ー可哀想だー

 井沢英行(38)は2006年9月25日午前9時55分ごろ、埼玉県川口市戸塚東2の市道で、助手席のカセットプレーヤーを操作しながら乗用車を運転していた。その直後、道路左側を歩いていた私立小鳩保育園の園児36人と保育士5人の列に突っ込み、盛山陽南子ちゃん(3)、小山内夢乃ちゃん(4)、平井萌奈ちゃん(5)、福地悠月ちゃん(5)を死亡させ17人に重軽傷を負わせた。

 さいたま地検は16日、容疑者を業務上過失致死傷罪で起訴した。遺族はより刑の重い危険運転致死傷罪の適用を求めていたが、粂原研二・次席検事は取材に対し「証拠上困難と言わざるを得ない」と語った。

 現場は法定速度60キロの直線道路で、井沢は時速50キロで走行し、約15.7メートル手前で園児たちに気付いてブレーキを踏んだ。速度違反も無く、酒気帯びでもなかった。ただ前方をよく見ないで運転していただけなので、危険運転という分類にはならなかった。

 遺族は厳罰を望み、さいたま地検の判断に異議を唱えている。ご遺族の気持ちはよく分かる。なんといっても車を運転するということは常に人をあやめる可能性がある。それを承知で運転しなければならないのに、よそ見をしてこれから長い人生を楽しむことができたであろう幼い女児を4人も殺したのである。

 「どうにかならないのか!」という焦燥感は私も強い。絶望と怒り、あきらめと可哀想な気持ちが交錯する。でも、この事件の本質は危険運転致死傷にあるのではないように思う。

 交通戦争と言われて久しく、年間の犠牲者は1万人にも及ぶ。最近ではそれが7000人ぐらいに減少してきたと言われるが、交通事故死の定義が変わったこともあり、あまり信用できない。

 死亡者は減っているように見えるが負傷者は120万人を突破する勢いである。これは、交通事故から24時間以内に死亡しない場合は、その死亡原因が明らかに交通事故であっても交通事故死にカウントしないという事になったからである。みかけだけ交通事故を減らして何になるのかとは思うが、これも官僚のやることだから仕方がない。社会保険庁の手口と同じだ。

 幼稚園児の事故は交通事故の死傷者が120万人という異常な数字が、ある個人の人生にその影を落としたものに過ぎない。確率的には起こっても仕方がないことである。そう思うことがこの尊い犠牲者の死を無駄にしない事になる。

 今度の事件が危険運転に分類されないということは、「自動車を運転するという点ではそれほど問題となる運転ではなかった」ということを示しており、それでも「4人の園児を殺し、17人に怪我をさせた」ということであるから、原因はハッキリしている。

 それは、「自動車と道路が欠陥製品である」という事に尽きる。

 つまり今回の被告は、自動車業界と国土交通省である。検察は井沢を過失致死傷で起訴すると共に、自動車業界の会長と国土交通大臣を殺人罪で起訴しなければならない。それで「殺人事件があったら誰かにその責任を問う」ということが完結する。

 自動車業界がお金を持っているとか、国土交通省には権力があるというようなことでビビッてはいけない。検察庁は正義の保安官ワイアット・アープでなければならないのである。

 自動車と道路に製品としての欠陥があり、それが多くの犠牲者を生んでいるのはすでによく理解されていることである。パロマのガス湯沸かし器も三菱自動車のパジェロも欠陥製品であるが、自動車と道路は桁が違う。それも前の図で判るように1955年からすでに50年も同じ状態が続いているのである。

 このぐらい長い間、年間80万人規模の死傷者を出すこと自体が許される訳ではない。自動車は安全装置を付ければ20万円ぐらいは高くなるが、格段に安全になる。道路は、歩行者が危ない場合は自動車の通行自体を制限すれば良い。

 バックミラー付近に頭の動きを監視する装置を付けて、前方を見ていない場合は自動的に減速する装置などはすでに簡単に付けることができる。アクセルをふかす時のバラツキだけでも判断は可能である。技術を利用して酒気帯び、スピード違反、前方不注意などが原因となるすべてを事故ゼロにすることは可能である。

 もし日本の車が世界に先駆けて、このような重大事故が起こらない技術を持ったものになれば、それは我々、日本人の誇りである。「暴力的なまでの馬力を持った車」などという修飾語がその車の宣伝になるようでは旧時代人といっても良いだろう。

 わたしは官より民に期待する信念を持っているから国土交通省が腰を上げる前に、自動車会社がその重い腰を上げて、この幼い犠牲者の死が無駄にならないようにして欲しい。マスコミも敵を間違えずに攻撃することを期待している。

 自動車会社は人命より売り上げを、国土交通省は人命より産業を優先している。でも、もうそんな時代ではない。安心して生活できると言いながら、さっぱり技術も施策も進まない。両価性は環境だけにして欲しいものである。

おわり