― イオマンテ ―

 クライマックスに達すると女は涙を流し、男は笑いながら杭を押す。

 2本の杭の間には生け贄となる子グマの首が挟まっている。男たちがそれを締め上げると子グマの魂は体から離れる。約1ヶ月をかけて準備をするアイヌ最大の祭礼、イオマンテはかくしてクライマックスの夜を迎える。


(阿寒湖のイオマンテ。著者撮影)

 私たち人間は「心」を持っている。心を持っていること自体は、動物でも植物でも同じだが、わたしたち人間はDNAに書かれた「本能」によって行動するより、後天的に獲得した知識や、心情によって行動することが多い。

 でも、「心」が行動を縛る人間にとって生きることは辛いことだ。川を遡上してくるサケを捕る時も、シカもイノシシも、そして時にはクマや小さくかわいい動物を仕留めた時も、彼らの断末魔の叫び声を聞かなければならない。それは命を頂いて生きる生物の業である。

 シカが草原で草を食べるとき、シカの心は痛んでいるかも知れない。草も立派な生物であり、命があり、希望がある。土の中で芽を出し、必死に地表にでてその茎を伸ばしていくのも自分の生のためであり、シカに食べられるために命があるのではない。

 クマがサケを採るとき、クマの心は痛んでいるかも知れない。サケは何も考えずに川を遡上してくるように見えるが、そうではない。大海で育ったサケは子孫を残すために遡上する。河口に入るとサケは覚悟をしたように何も食べない。そして上流に上ったサケはそこで産卵し、そこで自らの子孫を残すために死ぬ。見事な死であり、人間と比較するとあまりにも潔い。

 しかし、シカもクマも自分たちがそうして命をいただいているからといって、祭礼をするわけではない。祭礼をするだけの能力もないが、それより「そこまで心が動かない」。ところが人間は違う。

 ヒトという生物は異常に頭脳が発達している。その頭脳で巧みに動物を狩るが、同時にヒトの心は痛む。目の前で死んでいく植物や動物の姿を見ると、そこに宿している魂と自分の魂を比較して考える。
「私はこのものたちの命を奪って、自分の命をつなぐ。でも、私の魂はこのものたちの魂を奪うほどのものだろうか?」

 ヒトは悩む。そこで、自分が納得できる回答を探しそれを得て安心する。人間にとって説明をすることは大切であり、狩りの回答とは次のようなものであった。
「神が食物の中に宿り、地上に降りてきて下さる。私たちが収穫するのは神が使わせてくれたものであって、私たちと同じ魂を持つもの生き物、そのものではない。」

 ある人はこれを「ご都合主義」と言う。確かに神も天国も人間が作ったものだ。自分で作って自分で慰めているのだからご都合主義とされる。でもその民族にはそれが回答なのだ。この回答があって初めて、獲物の断末魔の声を聞きながら、明日もまた狩りに出ることができ、心静かな生活を送ることができる。

 幻想の世界に住む現代の日本では考えもつかないことである。

 日本人は今、自分が食べるものが、自分の目の前で処理されることはない。食べ物の命は遠いところで失われ、手元に来るときには四角い形をして冷たくなっている。そこから命を感じることのできない現代の日本人が人類の心を失いつつあるのは当然かも知れない。

 ともかく、その民族は食物に神が宿るが故に、それを頂いた後は祭礼をして神の元に返す。その民族とは北海道に長く住んでいたアイヌである。

 アイヌは生活の中に祭礼があるが、その祭礼の中でも最も大きなものがイオマンテである。イオマンテではクマを生け贄(いけにえ)に捧げ、神に感謝する。しかし、彼らはクマを単に生け贄として捧げるのではない。

 クマは神ご自身がその姿を変えて地上に降りてきた姿である。だからアイヌにとっては最も大切なお客さんであり、神が地上にいる間に面白い踊りをお見せし、大いにご馳走して満足してもらわなければならない。そうしないとまた来てもらえないし、食物を地上に送ってくれないのだから。

 かくしてアイヌはイオマンテの祭りをする。可愛がって飼っていた子グマを殺し、解体し、クマの体と魂を分離し、そしてお祭りをして、神様が大いに満足して頂いたら神の国に帰ってもらう。それをお送りして祭りは終わる。

 イオマンテの祭礼は大きな祭礼なので、その手続きは複雑を極める。直接的な準備だけで1ヶ月ほど前から始まり、クライマックスに向かって進む。最後の夜は恍惚と疲労の中に終わる。

 イオマンテには現代の私たちがすっかり忘れている心を見ることができる。それは人間の心、食物を得ることができることに対する感謝の心、自然に対する畏敬の心、動物に対する優しい心、そして、矛盾したことも乗り越える逞しい心、である。

 私はアイヌ文化を学んで数年になるが、学べば学ぶほど、彼らの文化の深さ、高さに驚く。私たちの文化は破滅に向かって努力する文化であるが、アイヌの文化は持続を前提としている。ただ、持続を前提とした文化より破滅に向かう文化の方が暴力に強くなるという傾向があり、それがこの貴重な文化を滅ぼそうとしている。

 11月の寒い夜。阿寒湖のほとりでイオマンテの祭礼の簡略版を体験した。凍てつく大地と空気、燃えさかる火、2000年の歴史が雄阿寒岳と阿寒湖から風となって吹いてくる。生命、自然、人生、生活、戦争、魂、そして持続性・・・すべてのキーワードを含んで祭礼は続いた。

おわり