経済制裁と戦争

 最近、特定の国に対して日本の経済力を活かして経済的な制裁を加えるべきだという意見が強くなってきています。非常に感情的で微妙な問題ではあるけれど、日本の将来にとってとても大切なことなのでニュース解説として取り上げて少し勉強することにしました。

 ある国を「経済的に制裁する」ということの本当の意味を理解するのはとても難しいことですが、ここでは150年ほど前の中国でのできごとから話を始めることにします。今の日本にとってとても大切な事ですからできれば多くの人にこの文章を読んでもらいたいと念願します。

【中国とイギリス】

 1838年の春、当時の中国は満州国から南下して中国を支配した女真族が作った「清」の時代でした。世界の海を支配していたイギリス人が中国を相手に「アヘンの密貿易」で大きな富を得ていましたが、密貿易によって中国に持ち込まれるものがアヘンですから、それに手を焼いた清の道光帝が、なんとかこれを食い止めようとしていました。

その政策の一つに、全国から有能な人材を登用して、その人にこのやっかいな問題を解決させようとして、「林則徐」という人物を登用したのです。この林則徐が後に皇帝の信頼を受けてアヘンの禁止に乗り出し、歴史にその名を残すことになります。

林則徐の相手となる商人はイギリスを中心とするヨーロッパのアヘン船で、密貿易といえば密貿易ですが、実際は白昼、中国の港に船を寄港させ堂々とアヘンを売っていたのです。そこに林則徐が登場して、強力なアヘンの取り締まりを行ったのですから、当然、アヘンで利権を得ていた人々は一斉に反発します。

もともとアヘンは禁制品で密貿易なのだから抵抗する方がおかしいのですが、利権団体には利権団体の理屈があるのです。「せっかく、ボロもうけしているのになんだ!」と怒る、それが利権団体というモノです。

当時の世界は産業革命以来、蒸気機関や鉄で力をつけたヨーロッパ諸国のやり放題、軍事力を背景にしてアジア・アフリカの国に難癖をつけ、相手がそれに従わないと植民地にするという時代でした。林則徐とアヘン密売人との争いは、利権団体の運動で「イギリスの名誉」の問題にすり替わり、遂にアヘン密売人を防御するという目的でイギリス艦隊の出撃となります。

しかし、いくら当時のイギリス政府でも、「アヘンの密貿易を守る」というのはいかにも大義名分が立ちません。最初は気が向かなかったのですが、それでも結局、イギリス商人の利害を守るためにということで艦隊の派遣を決意しました。

今のアメリカにも勇気のある人がいるように、イギリスにも正義漢はいたのです。イギリス艦隊の派遣決定の直前、イギリス下院では青年代議士グラッドストーンが政府の批判演説を行っています。

「清国にはアヘン貿易を止めさせる権利がある。それなのになぜこの正当な清国の権利を踏みにじって、わが国の外務大臣はこの不正な貿易を援助したのか。これほど不正な、わが国の恥さらしになるような戦争はかつて聞いたこともない。

大英帝国の国旗は、かつては正義の味方、圧制の敵、民族の権利、公明正大な商業の為に戦ってきた。それなのに、今やあの醜悪なアヘン貿易を保護するために掲げられるのだ。国旗の名誉は汚された。もはや我々は大英帝国の国旗が扁翻と翻っているのを見ても、血湧き肉おどるような感激を覚えないだろう。」

力を背景に何でも思うとおりにしていた当時のイギリスにもグラッドストーンの様な正義の人もいたのですが、結局、イギリスは政府の決定通り遠征軍を極東に送ることになります。

アヘン戦争といわれ、醜悪な戦争の一つに数えられているこの戦争は約2年に及びました。そして、最後の決戦が1842年、4月から5月にかけて作浦と鎮江で行われたのです。作浦の戦いでは、イギリス軍の戦死9名に対して、清軍は女子供を含め、イギリス軍の埋葬者だけで1,000名を数えたと記録されています。

イギリス軍は好んで女性、子供の殺戮をしたわけではありませんが、戦いは圧倒的な火力を持つイギリス軍と貧弱な清軍とで、とても戦いと言えるものではなく、事実多くの女性子供が殺されたのです。今のアメリカとイラクの戦争と同じです。

さらに鎮江の戦いではイギリス軍の戦死者37人に対して、1,600人の清軍が死亡しました。まさに「戦争」と呼べるものではなく、圧倒的な火力を使っての中国人の虐殺と言っても良いかも知れません。

