―子供の為の子供の教育―

 この写真は江戸末期に外国から来たカメラマンが撮影した日本の子供達である。当時、もちろんカラー写真はなかったので、カメラマンは絵付けをする技師を帯同し、写真ができあがったら写真に色を付けてカラー写真を仕上げたのだった。この写真もそのようにして彩色されている。

 屈託無く笑う子供達。その笑顔は写真を見る人、みんなの心を和ませる。そしてその子供達を見ながらこれも何のこだわりもなくほほえむ大人達。古き良き時代の日本であり、現代の塾通いの子供達にもリストラにあえぐサラリーマンにもない笑顔である。

 少し古い話だが家康が徳川幕府を開いた頃のことである。長崎に住んでいたスペイン人の商人、アビラ・ヒロンは、
「日本の子供は非常に美しくて可愛く、6,7歳で道理をわきまえるなど優れた理解力を持っている。しかし、その良い子供でも、それを父や母に感謝する必要はない。なぜなら父母は子供を罰したり、教育したりしないからである」。

 このヒロンの感想は少し解説がいるだろう。日本人の感覚では父母に感謝するのは、自分を生んでくれてこの世で生を授かったこと、幼児の時にお乳を飲ませてくれたこと、だから「親の恩」があるということである。父母が自分を罰してくれるから自分が成長できる、だから感謝する。親が罰してくれないなら成長できないから感謝しなくてもよいというのはヨーロッパの感覚である。

だからヒロンは、「日本の子供は父母に感謝する必要はない。なぜなら父母は罰してくれなかったから」という日本人には理解が苦しむ感想を述べているのである。

 フロイスも同じように描写している。
「我々の間では普通、鞭で打って息子を懲罰する。日本ではそう言うことは滅多に行われない。」

 江戸時代の日本の子供は甘やかされていた。鞭も打たれず、厳しい折檻も受けない日本の子供達はヨーロッパの人たちから見ると親が教育をしようともしない未開の国と思っただろう。それでは、こんな緩い教育を子供にしていた日本、それから250年ほど経った、江戸時代の末期にはどうなっていただろうか?オランダ副領事のボルスブルッグの記録を紹介する。

「私の近所に住む日本人のほとんどは漁師だったが、いつも丁寧で礼儀正しかった。毎週三回、私の中庭を開けて子供達を遊ばせてやったり、持ってきたおもちゃを貸してやった。私は、あんなに行儀良くしつけの良い子供達を見たことがない。子供達は喧嘩をしたり叫んだりすることもなく、おとなしく遊び、帰る時間になるとおもちゃをきちんと片づけて、何度も丁寧にお礼を言って帰るのだ。」

 幕末の日本の子供に対して、多くのヨーロッパ人、アメリカ人が同じ感想を述べている。特に女の人の旅行記には日本の子供を褒めちぎっているものすらある。私がすでに紹介しているものだが、貝塚で有名なモースが、「貧乏な子供でも、日本の子供は他人のお金を絶対に欲しがらない・・・どうしてだろう、あんなにひもじそうにしているのに、それでも机の上に置きっぱなしにした小銭が盗られることもない」と驚愕している。

 日本の子供は偉かった。行儀正しく、他人のものを欲しがるような意地汚い真似はせず、ご飯を食べる時には手を合わせて仏様に感謝した後、お百姓さんに感謝して一粒も残さない、そんな子供達だった。儒教を教わったわけではなかったが、お父さん、お母さんを敬い、優しいお婆さんが好きだった。

 明治に入って日本にはヨーロッパ流の教育制度が取り入れられた。そして太平洋戦争後は、戦争を起こした反省から平和教育が進み、日教組を中心として自我に目覚めた子供達を作っていった。大学は子供達を受験戦争の中に組み込み、社会はお金持ちになることが人生の成功だと言った。歴史も大人も、そして教育者もマスコミも、みんなで日本のあの美しい、珠のような子供達をこんなにしてしまった。

 でも遅くはない。まだ明治から150年。日本の子供達は大人が「悪い子供になれ」と期待しているので、見かけは大人の期待に応じているだけだ。本当は江戸時代の子供達と同じように純粋な心を持ち、倹約家で、お金より心を大切にする気持ちを持っている。

 先日、私が名古屋の地下鉄から降りようとするとドアーの前に大人が10人ほど殺到してきた。20代半ばと思われる若い女の人、40歳あたりの分別盛りの壮年の人、そして差別語かも知れないが、おばさん達が突進してくるのをかき分けながら降りようとすると、傍らでお婆さんの声がするではないか!

「降りる人が先よ!ケンちゃん、待ちなさい!」

おわり