京都議定書の基礎知識

【京都議定書までの経緯】

 1980年代のはじめから地表の気温の変化や大気中の二酸化炭素、フルオロカーボンなどへの関心が高くなり、二酸化炭素による気温上昇についても急激に関心が集まるようになりました。考えてみるとすでに100年前から気温は上がり続けているのですから、もう少し早く気がついても良かったのですが、1963年にレイチェル・カーソンが「沈黙の春」を書くまであまり「環境」というものに注意が払われなかったので、仕方がないことかも知れません。

 地球温暖化というのは「地球」が「温暖化」するのではないかという巨大なことを問題にしているのですが、それがわずか20年ほど前に気づかれて大騒ぎしているというのは少しおかしな感じもします。いま、日本のマスコミや知識人は「アメリカは地球温暖化に協力しないとはなんということか!」と怒っていますが、その人たちがこの重要なことに気がついたのは最近の事なのです。

 ところで、1988年6月にはカナダのトロントでトロント会議が行われ、大気中の二酸化炭素が環境破壊の原因になる可能性があること、それを1988年のレベルから20%程度は削減するべきであるとの勧告がでました。同じ年の11月にIPCC(気候変動に関する政府間パネル)が設立され直ちに学問的な表向きをもつ研究が開始されました。

 2年後の1990年ジュネーブで第2回世界気候会議が行われ、1992年に国連で気候変動枠組条約が採択、同年、リオデジャネイロでの地球サミット(環境と開発に関する国際会議(UNCED))でこの条約が署名されました。この条約を締結をした国(現在181ヶ国)が1995年からCOP(締結国会議)を毎年のように開催しています。

 IPCCは1990年と1995年に二酸化炭素が気象変動に与える影響を発表し、2回とも「直ちに50%程度の削減をしないと、大気中の二酸化炭素の増加を止めることはできない」としました。それを受けて1997年に京都で開催されたCOP3(気候変動枠組条約第3回締結国会議)で「京都議定書」が採択されたのです。単なる国連の「枠組み条約」から「議定書」へと発展したのです。

【京都議定書の内容】
 
 1997年時点の二酸化炭素の排出量は、アメリカが23%、日本5%、ヨーロッパなどの先進国(OECD)18%、ロシア・東欧などのグループ13%、中国15%、その他の国26%となっていました。二酸化炭素を削減するのは世界の国の全部が協力する必要があったのですが、それは無理でした。

国別のCO2排出量内訳

世界のCO2排出量:242億トン(1997年)

・ ・・無理な理由
二酸化炭素は炭化水素資源(石油、石炭、天然ガスなど)を燃やしたときにでるもので、原子力をのぞきほぼ「人類で唯一のエネルギー源」といえます。そして人間はエネルギー源をつかって活動をしていますので、仮に「現在を基準にして削減する」と決定しますと、すでに発展している国は良いのですが、これから発展しようとしている国は発展の手段を奪われます。それは不平等ですし、そうかといって「人類、すべて平等に、一人一年あたり排出できる二酸化炭素を同一にする」というのでは、今度はアメリカや日本のように大量の二酸化炭素を出している国の国民が納得しません。そこで、妥協的産物を生み出すことになったのです。

 結局、すでに発展している国、アメリカ、カナダ、日本、ロシア、それにEU(ヨーロッパ)だけを平均して5%程度削減しようと言うことになりました。日本は1990年の排出量を基礎として6%を2008根から2013年までに削減すると約束したのです。

各国の削減目標

【京都議定書の意義】

 京都議定書は科学的(少し狭い意味で使いますが)には「意味の無い国際的な取り決め」です。そういうと京都議定書を支持している人や地球温暖化を心配している人が怒りだしますが、それはおかしいことです。京都議定書が本当に地球の温暖化を防止しようとする心からでているとすれば、京都議定書が地球温暖化に科学的には何の役にも立たないこと、議論の難しさで骨抜きになったことは一応、認めた方が良いからです。

