米兵 イラク捕虜を虐待

米CBSテレビは2004年4月28日、イラクに駐留する米軍兵士ががイラク人捕虜を虐待している写真を公開、同時に、アラブ世界のカタールの衛星テレビ、アル・ジャジーラなどにも伝えた。

 すでに世界的にも報道されているが、バグダッド郊外のアブグレイブ刑務所に収監されたイラク人捕虜に対して、米兵が裸にし、人間のピラミッドにさせたり、性的な嫌がらせをした。また裸にされて上体に電線をまかれて脅されているイラク人もいたという。

もちろん戦争捕虜の虐待は1949年のジュネーブ条約で禁止されている。しかし歴史的に見ると殺し合いを目的とする戦争ではこのようなことがあるのは普通のことで、この事件だけを取り合えるのも適当ではない。事実は事実だから報道はしなければならないが、戦争においては殺し合いが憎しみを生むので、どうしても「仕返し」的な行動が起る。

このようなことをなくすにはどうしたらよいか?

当然であるが戦争が問題であり、戦争をしていて部分的な正当性を求めることに無理がある。もともと戦争とは人殺しであり、武器は人を殺すために持っている。たとえば、日本の自衛隊は復興支援に安全な場所に行くということになっているが、自衛隊の派遣の当否は別にして、武器を携帯しているのだから人を殺す意志はあると見られて当然でもある。

戦争に関してはあまり深く考えてはいけないという面がある。誤魔化されて本筋を失うからである。戦争というのを歴史的に簡単に考えてみる。

もともと、戦争は「自分たちだけでも少しよい環境で生活をしたい」と願うところから来ている。つまり「自分のものは自分のもの、他人のものは自分のもの」という理屈である。だから自分の国からでて他国を攻める。歴史的にも戦争はいつもそうだった。

現代の世界ではほとんどがアメリカが戦争の「火種」を作っている。

今回のように、「テロがあったのでアメリカが反撃にでなければいけない」というのは方便で、アメリカがテロに狙われたのは、アメリカが軍隊を外国に出し、他国の軍事を補助するからであって、アメリカが軍事から手を引けばだれもアメリカを狙わない。狙っても意味がなくなる。

アメリカはなぜ外国に軍隊を出すのだろうか?なぜ、「世界の警察」になりたいのだろうか?もちろん、道徳でもお節介でもない。自分たちの得を考えてのことである。それではアメリカの得とは何だろうか?

【戦争をすることによるアメリカの得】

1. 基軸通貨としてのドルを守る
2. 世界中の石油を確保する

が主たる目的である。アメリカが常に軍隊を自分の国の外に出しているのは基軸通貨を守りたいからで、アメリカで印刷するドルが基軸通貨である限り、アメリカ人は働かなくても豊かな生活ができる。

 「基軸通貨」というのは難しい用語だが、簡単に言うと、「自分がお金が欲しければ印刷すれば良いという権利」と言っても良い。これを個人に当てはめたら簡単に理解できる。どこかの遊びに行こうと思っても手元にお金がない。その時、なければプリンターでお金を印刷すれば良いならこんなに楽なことはない。それがアメリカである。

 だからアメリカは毎年、巨額な赤字を出しているが問題はない。それだけよけいにドルを印刷すれば良いが、その代わり、基軸通貨という地位を守るために世界を監視し、テロも狙う。

 イラクを攻めた理由が石油であることはよく知られている。大量破壊兵器が見つからなくても駐留し、戦後の利権を求めているのもそれが理由である。アメリカ大陸には石油が豊富だが、アメリカは自国の石油は掘らない。「自分のものは自分のもの、他人のものは自分のもの」である。

このような考え方は「人類共通」とも言えない。凶暴なのはヨーロッパ、アメリカを中心とした民族であり、アジアやアフリカの民族は好戦的ではない。その証拠に、19世紀から20世紀前半の世界地図を見るとよく分かる。





 驚くべき状態である。欧米の僅かに10カ国にも満たない国が世界のほとんどの国を植民地にした。「攻撃されない独立国」といえば新大陸のアメリカとカナダ、昔からヨーロッパと同じ文化圏にあった東ヨーロッパとロシアであった。

攻撃をかわして独立した国は、風土病が恐れられたエチオピア、英仏の間で外交で交わしたシャム、そして吉田松陰と勝海舟がいたために助かった日本の、世界でわずか3カ国である。

植民地と戦争がどのように関係があるのか?

戦争は「自分だけが良ければ良い」という考えのもとで始る。「あの国にいいものがある」(アメリカは石油を持っているが、さらに安全にしたいのでイラクの石油を狙う類)、「あの国から富を収奪しよう」ということが戦争のはじまりになる。だから、植民地化するという概念は「暴力で他人を支配する」ことに他ならないのである。

なぜ、ヨーロッパやアメリカはこれほど他人の富が欲しいのだろうか?第一の理由は、彼らは白人男性しか人間とは思っていないことであり、第二に理屈さえ通れば事実を見ないという特異な性質を持っているからである。

ヨーロッパ人の辞書には謙虚という言葉はない。自然は征服するものであり、他国民は収奪するものである。これは私の意見ではない。歴史がそれを証明している。ヨーロッパの知性、哲学者カントは理性の働きを重視し、慎重だった。

でもカントはヨーロッパの矛盾を代表している。それは「言うこととやることが全く正反対」であるからである。泥棒が「盗むな」と人を説得することはできない。ヨーロッパ人は広大なアジア、アフリカ、そしてアメリカ大陸を占領し植民地にし、それを収奪しつつ、コーヒーを飲み、音楽を楽しんでいたに過ぎない。

富のもとでしか学術や芸術はそだたないというのは錯覚である。日本の良寛は6畳のあずま屋で高貴な魂をもって生涯を終わった。広大な植民地、残虐な行為、高邁な思想、ヨーロッパ人種は生来、二重人格であり、そのような人格から生まれた思想を日本に輸入するのは考えものである。

ましてブッシュの後をついて行ってはろくな事はない。