三菱のトラックと鳥インフルエンザ



 今日、2004年4月6日のニュースで、三菱自動車がハブの欠陥を知りながら隠していたと伝えられた。

 今から2年ほど前の2002年1月、横浜市瀬谷区で大型トラックの前輪が脱輪し、タイヤがそばを歩いていた親子3人に直撃、母親が死亡、幼児2人が怪我を負った。その直後、三菱自動車が車輪を取り付けている「ハブ」と呼ばれる部品の点検を無償ですると発表。だたし、この事故は運転手が整備不良で運転したためと発表した。

 細かいいきさつはあるが、三菱の発表はおおむね「ウソ」だった。三菱が製造したトラックの車輪脱落事故はすでに1992年から頻発し、56件も起きており、内部の検討ではハブの設計ミスだったことが判っていた。

 三菱自動車については、このような車の設計ミスによって死に至るか、もしくはその寸前の事故を起こす。人間のやることだから、失敗をすることもあるが、三菱は隠す。走行中のトラックの動力伝達系が破損した事故があり、購入して3ヶ月の新車が名神高速道路で急停車した。幸い、事故にはならなかったが、三菱は車の修理はしたものの、説明はしていない。

 三菱自動車関係の「ウソ」の大きいものはパジェロであろう。

 2000年6月20日、熊本県熊本市内の国道3号線を走行していた三菱パジェロが交差点で信号待ちしていた車に追突、追突された側の2人が首などに軽い怪我を負った事故が起こった。事故を起こした主婦は「ブレーキが利かなかった。」と話していたが、主婦がブレーキをしっかり踏まなかったと思われていた。

 2000年6月中旬、運輸省自動車交通局のユーザー業務室に一本の匿名電話が入り、「三菱自動車では運輸省の検査の際に見せていない書類がある。本社のロッカー室を探してみればいい。」という。ユーザー業務室はこの情報を信憑性の高い内部告発だと判断し、7月5日東京都港区の三菱自動車本社などに対して立ち入り検査をおこなった。通報通り、クレーム処理を担当する「品質保証部」がある8階のロッカー室で定例検査では報告がなかったクレーム報告書が見つかり、三菱自動車側はクレーム書類隠しの事実を認めた。

 7月18日には「三菱自動車に何十件にも及ぶクレーム隠しが行われた疑いがある。」との報道が行われたが、河添克彦社長は7月の記者会見で開口一番「人身事故に至ったケースはない」と発言した。実際には、クレーム隠しが行われたのは14件69万台で多くの人身事故があり、熊本で事故を起したパジェロもブレーキホース液漏れのおそれがあった1464台の一台である。また大形トラックにも多くの欠陥があり、3万8856台が電気配線の被膜損傷によるエンジン停止が予想された。

 このパジェロの事故も、今回のトラックの車輪脱輪も、三菱自動車の「ウソ」というのは一定の原則があり、それは「他人に責任を負わせる」ということである。熊本の時には主婦が被害を受けた。片方は三菱という大ブランドを背負った会社で、車については専門家である。それに対して主婦は一般に運転が下手と思う人が多い。そこを巧みについたウソであった。

 主婦は後に、大変、悔しかったと言っているが、そうだろう。人間というのは自分が悪いことをしたら、多少、悪口を言われても仕方ないと思う。でも身に覚えのないことを言われるほど悔しいことはない。それも「周囲の状況から、周りの人が思いがち」ということを狙ってくると、悔しさも倍増する。

 「主婦だから、ブレーキを良く踏まなかったんだ。金でも欲しかったんじゃないのか。」と陰口を叩かれる。これまでそう言う「ウソ」でずいぶん多くの人が苦しんだだろう。それが今度は大型トラックの運転手だ。とかくトラックというと整備が悪く、道路を我が物顔に走っているという印象がある。誰でも一回か二回はそういうトラックに被害を受けている。

 そこで三菱は「整備が悪かった」という「ウソ」を考えついた。もし少しの良心があり、トラックの運転手は三菱のお客さんだということが判っていれば、せめて「原因を調査中です」「原因はともかくご迷惑をおかけしました」というコメントを出しただろう。

 三菱のコメントには人間の心がない。これは推測だが、事故が生じると「危機管理マニュアル」などがあり、法律的な防御をするようになっているのではないだろうか?現代の日本の法律制度は欧米のものをそのまま持ってきて、「大岡越前」やその他の日本の伝統的な裁きの価値を認めていない。

 「罪を認めてはいけない。まず、無罪を主張しなさい。」などと言われるし、なにか事故があると会社側のコメントは「正式なご連絡を受けていないので、コメントは控えさせて頂きます。」という紋切り型のものが多い。これは、欧米流の程度の低い法律論であり、日本の古来からの魂のある答えではない。

 もし、三菱に「侍」はいなくても「日本人」がいれば、「すまぬ。責任は私にある。腹を切って・・・」ということまでは社会も要求しなだろうが、せめて「誠」が感じられる仕事をして欲しい。

 ところで、今回の件で三菱をいくらでも非難することができる。でも、三菱という日本が誇るべきブランドがこのように惨めになった原因は、三菱の重役や社員ばかりの責任ではない。現代の日本は「目の前のことを否定し」「さほど悪くないことをした人をリンチし」「一市民の離婚を報じて「国民の知る権利」という」というように「何でもあり」の社会になってしまったのである。

 その極端な例が最近の京都の浅田農場の鳥インフルエンザ事件である。まだ捜査中で全容は明確ではないが、次のことだけは確かである。

1. 家畜伝染病予防法関係の法律では、最高刑が懲役3年である。
2. 日本は法治国家である。
3. 鳥インフルエンザで死んだ人もいないし、ウィルスに感染した人もいない。
4. でも浅田農場の会長夫婦はリンチにあって自殺した。
5. リンチしたのは日本社会である。
6. 日本社会は三菱を非難できるか?

 その昔、イエス・キリストは罪深い女を処罰しようとしている群衆にこういったと伝えられている。
「自分に罪がない人は、この女に石を投げなさい。」
 そして誰も女に石を投げることは出来なかった。

 ウソをついていない人だけが三菱を非難できる。私もできない。