― 髪の毛の力 ―

 人間にとって髪の毛は大きな関心事である。なんと言っても顔の近くにある。髪の毛は顔ではないが、顔と同じぐらいその人の印象に影響を与える。若い女性の黒髪、ヨーロッパ人の金髪、年頃の男性のリーゼント、茶髪、そして年配になると薄くなるのが気になり、最後は光る。

 それほど重要なものだから養毛剤を発明したら大金持ちになると昔から言われている。これほど医学や薬学が発達しても、相変わらず手軽でよい養毛剤はないらしい。年配になるとそっと頭を撫でて人生の秋を感じるのである。

 ところで、少しでも自分を良く見せたいという美容の意味ではなく、髪の毛の本来の効用は?と聞くと10人が10人、「頭を守るため」と答える。正しい。でも髪の毛はそれだけで頭に生えているのではない。それなら、もう少し丈夫なものにして「抜けない」ようにすれば「生える」必要も無くなるのである。

 「なぜ、髪の毛は伸びるのだろうか?」
と考えてみる。体の外に出ているから劣化するのは間違いない。この世の材料はすべて悪くなる(劣化する)が、髪の毛も女性なら5年程度、男性の場合、4年だ。同じく外側から身を守るための材料として「木の皮」があるが、これも3年程度ではがれ落ちる。

 体の外部に出ている材料は数年でダメになるから、いつも作り続けなければならない。髪の毛の根元の構造、髪の毛が生えてくるところを図で示した。根本には毛母細胞というのがあり、そこで新しい髪の毛を作る。原料は血液。

 体の血が毛細管で毛母細胞に流れる。毛母細胞は流れてくる血の中の栄養分を使って髪の毛を作る。簡単な方法だ。もし血液中に髪の毛になるタンパク質の原料がいっぱいあって、毛母細胞が元気なら髪の毛はどんどんできる。でも年を取ると元気がなくなる。

 ところで、今回の話はここから始まる。

 人間が頭で考えた人工的なものと違って、生物は節約家で巧みだ。髪の毛は毎日、作らなければならない。毛母細胞ががんばり、それが伸びて頭を守る。それならついでに・・・と生物は考える。

まず・・頭の髪の毛は劣化する。
だから・・毎日、作り続けなければならない。
そして・・古い髪の毛は捨てていく。
どうせ・・捨てるならそこに廃棄物を入れておこう。
という訳である。

 髪の毛はタンパク質で出来ているので、原料はアミノ酸が使われる。アミノ酸の中でもシスティンと呼ばれるアミノ酸を使ってタンパク質を作ると、血液中の水銀やヒ素のような「廃棄物」を髪の毛の中に「くるむ」ことができる。これを「二座配位子による金属イオンのトラップ」という。

 髪の毛が水銀とヒ素をくるんで、毛母細胞を出発する。そしてやがて外に出て頭を守る。しばらくして髪の毛の先端になり、すり切れてパラリと落ちる。その時に体の中の有害元素が取り除けるのである。素晴らしい!廃棄物を捨てるならこのぐらい巧みでなければいけない。

 ところで、髪の毛の不思議を説明したところで、髪の毛にまつわる脱線を3つ。

第一番目の脱線

 ナポレオンがワーテルローの戦いに敗れてセントヘレナ島に流された。後世になって、セントヘレナ島にナポレオンを流した後、イギリスが恐れてナポレオンを毒殺したのではないかとの疑いが出てきた。なにしろ世紀の怪物だからイギリスも恐れていたのだ。

 そこでナポレオンの遺髪が登場する。遺髪の分析をしてある時から毒物が検出されれば毒殺と判る。なぜなら、髪の毛に水銀やヒ素がたまるからだ。このような判定方法はナポレオン以外でも使われているし、また昔の人の髪の毛が残っているとそれから当時の毒物の摂取の度合いを出している研究もある。


第二番目の脱線

 人体から定期的に切り取られるものは髪の毛の他に、爪がある。髪の毛も切るし爪も切る。それなら、爪にも髪の毛と同じように水銀やヒ素をためようと言うことになる。事実、爪には水銀やヒ素がたまる。そこで、爪が伸びると切られて毒物が体の外に排出されるという仕組みである。

 今度から爪を切る時には、「ここから水銀やヒ素が出て行くのだな」と思いながら切るとまた感慨があるものである。


第三番目の脱線 「スミス氏の散髪」

 スミス氏がある時に散髪に行った。散髪屋の椅子に座りウトウトしている間に、散髪屋がジョキジョキとスミス氏の髪の毛を切った。フト、目を覚ましたスミス氏。
「私の体は、床に転がっているあの髪の毛なのだろうか、それとも椅子に座っているのが私なのか?」

(文中に使用した図は、松崎貴著「発毛と脱毛のしくみ」岩波書店 , (1998.5)から引用しました、)

おわり