やがて8月には清は降伏し、正しいことをした清は「負けたから」という理由で、香港の割譲、戦費など2100万ドルの賠償をイギリスに支払うことになったのです。アヘンを売りつけようとして止められ、それではと軍隊を出し、力で押さえつけてお金を取る・・・勝てば官軍の時代とはまさにこのことです。

もう一度言いますが、他国にアヘンの貿易を迫り、アヘンの密輸を認めないと言って戦争を仕掛け、圧倒的な力で虐殺し、その上国土の一部を取り上げ、金まで取ったのですから、なんでイギリスが紳士の国なのでしょうか?

私はイギリスが嫌いです。イギリスは日英同盟の時に、ロシアのバルチック艦隊が北海から日本に向かったとき、散々嫌がらせをしてくれたので恩があるし、私はイギリス文学はこの上もなく好きなのですが、このアヘン戦争があるから。私は力で他人をねじ伏せる人は嫌いです。だからイギリスが嫌いです。

 この事件を長崎で知った吉田松陰がその驚きと、日本がこんな事になっては大変だ!と後に松下村塾を開塾し、日本がヨーロッパに占領されることを防いだ第一の功労者になったのもこの頃です。それから日本は日清戦争、日露戦争、朝鮮併合などを経て、やっとの思いで植民地になることから逃れることができました。

【ニッポンのがんばり】

 大正から昭和に入っても日本の緊張は続いていました。既に日本は力をつけて容易に植民地になるような状態では無かったのですが、そうはいってもアジア・アフリカのほとんどの国はヨーロッパやアメリカの植民地になって呻吟していました。気を緩めるわけにはいかなかったのです。

 力をつけた日本は中国へ進出し、中国の利権をイギリス、アメリカ、オランダと争うことになります。当時、中国は清の時代が終わり、民主的な政権ができつつありましたが、まだ「眠れる獅子」と言われたぐらい、列強からやられ放題でした。

 そこでもし日本が隣国として中国と親しくしておけば良かったのかも知れませんが、歴史はある慣性力で動き、日本も欧米列強と中国における利権を奪いあうことになります。そして、中国は隣国日本の直接支配を恐れてアメリカ・イギリスにその助けを求めたのです。

 ところで当時、日本は軍事的には強かったのですが、資源は小国で石油も鉄鉱石もありませんでした。鉄鉱石は70%を輸入、石油の輸入比率も95%だったのです。そこを日本を牽制しようとして、アメリカを中心として「経済制裁」をしてきたのです。もともと軍艦も大砲も鉄鉱石から石油や石炭を使って溶かして作るのですから、基礎的な力は無かったとも言えます。それに鉄製品を加工するための工作機械なども輸入が大半だったのです。

 外国から見れば日本は中国で勝手なことをしているように見えたでしょう。でも、日本の中では「日本は孤立している」「何とか生き延びなければならない」と緊張していたのです。さらにアメリカやイギリスは日本を痛めつける必要があり、1941年7月25日、イギリス、オランダと一緒に自国内の日本資産を凍結するという経済的封鎖に出ました。これにフランス、カナダ、ポルトガルが参加し、日本を経済的に包囲します。

 さらに8月1日、これもアメリカがイギリス、オランダと一緒に石油などの戦略物資の対日輸出禁止に出て、決定的な対立に発展するのです。何しろ日本で使う石油の95%が「経済封鎖を実施した国」から輸入していたのですから、日本は直ちにどこか外国に石油を取りに行かなければならなくなりました。つまり「死ぬか戦争するか」という状態に追い込まれたのです。

 ついに12月8日、日本海軍はハワイとマレー方面に展開して戦争を始めます。ともかく東南アジアの石油を獲得しなければ日本人が飢え死に、凍え死ぬと信じて戦いに打って出ました。「座して死ぬより戦う」と決意したのです。

 いま、日本人の多くが平和主義で戦争に反対です。でもこれまで使っていた石油が突然、使えなくなったらどうでしょうか?もともと石油というものがなく、従って暖房も、電気も自動車もなければそれはそれで何とかなるかも知れませんが、普通に石油を使っていたのに、ある日、突然なくなったら本当に困ります。

 日常生活でも困りますが、工場ではモーターが動かなくなり、原料が無くなりますし、田畑では耕耘機や肥料を使いますから、それもダメになり、食糧すら途絶えてしまいます。まさに石油が手に入らないと餓死することも覚悟しなければなりません。

 そこで日本軍は突撃をしました。我々の祖父や父は銃剣をもって敵を殺しに行ったのですが、他にどういう手段があるというのでしょうか?