 IPCCの計算が科学的には根拠のある数字で、それは「1995年に直ちに50%を削減しないとダメだ」と言っているのです。京都議定書は世界の総排出量の約60%を出す先進国の約5%ですから、0.6*0.05=0.03,つまりたった3%しか削減しないのです。50%削減しなければならないのに、政治的な力でそれが3%になったのですから、「京都議定書は地球温暖化に貢献した」というのではなく、科学的には「京都議定書は地球温暖化の国際取り決めに失敗した証拠」なのです。

 でもここで「科学的に」と断ったのは、政治的、社会的には「それでも、せめて最初に国際的に環境問題で自国の利害を超えることができた」という評価があるからです。

 もともと、二酸化炭素というのは有害物質でも副産物でもなく、人間がエネルギーを使えばそれに比例してでるものであり、経済発展はエネルギーの消費量に比例しますから、つまり「二酸化炭素を減らすことは経済発展を止めること」ということになります。

 このことはあまりに露骨で恐ろしいので、新聞記者もあまり直鉄的に書くことができず、あまりこの関係が判っていない人は「これほど地球環境が大切と言いながら、なんでアメリカは京都議定書に参加しないのか!」と錯覚して怒っているのです。でもその人も「不景気だから、なんとか景気を良くしたい」と言ったりします。景気を良くするのは現実的には二酸化炭素の排出量を増やすことですから、怒っている人自身が矛盾しているのです。

【京都議定書のその後】

 このように、科学的に意味がなく、政治的に意味のある京都議定書はその後、どうなって行ったのかを整理してみます。京都議定書は「正義の味方」と考えられているので、京都議定書の批判をすると「環境に協力しない」と取られますが、私は「京都議定書に賛成している人で環境を守ろうとしている人はいない」と思っています。賛成している方、もう少し誠意をもって環境の改善を考えてください。

 ところで、世界の4分の1も二酸化炭素を放出しているアメリカがまずこの条約からの離脱を発表しました。2001年3月、ブッシュ大統領はアメリカが京都議定書から離脱することを発表しました。その理由は、
1) 途上国が削減をしない
2) アメリカの経済に悪影響がある
3) エネルギー政策は重要だ
というものでした。

これには日本のマスコミや知識人はカンカンになって怒ったのですが、アメリカが行っていることは「正直者の発言」であり、何ら問題は無いのです。IPCCが科学的に結論したように、もし地球温暖化を防ごうとしたら途上国も含めて削減をしなければならないこと、もし効果のある二酸化炭素の削減を使用としたらアメリカの経済が破綻してしまうことは確かだからです。

 つまり、この問題は「京都議定書」という実効性のない、「建前の努力」に対して、日本のように建前ができればそれでよいという文化の国と、実質を重んじるアメリカの差でもあり、ウソをつくのは平気という日本人に対して、真実で勝負をするというアメリカの差とも言えます。

 さらに言葉を換えて言えば、日本の知識人は「なぜ、アメリカは世界の人を騙そうとしているのに、それに協力しないのか!」と怒っているようなものなのです。

 次に京都議定書の実行段階を受け持っているCOPも妥協的産物を出し始めました。それが
1) 森林が二酸化炭素を吸収する
2) 排出権を取引できる(排出権取引:Emission Trading (ET)、京都議定書17条)
3) 2ヶ国が共同して削減努力をした場合、それをカウントできる(共同実施;Joint Implementation, JI。京都議定書6条)
4) 他国で行った削減対策を自国のものとしてカウントする(クリーン開発メカニズム、Clean Development Mechanism, CDM。京都議定書12条)
などです。いずれも科学的には地球温暖化には何の効果もありません。

 

 もともと二酸化炭素の排出量を削減するのは、膨大な量を出している先進国自体がその削減をしないといけないのですが、それを何とか数字的に誤魔化す方法を考え出し始めたのです。これを「国際的に条約を達成するためにはやむを得ない」としていますが、実に妖しいものです。

 ただ、経済学者はこのような方法がなければ現実的に二酸化炭素を削減することはできないとしていますが、それも一理ある。つまり二酸化炭素というもの自体が経済活動そのものなので、経済活動を下げないとして国別の規制を守ろうとすると、世界全体で二酸化炭素を少なくすることを目指す以外にはないとも言えます。それによって有効な技術を世界に広めるという方法をとるというのがこの3つの方法です。つまりこの3つの方法は京都議定書の締結をした国が「環境を守る」という思想を捨てたことを示しています。

