― 人のものは自分のもの ―

 

 一人のお金持ちがいた。彼は大金持ちだったが、品性は卑しかった。自分が欲しいものが見つかると それがお金で買える時はお金で買い、相手が売らないとなると、政治家には手を回したり、警察幹部にお金は配ったり、あらゆる手だてを尽くした。それでもダメなときには強奪グループを雇って欲しい物をかっぱらってくる。そんな人間だったが、彼は血筋だけで「貴族」であった。

 彼にとっては買ったものであっても、強奪したものであっても、一度、自分のものになってしまえば、もうしめたものだ。貴重なものが自分のものになったことを見せびらかすために、早速、それを家に飾ってパーティーをする。本当は盗品だから警察の手入れがあるはずだが、そこは賄賂が効いていて大丈夫である。

 こんなことが世の中で堂々と行われていたら、どうだろうか?片方でそんなことがあり、片方で正義がどうのとか、教育がどうのといっても意味がないように思う。

 実は堂々と行われている。その人は、今から約200年前のイギリスの伯爵エルギン卿であり、その行為を受け継いでいるのがイギリスである。

 エルギン卿は大英帝国の貴族でトルコ大使だったが、ある時、ギリシャのアテネに行き、古代ギリシャ時代に作られたパルテノン神殿を見る機会があった。それは素晴らしいものだからたちまち欲しくなった。しかし、パルテノン神殿は国宝として大切にされていたから、当時衰退しかかっていたトルコ帝国ですら売ってくれなかった。

 彼はヨーロッパの貴族だったから、お金持ちで、品性は卑しかった。買えないとわかると、すぐトルコ政府の高官にお金をばらまき、そして作業員を雇い、複製を作るからとウソをついてパルテノン神殿を盗み、イギリスに運んだ。

 パルテノン神殿は、今、大英博物館に飾られている。でも、人のものを盗んで飾っているのは大英博物館だけではない。フランスのパリにあるルーブル美術館にも膨大な数の盗難品がある。世界の人は盗難品を見るために大英博物館とルーブル美術館に行く。それは両国にかなりの観光収入を与えるが、その美術品があった国は貧乏している。

 かつて、昔は日本人もヨーロッパ人も純情だった。だから、
「自分のものは自分のもの」
「人のものは人のもの」
というのは当たり前だった。もちろん盗人はいたが、全員が盗人だったわけではなかった。

 ところがヨーロッパは日本より一足先、今から500年ほど前に、
「人のものは自分のもの」
という生活信条が芽生えた。それ以来、ヨーロッパは七つの海に出かけ、弱い国と見れば軍艦と大砲で脅し、つぎつぎと自分のものにした。

 エジプトやギリシャ、イラクに軍隊と一緒に行って古代の遺跡や美術品を盗んだ。それだけではすまず、アジア、アフリカ、アメリカ大陸のほとんどの国を軍艦と大砲で植民地にした。
「よその国であろうと、なんであろうと欲しければ自分の国」
であった。

 インドを植民地にしたイギリスに対して、インド独立の父、ガンジーはこう言った。
「やがて彼らは出て行く。ここは彼らの土地ではない」
ガンジーが予言したように、もともとイギリスがインドを占領していること自身が犯罪だから、やがてイギリスは出て行ったが、その間、インドの富はイギリス貴族のものとなり、インド人は自分の財産も自分のものにすることができず、貧乏なまま現在に至っている。

 日本人は鎖国をしていたおかげで、明治のはじめまで「人のものは人のもの」と思っていた。だからお金があっても盗まず、女性が着替えをしている時には襖を開けないのが不文律だった。人のものを貰う時にはその人に頼み、了解を得て貰った。その文化は日本の子供にも徹底していて、今日のご飯の足りない子供達ですら、決して人のお金には手を出さなかった。

 日本人は150年前に品性が卑しくなった。今、日本人はかつてのヨーロッパ人のように醜くなり、
「他人のものは自分のもの」
と思っている。最近では日常的に見られるようになった。

かつて日本の家の玄関はたたけば割れる引き戸と簡単な鍵があるだけだったが、今は厳重な鍵が何重にも必要になってきたし、地方によっては夜は危なくて歩けないところも出てきた。

 私たちは、「人のものは自分のもの」というヨーロッパの悪習を捨て、本来の日本人に帰れないだろうか。玄関の鍵を簡単なものに取り替えても泥棒に入られないし、襖には鍵を掛け無くても女性が安心して着替えができるような社会に戻れるだろうか?

「自分のものは自分のもの」
「人のものはひとのもの」
そして、
「してはいけないことはしない」
という日本に私は住みたい。

終わり

(写真は文中のエルギン卿の息子の写真)