―紙のリサイクルがもたらしたもの―

 紙のリサイクルが盛んになった昭和63年から平成13年まで、日本の紙の原料はどのように変化してきたのだろうか?それを公的資料をもとにしてまとめたものがこのグラフである。

 紙のリサイクルが盛んになる前はパルプ材に使われる木材は、国産材と輸入材が半々だった。ところが紙のリサイクルが始まると様子が変わってきて、国産材の利用はどんどん下がり、その代わりに輸入材が増えてきた。そして平成13年度には輸入材が国産材の2.5倍程度になったのである。

 紙のリサイクルを推進する運動は何を目標にしたのだろうか? それは、
1) 世界の森林を守ろう!
2) 天然から採れる紙を大切にしよう!
ということだった。紙のリサイクル運動は国民的運動に発展し、小学生も巻き込んで教育にも使われている。

 ところがこのグラフが示す事実によると紙のリサイクルが盛んになっても、
1) これほど紙のリサイクルを進めても、消費されるパルプの量はほとんど変わらない。
2) 森林を守ろうとしたが国産材の使用が減り、日本の森は使われずに荒れてきている。
という事実だけが残ったのである。

 もともと紙のリサイクルというのは「環境を守る」「石油をあまり使わずに自然のものを使う」という原理からも矛盾した行為だった。

 紙はパルプ材からできる。そして日本の森林は使い手がなく荒れ放題。せっかくの太陽の光でできる木材は朽ちるままになっている。太陽電池などのように太陽の光を使うのが環境に優しいなら、まず日本の森林を有効に使わなければならない。「環境に優しい」はずの紙のリサイクルで却って国産材を駆逐しているのである。

 このようにリサイクルが日本のパルプ材を使わなくなった原因は複雑であるが、いずれにしても紙のリサイクルの目的とは正反対なことが行われていたことは確かである。

次に、環境を守るということを素直に考えれば、
1) できるだけ自分の国のものを使う
2) できるだけ自然から採れるものを使う
ということだと私は考えるし、環境運動家もそう言っている。でも紙のリサイクルは、
1)  国産材を使わずに輸入する
2)  自然から採れる木材を使わずに石油を使ってリサイクルする
という具合だから本来の趣旨から外れている。

まして、日本の森林面積は平野の倍以上ある。日本のような森林の多い国が自分の森林を使わず、他国の森林を使って、「森林を守ろう」というのは論理的にもおかしい。

紙のリサイクルはすぐに止めた方が良い。少なくとも環境を大切にする人が団結して紙のリサイクルに反対しよう!!

終わり

 

後日談

 紙はリサイクル運動が盛んになる前でも「ちり紙交換」という商売があり、熱心に行われていた。それが今、日本中からちり紙交換が無くなったが、その理由をご存じだろうか?
紙のリサイクル運動が始まる前、ちり紙交換の商売にはほとんど税金は投入されていなかった。ちり紙交換を商売とする人は額に汗をかいて少しの賃金で紙をリサイクルして生活をしていた。とても偉かった。私は環境運動が始まる前から、ちり紙交換で古紙を回収していた人を尊敬する。
 ところが紙のリサイクル運動が始まり、その人たちはリサイクルで集めた紙を持って行ってお金をもらった。職業としてやっていた人は突然、大量に生まれた「ボランティア」のためにすっかり職を奪われてしまった。私はボランティアをあまり尊敬できない。