 しかし、地球温暖化というのは、地球の環境自体のことを意味していて、ここ10年間だけ誤魔化せば良いというものではありません。その意味では森林は長い目で見れば二酸化炭素を吸収する時期もあり、また放出する時期もあります。ちょうど、赤ちゃんが生まれれば人口が増えますが、老人が死ねば人口が減る・・・つまり増えるか減るかは出入りの関係で「赤ちゃんを産めば人口が増える」ということではないのと同じです。

 また「排出権取引」とは日本が6%削減しなければならないので、他の国の持っている削減枠をもらって日本の削減に当てるというものです。削減割合は国によって異なり、経済発展が予定通り進まなければ二酸化炭素の排出の権利があまるので、それを日本に売って儲けることです。

 本当に二酸化炭素による地球温暖化防止を希望している人にはイライラするような理屈で、国際的には反対も多いのですが、日本のように経済発展はしたい、でも京都議定書を守らなければならないという矛盾した目標を持っている国にはありがたい制度なのです。

【京都議定書の発効】

 京都議定書の発効にはある条件が付いていました。それは「京都議定書を締結する国が55ヶ国以上で、削減の目標となる全体量の55%の国が批准しないと発効しない」というものです。もともと「同じ目標で世界が行動しないと意味がない」というものですから、一部の国だけでは議定書そのものの意味がないという考え方です。

先進国(附属書I国)の1990年の二酸化炭素排出割合

 ところが3分の1以上を占めるアメリカが離脱しましたので、この発効条件の成立が難しくなりました。つまり世界の60%程度の二酸化炭素を排出してる先進国の協定ですから、そのうちの23%を占めているアメリカが離脱ということは、60%の内の38%に当たりますから、残り全部の国が批准してようやく62%になるということなのです。

 ヨーロッパはもともと削減を主張してきましたし、ロシアはあまり経済が発展しないこと、エネルギーの使用と国民総生産に余裕があることなどから、アメリカとの力関係を有利にすることができると考え、2004年にプーチン大統領が京都議定書に批准をしました。アメリカ政府は内心、面白くないと思います。

 少し難しい話ですが、経済発展と二酸化炭素(エネルギーの使用量)という矛盾した関係を調和させて京都議定書を達成するためには、「一人当たりのエネルギー消費量が多く、GDPが少ない」という状態にあることが大切です。そうすれば技術を導入するだけで目標が達成されます。そのような場合は省エネルギー技術が遅れているという事ですから、技術さえ導入すればGDPを落とさずにエネルギーの使用量を下げることができるということです。エネルギーの使用量は二酸化炭素の排出量に比例しますから、つまりは京都議定書の目標を達成しやすいということになります。

 それでは具体的に上の図で考えてみると、中国とアメリカを引いた線の上の国が京都議定書で被害を受ける国、下の国が京都議定書を守れば相対的には得する国です。日本はグラフの上の方にいますから「損」をする国の代表、ロシアはまったく下に位置していて、京都議定書を締結すると「得」をする国の代表選手です。

 だからプーチン大統領が京都議定書を批准するのと、日本が京都議定書を推進するのとでは国民に与える影響は正反対です。ロシアの国民は得をし、日本の国民は損をするということなのです。それを「プーチンは環境を配慮している」などというのはあまりにも初歩的な原理を知らないと言えるでしょう。

 なお、京都議定書は2013年にその目的を終わって失効することになっています。ヨーロッパではすでにポスト京都を視野に入れた検討がされていますが、政治的な部分が多いのでまだ講評されていません。本来、環境とは地球に住む多くの人たちのためなのですが、現実にはあるグループの得になるように秘密にされることも多いのです。

【最後は日本的ごまかしで終わるだろう】

 京都議定書の表面に書いてあることは「二酸化炭素の放出量を削減して地球温暖化を防ぐ」ということです。でも、排出権取引、森林効果などで骨抜きになり、結局京都議定書は建前だけの悪議定書になりつつあります。その動かぬ証拠として世界の一次エネルギーの推移を示します。

