問の手法を膨大な新規分野に適合して判断する人も多い。時代は変わり、方法も変化していく。それはイボタが作戦を練れば、イボタ蛾もそれを迎え撃つのと同じである。

おわり