―ハリケーン―

 日本30年、ドイツ80年、そしてイギリス140年。

 これは新築の家がどのぐらい使われるかという“住宅寿命”の国際比較です。ヨーロッパの国々の住宅に比べて日本の住宅はしょっちゅう、建てられたり壊されたりしているとよく言われますが、数字で見ると確かによく分かります。

 30年というと一世代ですから、日本は世代が変わると家を建て替えることが判りますし、イギリスは140年ですから約5世代は同じ家を使っていることになります。最近、環境に社会の関心が向くようになり、あまりにも短い日本の住宅寿命に気づき、“100年住宅”が検討されるようになりました。

 現代の技術ですから材料を選び、頑丈に作れば100年保たせることは容易なのですが、問題は建物自身の耐久性にあるのではなくて、社会がどう変わるのか、技術は進歩しないのか?というところに、建築主の悩みがあります。

 少し前、日本の住宅はほとんどが木造の雨戸、縁側があり、さらに50年ほど前まで遡ると、風呂、トイレなどが離れにあったり、玄関は簡単な開き戸で人がいつも家の中にいるということが前提で鍵なども作られていました。しかし現代では、朝になるとまずガタピシする雨戸を開ける音を聞くこともなくなり、衛生的になったトイレは暖房、ウオッシュレットがついて居間の近くにあるようになりました。

 日本で“100年住宅”が成立するためには、単に「ものを大切にする」とか「伝統を守る」ということだけでは無く、もっと文化的なことを考えなければいけないようです。


 ところで、太平洋戦争が終わり、激戦場となって荒廃した沖縄にアメリカ軍が進駐してきました。国破れ、家族を失い、悲しみの底に沈んでいる沖縄の人々にとっては、勝利者となったアメリカ軍を自分たちの郷土に迎えなければならないのは辛かったと思います。戦争とは単に暴力の強い方が勝つだけのことで人間としては沖縄の人がアメリカ人より優れていても、暴力だけでやられてしまうのです。

 その後、日本は命をかけて本土を守ってくれた沖縄を見捨てました。サンフランシスコ平和条約が結ばれ、日本にいたアメリカ軍の進駐が終わった後も沖縄だけは多くの基地を持ち、アメリカ軍の占領下にあったのです。それに対して日本本土の人が沖縄にしたことは、沖縄の人たちの犠牲に報いるにはあまりにもお粗末だったのです。

 ともかく、沖縄にアメリカ軍が進駐したのは昭和20年の8月。進駐したばかりのアメリカ軍はしばらくして小高い丘の上に住宅を建て始めました。長期進駐を予定していたアメリカは沖縄に本格的な軍人用の住宅を建てる計画だったのです。

 最初、アメリカ軍は、日本人が起伏の激しい沖縄の丘と丘の間の狭い谷間にバラックのような家を建てて住んでいるのを見て「バカな奴らだ。見晴らしの良い丘の上に住めばよいものを、谷間に住むなんて下等な民族だ」と嗤ったものでした。

 やがて彼らは鉄条網に囲まれた居住地区を海の見える丘の上に構え、そこに瀟洒な軍人軍属用の住居を建設、丘の上に住むアメリカ人と、谷間にひっそりと生きている日本人、その対比はまさに戦争に勝ったものと負けたものの象徴のように見えたものです。

 数年後、そんな沖縄の風景も一変しました。そして沖縄に進駐したアメリカ軍は日本人がなぜ谷あいにひっそりと住んでいるのかを身をもって体験したのです。進駐したアメリカ軍に復讐したのは崩壊した日本軍でも、冷戦下のソ連軍でもなく、沖縄に毎年来る強烈な台風だったのです。沖縄に直撃してくる台風が丘の上に立った瀟洒なアメリカ住宅を一掃したのです。

 アメリカにも“ハリケーン”という台風とおなじような熱帯性で移動する低気圧がありますが、普通は台風ほど強烈ではなく、また国が大きいのでフロリダやニューオーリンズなどの南部の一部の人たちだけが恐ろしさを知り、沖縄に進駐してきたアメリカ軍は熱帯性低気圧のなんたるかを理解していなかったのです。

 
 著者が建築工学分野の博士課程の論文審査を担当した時でした。

その論文は「日本における煉瓦建築」が主題になっており、日本、東アジア、そしてヨーロッパの煉瓦建築について調べた素晴らしい博士論文でした。そして論文の中で学生は「日本になぜ煉瓦建築が定着しなかったか?」という強い疑問を投げかけ、それに対する答えを得ようとしていました。

 日本に煉瓦建築が定着しなかったのは、一般に考えられているように「地震で壊れるから」という理由ではありません。煉瓦建築は建築様式にもよりますが、堅牢で少しぐらいの地震ではびくともしません。その証拠の一つに明治初期に建設された東京や横浜の煉瓦建築は関東大震災でも倒壊することなく現存しています。

 ここで技術的なことを詳細に書くことができませんが、「日本に煉瓦建築がなぜ定着しなかったか?」という問いに対して私がその論文から得た答えは、「日本の文化と煉瓦は調和しない」ということでした。日本人の文化は、稲、藁、笹、楮、檜、銅、土、風と調和し、石、鉄、煉瓦とは調和しないのです。まして住宅は生活そのものであり、文化そのものですから、そこに感性の違うものを受け入れないのは当然かも知れません。


 徳川幕府の長い鎖国政策ですっかり世界から取り残された日本、太平洋戦争であれほど大きな打撃を受けた日本ですが、明治維新からの発展、敗戦後のめざましい復活で現在の日本は、年収世界一(ちかい)、寿命世界一、犯罪率の低さ世界一という素晴らしい国になりました。

それは日本人が自国の文化を持ちながら、同時に異文化を取り込むことに何ら躊躇することなく、そしてそれが自分たちの尺度に合わなければ使わないという取捨選択の術を心得ているからに他なりません。

 私はルイジアナを襲ったハリケーン「カトリーヌ」の報道を見ていて、住宅寿命といい、ハリケーンといい、そして煉瓦建築といい、小さな一つ一つの現象がお互いに関係し、深く日本というものを表現していることを感じました。

そして、現在の自分の身の回りの風景があまりにも頭脳だけで作り上げた貧弱なものになっていることに呆然とするのです。それは沖縄の丘に立てられてすぐ自然にたしなめられたアメリカ軍の住宅のようでもあり、私に強い違和感を感じさせます。

おわり