世界の一次エネルギーの推移

 京都議定書が調印された1997年から石油、石炭、天然ガスの炭化水素資源はさっぱり削減されていないばかりか、増加の一途を辿っています。これには先進国の経済が相変わらず調子が良いこと、中国の発展が順調なことが上げられます。日本の知識人は中国の発展を喜び、それによるエネルギー消費の増大には気がついていますが、言いません。

 石油石炭天然ガスの消費量と二酸化炭素排出量は完全に比例しますから、京都議定書が無意味な議定書であることが明確に示されています。また「再生可能エネルギー」は現在のところ意味を持っていません。

 もう少し詳しく解析してみます。たとえばドイツは京都議定書にも熱心で、見かけは二酸化炭素の削減に努力しています。確かに「見かけ上、二酸化炭素を削減すればよい」とという仕事をしている人たちは、次のグラフを示します。1990年からドイツのエネルギー起因CO2の排出量は約15%も削減しています。これは石炭から天然ガスへの切り替え、風力などの自然エネルギーの利用、リサイクルの徹底などとされていますが、このような個別の説明は正しいのか、もう一つのグラフを見てみます。


ドイツにおけるエネルギー起因CO2排出量の推移

 次のグラフは一次エネルギーの使用状態です。ドイツは1990年以降、ほとんど増加していません。これは経済成長がかつてほど大きくないこと、東ドイツとの合併のよりあまりにも効率の悪い生産設備を少しずつ効率の良いものに変えているという事情があります。でも一次エネルギーは減っていません。つまり二酸化炭素発生の原動力である石油石炭天然ガスの使用量は変化がないことを示しています。

 一次エネルギーが減らないで二酸化炭素だけが減るというのはどういう事でしょうか。これには京都議定書のからくりがあり、また日本は現在すでに1990年を基準にして8%も増えているのに、さらに14%減らせると政府が自信満々なのは、日本が現実に出している二酸化炭素を減らすのではなく、見かけ上減れば良いからです。

 たとえば風力発電をしますと、風力発電機は石油で作りますから二酸化炭素を出すのですが、風力自体は石油とは関係ないというトリックを使います。つまり計算上は風力発電機はカウントしないで、日々の電力だけについて計算するという方式をとります。そうすれば、二酸化炭素の量を減らすことができます。

 このような計算のトリックは環境問題には至る所で使われます。その意味では環境とはウソのつきかたを教えるということでもあります。たとえば、「リサイクルをすればゴミが減る。本当に減った」というのも同じで、リサイクルを目的に回収したものは「一般廃棄物」から「産業廃棄物」とするという計算方法をきめれば良いのです。その物質が本当にリサイクルされたかどうかは問題ではありませ。ともかく市民をたきつけて「リサイクルしたい」ということでゴミを出させれば、あとは全部産業廃棄物として処理し、その分だけ「ゴミが減った」と宣伝すれば良いのです。

 さらに最近では「焼却すること」を「サーマル・リサイクル」という英語で呼んで(実は英語圏はサーマル・リサイクルとは呼んでいません)、あたかもリサイクルしているように用語を置き換えるのも、いかにも目的はどうでも良い、メンツだけ保てればよいという環境運動を示しています。


主要国のエネルギー輸入依存度

 実はドイツという国はエネルギー自給率が75%程度あるのですが、原子力以外の62%のほとんどが石炭です。だからもともと二酸化炭素の量が多く、それを国外から輸入する天然ガスに置き換えることで二酸化炭素の削減をすることができます。しかし、もともと温暖化ガスというのは二酸化炭素だけではありません。

温室効果ガスの地球温暖化への寄与度(世界全体)

 二酸化炭素が全体の60%の寄与をしていますが、メタンも20%もの寄与率です。そして天然ガスはこのメタンが主で、それを北欧のガス田やソ連からパイプラインで運んでくるときにかなりのメタンが大気中にでます。でも京都議定書の計算方式ではパイプラインから漏れたメタンは計算しないので、ドイツは京都議定書に協力していると言う結論になります。

