― 村山首相の観艦式 ―

 1906年、オランダ海軍は時のヴィルヘルミナ女王の臨席を得て観艦式を行った。ナポレオンの近衛兵の閲兵をはじめとして軍事的な威力を誇示するために軍隊は閲兵式や観艦式を行い、周辺諸国を威圧する。オランダはかつて世界に覇を唱えた海洋国家だったが、20世紀初頭にはその力も落ちていた。それでもオランダ艦隊は錚々たるものだったのである。下の絵はその時のオランダ海軍の偉容である。

 もともと、観艦式というものの起源はこういうことが好きなアングロサクソンであり、1341年、英仏戦争の時に英国王エドワード3世が艦隊を率いて出撃した。その時が始まりである。
 
日本では、明治維新の直後、元年の3月に明治天皇が大阪・天保山沖で観艦式をやっている。参加した艦船は6隻、総トン数は2500トンに満たなかった。もっともその時には「観兵式」と言い、「観艦式」という言葉が使われたのは明治33年である。

その後、戦争の機運が高まり、昭和15年横浜沖で行われた紀元2600年記念特別観艦式は、参加艦艇98隻、総トン数60万トン、航空機527機という大きなものだった。

 戦後は海上自衛隊が観艦式を行うようになったが、その内でももっとも有名なものは、総理大臣に社会党(現在の社民党)の村山富市委員長が就任した時である。平成6年10月16日、観艦式は相模湾で行われ、艦船45隻、航空機52機が参加した。

 多くの日本人がそうであったように、その日は日曜日だった。夕方になると日本の戦後の政治史上、もっとも重大な事件が起こった。その日の夕方のニュースに流れたのは、村山首相が自衛隊の観艦式に出席して自衛隊の艦船に対して帽子を胸において敬意を表しているところだった!!!!??!!!

 当時、社会党が「非武装中立」を掲げ、「自衛隊は憲法違反」と言い続けていたのは国民全部が知っていると言っても言い過ぎではないぐらいであった。事実、社会党が石橋委員長の時に、国会討論で自民党の議員から、
「非武装でソ連が攻め込んできたらどうするんですか」
と聞かれ、
「どうせ勝てないのだから、無駄な抵抗をやめて占領された方が良い。」
と答弁したぐらいである。

 馬鹿らしいというかアホくさいというか、正直というか、子供だましというか、相当な答弁だが、社会党の政策ははっきりしていたのは事実である。これほど言いにくいことを、社会党の委員長(党首)が国会で堂々と言うからこそ、社会党は信頼があった。

 つまり、日本国憲法は武力を持ってはいけないと言っているし、国際的には国家には自衛権が認められているのだから、憲法を改正するか、アメリカなどと同盟を結んで国を守るかのいずれかでなければ論理性を失う。その論理性をも放棄して国を守ること自体を拒否していたのである。

 だから社会党が政権をとれば、必ず自衛隊を解散すると信じていた。もしそうでなければ政治の何を信じれば良いのだろう。「自衛隊は憲法違反だ。憲法に違反する存在を許さない」というのが一番大きな政策だったのだから、国民はそれをそのまま信じるのが民主主義というものである。それで社会党は票を集め、村山富市は議員になった。

 人を裏切るのもこのぐらい露骨なことはあまりない。私は10年以上たったこの事件を振り返り、日本の政治にこのぐらいハッキリした裏切りはあるかと考えてみたが、汚職事件が少しあるぐらいで、国家の政策の根幹に関わることでの裏切りはこれだけしか思い浮かばない。

 人は何を信用するのだろうか?その人が長年の間、その人の信念として語り、行動したことを信じる。特に日本社会のように契約ではなく恩義、誠実などを基本とした社会ではなおさらである。私は教育を担当しているが、学生に「ウソをついてはいけない。自分で言ったことは責任を持たなければいけない」と教えている。でも村山首相が観艦式に出席してから難しくなった。

 日本国の首相が「信念で言ったことより首相としての地位」というのだから、学生に「自分の言ったことに責任を持て」などと言えない。姉歯建築士が偽装をしたというニュースが大きな話題になっている現在、その源流を村山富市の観艦式に見ることができる。

 もちろん、村山富市にも言い分はある。政治とはそういうものだとか、村山内閣の時に戦後の処理もしたではないか、ということである。でもその後の社会党の没落が国民の判断を示している。私もあの時の衝撃を忘れることが出来ない。テレビに出た村山富市は自衛艦に乗船し、帽子を胸に当てていた。その顔は苦渋に満ちていたのではなく、得意満面だった。

 この事件以来、「日本の政治家や政党の政策は、政権を取るためのものであり、政権を取ったら180度変わっても不思議ではない」ということになり、国民は自民党以外の政党に政権をとらせることは出来なくなった。

 村山富市と同じことを共産党や公明党がしたらどうなるだろうか? 共産党が政権を取ったら選挙はすぐ無くなるだろう。村山富市は平成6年6月30日に首相になり、10月16日に国民を裏切っているから、その間、4ヶ月。とすると共産党が政権をとれば4ヶ月で日本は選挙が無くなる。

 村山富市と同じことを公明党がすれば、4ヶ月以内に宗教の自由は無くなるだろう。まさかそんなことは起こらないと思うが、「村山富市と同じことをすれば」という仮定が成立すれば確実である。

 ただ、不思議なことにそれまで社会党員であった人も多いし、内閣に参画した議員もおられる。また自らは議員では無くても「社会党は憲法を守り自衛隊を認めない」と他人に支持を求めた人も多いだろう。その人達から、系統的で親切な解説もない。

 大きな政策転換だから、それまで何が間違っていたのか?政権を取るためにはどうしてそのような道を選択したのか?を説明するべきである。また事後でもよい。村山富市の政権が終わり、社会党が没落した今でも遅くはない。その理由を示してもらいたい。それは社会党という公党の責務である。

 日本の政治にとって大きすぎるほど大きい課題が残っている。そして国会はできるだけ早い機会に村山富市と社会党の国会での説明を求めるのが良いと思われる。政権を取っている自民党は別にして、公明党も共産党も大変な被害を受けているのだから、証人喚問を要求できるだろう。

 首相・村山富市の自衛艦の観艦式出席は日本の道徳を根源から崩した。姉歯マンションに住む人はこの事件の犠牲者である。何を言ってもどう行動しても良いのだから。

 もし裁判制度というものが直接的な被害以外でも訴えることが出来たなら、私は訴えたい。一人一人に被害は少なくても、現在、および将来にわたる国民全体の被害は計り知れない。もし裁判で有罪なら、彼はどの程度の罪になるのだろうか?

おわり