環境税と省エネルギー

 「環境税」を導入する検討が行われている。環境を守るためなら仕方がないとの見方もあるが、それは本当だろうか?この税が本当に環境の改善に役立つなら新しい時代の税金として悪いものではないかも知れない。この税の一断面を切ってみたいと思う。

 数年前、経済産業省が「国民ができる省エネルギー」という行動指針を出した。この行動指針には国民が毎日の生活でもできるものとして、10項目があがっていて、その中に「テレビを見る時間を一日一時間減らそう」というのがあった。

 相手が真面目なのにこちらがそれを不真面目にとって笑いものにするのも失礼だが、「これはよい教育の題材になる!」と思って、学生と計算した。

多くの日本人の生活は朝起きてから、歯を磨き顔を洗い、出勤の支度をして家を出て、電車や自動車に乗って会社に行き、勤務をして、夕方家に帰り、風呂に入り食事をしてテレビを見て寝る。あるいは家族を送り出したら掃除洗濯をしてお買い物に出かけ、役所に行って届け出でなどをして帰り、少しテレビを見ながらお菓子を食べて元気を回復して、夕食の準備や風呂の支度をする。

 休日には好きなサッカーの放送を見たり、家族でデパートや買い物、友達との話、読書や音楽、そしてドライブや旅行などをする。それぞれその人の収入や趣味に合わせてみんな一所懸命に生活をしている。そして自分が稼いだ大切なお金だからできるだけ自分の人生を豊かにするように考えながら使う。

 そんな生活を仮定して、学生と計算したのは「一般的な日本人が行動するときに、何が一番省エネか?」ということだった。その結果、もっとも省エネルギーになるのは「布団の中で寝ていること」であり、意外にエネルギーがかかるのが「ハイキング」だった。

 朝起きてじっと布団の中で寝ていて昼になると起き出し太陽の光で布団を乾かし、また、その布団に潜り込んで寝ればエネルギーはほとんど要らない。そうすると10年ほど使って、その布団を買い換えるときにエネルギーが必要となるだけである(布団を製造したりそれを運搬する時のエネルギーと布団を買いに行くエネルギー)しかかからない。

 それに対してハイキングに行こうとすると、運動ができる服装はいるし靴も必要、防止やサングラス、そして水筒や携帯用のいろいろなものが必要となる。それにハイキングも自分の家からいつも歩いていけるところだけではないので、電車や自動車を使う。かなりのエネルギーを使うのである。

 このように様々な例を計算してみると、「布団の中で一日、寝ている」などの非現実的なものを別にして、普通の日本人が一日行動しているパターンの中で一番エネルギーが少ないのは、驚くことに「テレビを見ているとき」だった。

 テレビは平均的に10年ぐらい使えるし、消費する電力は非常に少ない。だからテレビを作ったり運搬したりするときのエネルギーを計算しても少ないことが判った。だから経済産業省の指針は間違っているか、国民が全員なにもしないで寝ていることを勧めているようなものである。

 それから何年か経って今度は環境省が省エネルギーを推進し始めた。そのきっかけは環境税で新しい税金を環境省が管轄できることもあって、かなり一所懸命だった。新しい税金を作るのだからその必要性や税金の使用用途などを明確にしなければならない。さらに税の用途は利権が発生するので、政治家や官僚が狙っていて計画を作る方の官僚にも大変な作業である。

 環境省の計画によれば、環境税を徴収して集まってくるお金の第一の活用先が「省エネルギー」だった。その説明を環境庁から受けた私は、質問をした。

武田・・・「歴史的にみても工学的にも「個別機器の省エネルギーは、日本国全体から考えるとエネルギー消費量を増大させる」ことが明らかなのに、なぜ環境省は全体のエネルギーを増大させる施策を採るのか?」
役人・・・「???」

 この質問に対して環境省がわから明確な答えはなかった。当然のように「個別の省エネルギー」は「日本国全体の省エネルギー」と思っていたらしい。環境省の上部の役人は毎日の仕事が忙しくエネルギー需給に関する基本的なことは考えていないようだった。

 現在の環境問題の原因は、産業革命以来、「効率向上」「省エネルギー」を絶え間なく行ってきたことにある。昔は時間と労力が掛かったものを現在ではいとも簡単にできる。だから人間の活動力は飛躍的に高まり、次から次と製品を作り、それが環境を破壊している。

 産業革命以来の200年という期間では歴史的に省エネルギーが環境を破壊することは明白であるが、1950年以降の日本の50年をとっても同様である。高度成長期のもっとも重要な技術課題は省エネルギーだった。それによって同じエネルギー消費でより多くの経済活動をすることができ、さらにエネルギーを使った。国際競争力も高くなるので、ますますエネルギーは増大していく。

 戦後の日本の発展は実は省エネルギーにあり、それで経済が活発になった。

   
(エネルギー原単位推移(省エネルギーが進むほど低くなる)と一次エネルギーの伸び)

 経済通産省の環境対策にはいつも「衣の下に鎧が見える」のは仕方がない。経済通産省の目的は経済と通商を盛んにすることで環境ではない。でもこの時代だから「環境を大切にすることは結果的に経済と通商を盛んにすることだから」という理屈がいる。そうしないと何で経済通産省が環境問題に口を出すのか、ということになりかねない。

 省エネルギーを呼びかけるのは何となく環境に優しく感じられるから、このような専門的なデータはそっとしまっておけばよい。

 でも環境省は違う。環境省はそのような経済優先の考えではなく、違う視点から国民のために環境を守ることを目的として作られた役所である。批判的な見方ではそのようなことは環境省を作った真なる目的ではなく、国民を欺くために環境省を作ったに過ぎないと言う人もいるが、それほど斜めに構えたら改良は進まないだろう。ここは素直に環境省は環境を守る役所だと考えたい。

 その時、出席者から次のようなコメントがあった。
「たしかに先生の話のように、個別の省エネルギーはかえって全体ではエネルギーの増加を招くことがあるけれど、省エネルギー製品への買い換え需要は期待できる」

 確かにこの意見は正しい。そしてそれが日本国全体にとっては良いかも知れない。でもそれでは環境省の存在意義はどうなるのだろうか?環境省ぐらいは国民のために・・・いや、すべての省庁が国民のために機能するのだが、その担当分野が違い、担当分野が違うと考え方も利害関係も違ってくる。それぞれの省庁がその役割を果たしてこそ、日本全体が順調に動くはずであるというのが省庁が別れている一つの目的ではないか?

 もともと経済を活発にする役割を負う経済産業省も、環境を守る環境省もおなじ「省エネルギー」を進める事ができるのか?それを慎重に考えてみなければならない。環境は産業を盛んにしながら達成するのはきわめて困難でまだそう言う道は学問的にも見いだされていない。

 私は太平洋戦争の前の日本を思い出す。当時、アメリカと戦争をするにあたって「国民総動員
が必要だった。だから文部省も一緒になって戦争賛美の教育を子どもたちにした。でも、大人が戦争で必死になっているのだから、子どもも・・・というのは本当だろうか?

 文部省と政府。その間には協力とそれぞれが独立した政策が必要である。政府が戦争しているときでも文部省は子どもに戦争を教えるのではなく、世界はどういうものかを冷静に子どもに教える。今進めている戦争は大人の戦争であり、子どもの世代が大人になるまで続いてはいない。

省庁の独立とはそう言うことだろう。それは時として国の政策の進行に邪魔になると思われることもあるが、長い目で見た国民の幸福には大切なことである。環境省は経済発展をあまり考えずに国民と日本国土の環境保全だけを考えてもらいたいものである。

(おわり)