 京都議定書が「見かけ上、温暖化を防げばよい」ということなのか、「本当に、温暖化を防止しようとしているのか」の問題なのです。削減量の問題、森林や排出権取引の問題、そしてこのような計算方法の問題などをもっとオープンに議論しなければならないのですが、現在の日本の報道システムは言論の自由を完全に廃棄して、政府の方針通りの結果を伝えるようになっています。

【本当に二酸化炭素は上昇しているか?】

 もちろん、膨大な量の石油石炭天然ガスを使っていますので、二酸化炭素の濃度は急激に上昇しています。昔は測定機器がありませんでしたので、南極の氷の中の濃度を調べたり、さまざまな方法が採られていますが、おおよそ次のグラフに示したようになっており、二酸化炭素の増え方はかなりのものです。


 でも早とちりしてこのグラフだけで驚いてはいけません。地球が誕生したときには二酸化炭素は現在の100倍も多かったとされていますし、生物が地球上で活躍するようになってからも10倍程度になったことはしばしばでした。地球の歴史的という意味では現在の二酸化炭素の濃度はかなり低い方なのです。

【本当に地球は温暖化しているか?】

 ここ300年ほどだけを見ると、20世紀の100年間で世界の平均で0.6℃ばかり上昇しています。また石油が無くならないことを前提とした計算ですが、このまま世界全体が経済発展を遂げると、21世紀には気温は1.4℃から5.8℃上昇するとされています。

 早とちりをしないように。これはここ200年程度のところだけ切り取って見たもので、もう少し長い期間を見ると、結論が正反対になります。8000年前は比較的気温は温暖でしたがその後、少しずつ寒くなっていることがわかります。平均をどこにおくかですが、今から4000年前程度に定めると現在の気温が少し高くなってもそれが問題という訳ではないかも知れないのです。


古気温曲線(8000年前から現在まで)
尾瀬ヶ原ハイマツ花粉の百分率(8%基準線に対し、±3度に相当)

 「いや、気温の変化が大きいか小さいかが問題ではない。上がり下がりのスピードが問題だ」と言う人もいます。普通、そのような意見は「事実に基づいている」というより「自分の意見を通すためには一応、そう言っておく」ということが多いのです。事実、尾久杉から測定した気温を見ますと現代より遙かに急激な気温変化が見られます。


屋久杉の安定炭素同位体分析から明らかにされた歴史時代の気候復元図

私たちがこのような科学的な現象を議論するときには、自分の意見をできるだけ控え、まずは事実を確認することから始めなければなりません。
その意味でも地球が誕生し、生物が活躍している時期から考えることも大切です。全体としては現在の地球は生物が大きく繁殖する時期から言うと、第三番目の氷河時代で、寒冷化が進んでいます。恐竜がいた時代から見ると10-20℃低い気温とされており、また最近の2万年ぐらいの時間でも現在は寒冷化の途中にあります。だから「寒冷化する地球を人間が止めている」とも言えるのです。

 ここ100年間、地表の気温が高くなっていることは確かですが、だからこれが二酸化炭素の影響であるかは別問題です。またさらに次に整理しましたが、地球が温暖化していけないかは別問題です。その意味で、この京都議定書を政治問題と考えている世界の多くの国の人の考え方を受け入れるのも大切と思います。

【地球は温暖化していけないか?】

 地球が温暖化するのは果たして環境破壊でしょうか?これについては2つの考え方があり、温暖化すると気候が急激に変化するという説と、現代は、氷河期から温暖化し、それがまた氷河期に入ろうとしている時期で、人間が二酸化炭素を放出するのでやっと気温の低下を防いでいるとも言えるのです。もし温暖化を止めると急激な寒冷化で作物の収量が落ちる可能性があります。

 まず地球温暖化を阻止しようとしているグループは次のような影響を予想しています。

温暖化によって起きる現象と影響

 熱波、寒波、豪雨、干ばつ、低気圧、洪水、暴風雨とあらゆる問題がリストされています。このほか、一般的には地球温暖化によって海面が上昇するということも言われることがあります。推定によると海面の上昇は88cmと計算されています。

