― 若年層の事件 (2) ― 年金生活者 -


 長崎で起こった小学生の女子児童の殺人は社会に大きな波紋を投げかけています。小学校の5,6年の女子児童は男子より成長が早く、思春期に入ります。

 これまで家族と一体だったのに、家族から離れ友達が大切になるのもこの時期ですが、精神的な発達がアンバランスであることもあって、小学生高学年を担当する先生方の悩みの種です。

 女子は性別としての特徴としては優しく攻撃的ではありませんが、この時期の女子児童は友達に対して殺意を持つのも一つの成長期の特徴でもあります。

 この事件をキッカケとして社会は「命の大切さ」や「若者の教育」に関心が集まっています。小学生でなくても、女子高校生の援助交際、電車の中で平然とお化粧をする若い女性など、非行のほとんどが男子であった頃から見ると、女性の社会の顰蹙を買う行動が目立つのも確かです。

・ ・・この頃の若い者は・・・と嘆く毎日です。

 先日、ふとした用事で新幹線の「こだま」に乗ることがありました。普段は大都市と大都市の間を往復する「のぞみ」に乗っている私は久しぶりに「のんびりとした新幹線」とそれに接続するさらにのんびりした「在来の東海道線」に乗ったのです。

 最初に驚いたのは、私が座っている後ろ斜めの人・・・年配は70才の少し前ぐらいでしょうか、女性でした・・・が大きな声で携帯電話で話し始めたのです。

 相手はどうも家の人でもうすぐ目的地に着くということや、天候、そして目的地の宿についてもこんなに早くては何もすることがない、などということでしたが、それを5分程度、大きな声で話しているのです。

 「車内で電話しないでください」という放送があってもそれを無視して電話をするのは傍若無人の若い男性と思っていた私はビックリしました。

 しばらくして私は乗り換える為に、とある駅を降り、在来の東海道線のホームに行きました。時刻表をみると待ち合わせ時間が20分もあったので、私は「連絡が悪いな」などとブツブツ言いながらホームの待合い室に入りました。そこは20席ぐらいの大きさでしたが、すでに10人ほどの団体と2,3人の個人の人が座っていました。

 私はそこで2度目のイヤな思いをしたのです。年のころ65才を中心としたそのグループ、おそらくは年金生活者で平日の昼に在来の東海道線に乗ってどこかに遊びに行くのでしょう。これまで必死になって高度成長の日本を支えてくれた人ですから、尊敬しなければならないのですが、とてもそんな感じではありませんでした。

 20席ほどのその待合室の椅子、一杯に荷物を広げ、座ろうと入ってきた人がいるのに荷物を下ろそうとはしません。そればかりか、足を組み、大声で待合室の中で話しているのです。

 男性の老人は傍若無人に人の顔をジロジロ見て、大声で話します。ご婦人は聞くも耐えられない品の悪い話をしてはこれも大きな笑い声を連発します。

 どうにもなりません。その待合室はとても「公共の場」とは言えない雰囲気でした。

 そのうち、列車が到着し、私はようやく20分ほど静かな汽車の旅を楽しみましたが、その汽車から降りようとしてまたガッカリしました。

 ホームについてドアーが開くと、3人の、これは70才を超えていたと思いますが、老人が私が降りる前にドアーの前に立ちふさがり乗ろうとするのです。私は思わず「降りるのが先」といってその老人を睨み付けてしまいました。

 電車の中はまだ席は充分にあり、降りるのは私一人、なにも急いで乗る必要もないのです。時々、東京などで本当に「降りる人がさき」という事自体を知らないのではないか、と思う若者と衝突することがありますが、若者より腹が立つ物だとその時、知りました。

 その日は三隣亡か何かだったのでしょう。ホームを歩いて下の通路への階段を下り始めると、これは90才を超えているとも思われる一人のお婆さんが私の前をよろよろと下りていました。

私の後ろから女の人の罵声が飛びます。
「手すりっ!手すりにいきなさいっ!」

・・ここは家の中じゃない・・・公共の場所だ・・・と私はまた心の中でつぶやきながら、その怒号に首をすくめて足早にそのお婆さんの横を通り抜けました。

 昼の東海道線、それは傍若無人な年金生活者の天国のようです。お金はある、自信は強い、恥は捨てた、そして少しぼけている・・・公衆道徳を平気で捨てることができるあらゆる条件は揃っているのでしょう。

 そう言えば、その日の夜のホテルでも年金生活者の団体とエレベーターで一緒になり、それは口に出せないほどのイヤな思いをしました。狭いエレベーターに8人程度乗ったでしょうか、その中で「他人」がいるのに大声で卑猥なことを話し、私の周りで笑うのです。

なんで年金生活者はこんなに醜いのでしょうか?

私が一日に何度か接したこのお年寄りの人たちは、若い頃はきっと礼儀正しかったに相違ありません。そして、若い頃に社会の発展に全力を尽くした老人は退職して年金生活者となる・・・その人達を社会は尊敬しなければなりません。でも、尊敬するためには尊敬する人が尊敬に足りる態度をとって初めて尊敬できるのです。

 私は狭く混んでいる道路を体をぶつけるようにして歩いてくる若い人にいつもイヤな思いをします。大学の廊下でも学生が真ん中を歩いてくるとこちらがよけなければなりません。普段、そういう生活をしている私にとっては「最近の若者は・・」と言いたくなっていたのですが、この1日の旅行は新しい発見でした。

 「最近の老人は・・・」

 人間は年老いて体だけではなく心も醜くなるようです。そして「衣食足りて礼節を知る」という言葉もウソなのでしょう。

 それとも、日本は物質的に豊かになり、若者も礼を忘れ、それに対抗する為に老人も礼節を捨てたのかも知れません。私の感じでは若者の方が遠慮というものを知っているようです。

 年配者がこのような状態で、どうして日本の若者が正常になるでしょうか?年配者は年配者として社会で出来ることがあるのです。それは年金を使い放題つかって威張って暮らすことではありません。

わたし達の次世代はわたし達の作品でもあります。年配者が乱れ、中堅も乱れたら、若者は無軌道になり、そして児童の感性も狂うでしょう。