―歪んだ性、美しい性―

「礼節」という言葉の正しい定義は何だろう?
と幕末に日本に来た外国人が自問自答している。

「私が初めて日本の風呂屋に入った時、あらゆる年齢の男、そして婦人、少女、子供が何十人となく、まるでお茶を飲んでいるように平然と、立ったまま体を洗っていた。そして実を言うと、入ってきたヨーロッパ人も同様に気にもされないのである。・・・同行の若い士官から、慎みがたいそう欠けているとお思いになりませんかと尋ねられ、「慎みがないのは、見る方の眼の問題なのね」と答えた」。

リンダウは言う。
「子供は恥を知らない。だからといって「恥知らず」ではない。」

スエンソンは書く。
「日本女性が自分の身体の長所をさらけ出す機会を進んで求めるような真似を決してしないことは覚えておいて良いだろう。」

次にパンペリー。
 彼は北海道の炭坑に滞在中、風呂に入ろうとして鉱山頭の妻と子供達が入浴していたのにぶつかった。彼が引き返そうとすると、その妻が湯から上がってきて「自分たちは別の風呂に行くから」と彼に入浴をすすめた。むろん彼女は裸だったのである。
「一切が奥ゆかしく運ばれ、彼女の方はいささかの困惑も無かった。」
と彼は思い、自分たちの思いが邪(よこしま)であることを知ったのだった。

 この記録は渡辺京二さんの「逝きし日の面影」から引用させていただいたものである。あまりに素晴らしい本なのでご本人にご許可を得て時々、使わせていただいている。

 渡辺さんは、
「徳川期の日本人は、肉体という人間の自然に何ら罪を見いだしていなかった。それはキリスト教文化との決定的な違いである。もちろん、人間の肉体、ことに女性のそれは強力な性的表象であり得る。久米の仙人が川で洗濯している女のふくらはぎを見て天から墜落したと言う説話を持つ日本人は、もとよりそのことを知っていた。だが、それは一種の笑い話であった。そこで強調されているのは罪ではなく、女というものの魅力だった。」
とまとめている。

 日本人が恥と感じるのは、人格としての恥である。恥をかくなら死んだ方がましであり、武士はもちろん、町人でも義理のために命を落とすこともあった。恥じるのは心であり、体ではなかった。

 しかし現在では、日本人は性に敏感で、それでいて週刊誌にはヌード写真、電信柱にはソープ嬢、そして女性は胸元がギリギリまで開いた下着を着て街を歩く。そのような風習は日本人がヨーロッパから受け入れた悪いものの一つなのだろう。日常的な生活の中で女性の体を性の対象として意識することは「文明が進んだ状態」ではない。昼間、普通の生活の時には男の肉体も女の体も自然から授かったものとして性とは切り離して受け入れる方が「文明」という点では進んでいる。

 ヨーロッパ近代文化は人間の持つ一つの欠陥である脳細胞の幻想構築能力にいっそうの力を与え、それまでの人間社会を歪んだものにした。脳はあまりに鮮明な幻想を作り出すので、それが幻想なのか現実なのか、私たちは判らなくなってしまう。
「進歩は正しい」
「力の無い者の物は、力のある者の物だ」
「裸体は隠すべき物であり、ギリギリまで出すなどして悪用すべきものだ」
など近代ヨーロッパの築いた幻想は多い。

 少し八つ当たりになるが、だいたい、男女共同参画と言い、男と女が同じように政治を議論し、哲学に思いを馳せ、共に社会を築くためには昼間から相手の体を性的対象として見てはまともには進まない。私たち日本の男性は女性を人生のパートナーとして生活しようとしている。それなのに昼間から性的な意味が感じられる方法で肉体を出すのは逆方向のように感じられてならない。

 貝塚で有名なモースはすでにそのことを明治時代に指摘している。
「若い娘が白昼堂々と肉に食い込むような海水着を着、両脚や体の輪郭をさらけ出して、男達と砂の上をブラリブラリとしている」母国(アメリカ)の風景を思い出し、「日本人が見る我々が、我々が見る日本人より無限に不作法で慎みがないのである。」

 私は思い出したい・・・・
「あちこち、自分の家の前に熱い湯につかった後で、すがすがしくさっぱりした父親が、小さい子供達をあやしながら立っていて、幸せと満足を絵にしたようである。」(明治14年。小田原。クロウ著)

 おわり