 でも本当だろうか?気温が高くなるというのは一般的には作物の収量を増やし、凍死する人が減り、作物ができる北限が高くなるなどの良い面が多いのです。それが突然、今回の温暖化だけは悪いことが続くのでしょうか。事実、生物が繁栄した時期は現在より少なくとも10℃は高い時代であるし、北海道ではこの温暖化で作物の取れる土地が増えて喜んでいます。

被害を受ける地域だけを強調するのではなく、本当は温暖化によるメリットも考えなければなりませんが、いったん政府が温暖化防止に動くとほとんどの研究が温暖化によっておこる被害だけに焦点があわされるので、大変なことがおこると言うことになるのです。 そんな中には温暖化の恐怖を煽るために科学的な原理を無視するものも登場します。

「海の氷が溶けると海面があがる」などもそうで、すでにアルキメデスの原理というのが2200年前に明らかになっていて、海の氷が解けても海面の上昇には無関係です。つまり「温暖化で儲けよう」とする人たちが科学的原理も無視して人々を恐怖に陥れることもあります。

 この点についてはまた別の機会に整理をしようと思いますが、現在行われている地球温暖化の影響がその「立場」によって大きく異なることを指摘しておきます。

【人類に地球を温暖化できるか?】

 地球の温暖化が怖いと言われますが、地球という大きなものを温暖化するのはとても難しいことです。毎年、膨大な石油を炊いていかなければならず、もし石油石炭天然ガスが無くなれば人類は地球を温暖化することはできません。全体的には石油石炭天然ガスの時代はここ200年間であると考えられています。それは人類全体の歴史から見るとほんの僅かと考えられています。


(石井 吉徳先生HPより)

 現実に石油などが何時無くなるかというのは多くの予測があるが、石油石油連盟などの公の機関がかく油田ごとの生産量等や新規に発見される量を積算して出しています。まず年間石油生産量は2004年にピークを迎えると言われています。


(石井 吉徳先生HPより)

 究極埋蔵量にはあまりにもぶれが多いのですが、もう少しデータをそのまま見てみると、1980年から新規の油田発見量に対して年間生産量が逆転し、現在では発見量の倍程度の生産量になっています。つまり1980年から人類は石油借金生活に入ったとも言えるのです。


(石井 吉徳先生HPより)

 かりに石油が10年以内に生産のピークを迎えるとすると、人間は地球を温暖化する力を失います。つまり今が地球温暖化が恐ろしいのは石油が無限にあるからであり、石油がなくなれば人類は地球を暖める手段を失う・・・それこそ本当の地球環境の危機になるでしょう。その意味で、当面、地球温暖化という幻想を掲げておくのは良いかも知れません。もし「市民はバカだ」とすればですが。

【結局どうすれば良いか?】

 私たちが選択できる道は3つあります。
1) 京都議定書の精神を守り、見かけ上だけ環境に貢献し、ある時に真実が判明して破滅する
2) 勇気をもって真実を見ることはするが、実際に石油が無くなったり、地球が温暖化して酷い状他になるまでは消費を続ける
3) 勇気をもって真実を見て、さらに勇気を持って石油の消費量を減らし、地球環境を守る
です。

 このうち、私は石油が枯渇してくることを心配していますので3)ですが、普通の人は1)です。でもせめて2)のほうが急激な変化を避けられますから、1)より良い選択と考えています。私は今すぐ、50%の削減へ向けての行動を取った方が良いと思います。そのためには、まず愛知万博を今から中止することです。それには勇気がいりますが、必要なことです。

 私が「地球温暖化をよく考えなければならない」というと、私が環境はどうでも良いのか!とお叱りを受けますが、温暖化防止になんの寄与もしない京都議定書や、森林が二酸化炭素を吸収するというような科学的に間違っていることをいって、環境をまもるとする方がもっと問題があります。

 環境は自然の叡智と誠実を求めます。現代の私たちはすっかり「利益」「自分」にとらわれて真実に対する誠実さを失っています。特に専門家やマスコミは立場もあって誠実を守ることができないので、私たちが代わりに誠実でなければならないでしょう。

以上