―国宝・岩野市兵衛氏―

 黒々としていたこの老人の頭はある事件を境に真っ白になった。それは「その時」まで彼が人生の目標としてきたことと正反対の経験をしたことに始まった。

 「その時」とは、福井県今立郡今立町に在住する岩野市兵衛氏をその優れた和紙の技術に対して国が人間国宝に指定した時であった。

 岩野市兵衛氏の仕事場は今立町にある川上神社から細い坂道を少し下り、そして上ったところにある。粗末な作業小屋が3つほど並び、そこで彼は若い頃から毎日、毎日、ひたすら紙を漉いてきた。

 和紙の素材は楮(コウゾ)や三椏(ミツマタ)である。木の皮をはいで繊維をとりだし、それを繰り返し水に晒して繊維を揃え、異物を除いて自らが納得する原料を得る。

 紙漉(カミスキ)というと原料の入った水槽の中にすだれのようなものを入れて一心不乱に漉いている職人の姿を思い浮かべる。でも紙漉はそれだけではない。もちろん最終工程である紙漉の技量が大切であることは言うまでもないが、その前の作業こそが岩野市兵衛氏の神髄なのである。

 彼の紙は見事である。どんなに力自慢の人でも裂くことができないほど強い。どんなに精密な筆を運ぶ画家でも筆先で絵の具が滲む(ニジム)ことはない。そしてどんなに回数を重ねる版画家でも岩野市兵衛氏の「伸びない紙」に驚嘆する。そんな紙なのである。

 どうしてこのような紙ができるのだろうか? 岩野市兵衛氏の作業にはこれといって特別なことはない。丹念に原料を作り、丹念に漉いているだけだ。超高級な紙を作るのだから、さぞかし素材から良いところだけを取り出し、さらに捨てて捨てて、捨てまくって原料を取りだすと思われるが、そのようなこともしない。

 むしろ逆である。岩野市兵衛氏は素材となる楮や三椏、さらに糊として使う副原料や道具に至るまで倹約、節約の精神である。どこかの清酒メーカーのように素材となる米粒をどのぐらい「削る」か、「我が社の吟醸酒は削って削って30%しか使っていません」などと言うのとは全く世界が違うのだ。

 作業場はあくまでも粗末で質素であり、エアコンも効いていないこの中で黙々と紙を漉く岩野市兵衛氏の薄いシャツと作業ズボンは疲れている。何があれほどの紙になる原動力になっているのだろうか?

 ニュートンが万有引力を発見した少し後のイングランドにキャベンディッシュという科学者がいた。この卓越した科学者は万有引力定数の測定、水素の発見など科学の歴史の中で特筆すべき大きな発見をした人であった。

 そんな彼であったから、キャベンディッシュの友人たちは彼の発見を世に知らせるように勧めた。論文さえ書けば世界中の人があなたを認め、尊敬するだろう、是非、論文を書いたらよい、と言う。でも、彼は書かなかった。彼は万有引力定数を知りたいのであって、その定数を測定した栄誉が欲しかったのではなかった。ただ、その値を知りたかっただけなのである。

 もちろん、科学をする原動力は未知への興味である。興味を満足させるのが科学者の人生の目的であり、社会的栄誉は何も関係がない。でも凡人はそれができないから、論文を書き、学会賞をもらい、そして大先生と呼ばれる。

 岩野市兵衛氏の興味は「強く、美しく、寸法が安定し、一点の曇りもない和紙という作品」なのであり、それができることが彼の人生の目的であり、すべてであった。彼にとって、人間国宝に指定されることはあくまでも結果であって目的ではない。

 人間国宝の指定を受けて彼は戸惑った。自らの紙が社会に認められたことに対するプライド・・・それは彼にとって嬉しかったが、それはなんとなく彼の紙に対する情熱と相反するような感じがしたのだ。国宝に指定されようとされまいと彼の紙は変わらない。

 ・・・国宝・岩野市兵衛氏は儂ではない、儂は紙漉の一職人だ・・・

その苦しみが彼の黒々としていた髪をたちどころに白くしたのだった。紙への情熱が深いほど普通の人には考えられないような苦しみを味わったのだ。

 それからも岩野市兵衛氏の作業は変わることなく今日に至っている。質素な作業場、倹約して使う素材、そして粗末な衣服・・・そんな中で、彼があれほど見事な紙を漉くことができるのは、彼の手の中にある素材の繊維と、その繊維を紙に生まれ変わらせる力を持ち、彼の手からしたたり落ちる水・・・それらに対する心の深さである。

彼は紙に魂を吹き込む。紙は命を得て、自らが持つ力を発揮し始める。それが岩野市兵衛氏の紙の素晴らしさであり、魂を吹き込まれたからこそ私たちは感動する。

 人間の生き甲斐とはそういうものだ。自らが選択し、自らが対峙した相手、その相手に無限の心を込め、大切にし、決して裏切ることがない。社会の名誉も、ましてお金も人生には何の意味もない。

 私は岩野市兵衛氏の家から帰り、先ほど彼からいただいたナスとピーマンを調理していた。それをいただくと何の変哲もない野菜すら私の魂を揺さぶるのだった。

 岩野市兵衛氏は和紙の技量で人間国宝に指定された。でも、社会全体が目標を失い、個人個人も生き甲斐を感じられない今の日本では、彼は和紙の人間国宝ではなく、まさに「人間の国宝」なのだと私は思う。

おわり