【現代】

 冷静に考えれば、当時、アメリカと戦争して勝てるはずもないので、それまで苦労して開拓してきたとは言え、満州や中国から手を引けば、それはそれで何とかなったと思いますが、アメリカがその代わり中国に侵略するだけです。当時はともかく力のある国が力の無い国を支配するのが常識だった時代です。アメリカ自体もフィリピンを植民地にしていました。

 もう一つは人間の意地です。このような時、人間は「譲れない!」と頑張ってしまうのです。でも、結局、日本は戦争に負け、300万人の戦死という大きな犠牲を払いました。

 アメリカは経済封鎖で日本を死に追い詰め、日本軍はゼロ戦でハワイを奇襲してアメリカ軍をやっつけた。でも、「経済封鎖」と「戦争」とはどこが違うのでしょうか?

 経済封鎖で人を餓死・凍死させることは簡単です。鎖国が行われほとんどの貿易が無い時代には自給自足でしたが、近代国家はそうではありません。国民の生活に欠かせないものが途絶えたら、それは死を意味します。

 そして経済封鎖で最初に死ぬのは国民の内でも弱いものです。それは子ども、老人でしょう。目の前の家族、子どもが餓死するのを見るぐらいなら、いっそ、俺が戦争に行って死ぬ、と覚悟を決める親は多いのでは無いでしょうか?

 残酷さ、非人間性は「経済制裁」での「戦争」でも同じなのです。

 このように経済制裁はあたかも平和的な手段のように見えますが、「経済」という力を利用した暴力とも言えます。戦争でも「軍事力」を利用した暴力なのです。二つの国があり、お互いに「正しい」と言っているとするとどちらが正しいかは判らないのです。

 太平洋戦争の時には、アメリカは日本が間違っていると言い、日本は自分たちは仕方がないと言いました。現在、日本は北朝鮮が誤っていると言い、北朝鮮は仕方がないと言っています。それぞれ「自分が正しく、相手が間違っている」と言っているだけで、本当に正しいのがどちらかは決まっていません。

イラク戦争でもそうです。ブッシュはアメリカが正しいといい、フセインはイラクが正しいと言いました。そしてテロはイラクとは関係なく、大量破壊兵器もイラクにはありません。

 それでも力の強いアメリカの方が弱い方の国に爆撃をし、住民を殺し、政府を作り、フセインを裁判にかけます。すでに大量破壊兵器が無くてもイラクを占領しています。もしアメリカが「正義」を元にしていて「力」で占領していないのなら「すみません。大量破壊兵器はありませんでした、思い違いでした」といって撤退するでしょう。

著者は経済制裁は戦争と同じ行為と思っております。真綿で首を絞めるのも爆弾を落とすのも同じだろうと思います。人間には悔しいことがあります。我慢しても我慢できないことがあります。でも「平和」というのはそれを乗り越えて妥協する事を意味しています。

もし第二次世界大戦直前、あれほど苦労し、満州で多くの日本人の血が流れたことを過去の事として諦め、中国から撤退していたら太平洋戦争は起こらず、300万人の人の命は助かったでしょう。でも満州で流された血を強く意識するとその何万倍の無関係な人が死ぬのです。

 そして最後の次のことを考えてもらいたいと思います。

国を守る、国の名誉を守るのは大切なことです。でもそれは「国」全体の名誉というより日本人、一人一人が気高く誠実であることで獲得するものではないでしょうか?北朝鮮が暴力で「拉致」をしたことに対して、日本が経済という暴力で北朝鮮に圧力をかけたら、それは相手の土俵に乗るだけです。

中国でサッカーが行われて中国のファンが日本のチームに罵声を浴びせたことがありました。スポーツは政治とは切り離さなければなりませんが、北朝鮮のチームが日本で日本のチームと対戦するときに日本のファンがはるばる「敵国」に来た北朝鮮のチームを応援することを期待しています。

そして、哀しいのはいつも庶民。罪もない庶民が錯覚と指導者の意地の犠牲者になるのです。

おわり