― 学費問題 その3:日本の大学生 ―

 日本の大学の学費と、学費に関係する日本の大学生の話を少し深く考えてみたい。考える基礎となる事実認識は次の通り。

1) 世界の多くの国の青年(男性)は18歳から25歳の間に1年半から2年の兵役があるが、日本の青年は兵役が無い。(兵役が無いことは良いことだが、無いのは世界的には特殊である。)

2) 日本のように18歳になっても親の扶養を受けることは世界では一般的ではない。(アメリカやヨーロッパ文化圏は18歳になると原則的に、独立採算になる。親は子供の扶養をしない。従って学費も生活費も自分で出している学生がアメリカでは70~80%と言われる。)

3) 日本の大学生ほど勉強しない学生は世界でも希である。(学生の勉学意欲の問題もあるが、医学部を除き大学の成績評価システム自体が勉強しなくても良いようになっている。)

4) 日本の大学生は成績が悪くても落第しない。(文部科学省の定員管理が厳しく、大学は学生を落第させられない。アメリカの少しレベルの低い大学では、4年で卒業する人は10%。5年で30%というところである。)

5) 日本の大学生ほど、「学生らしい服装」をしていない学生は世界では珍しい。(世界の標準は、Gパンにこざっぱりとしたシャツというスタイルだが、日本の学生は汚いTシャツにだぶだぶズボン、それにサンダルという出で立ちである)

6) 日本では入社試験や大学を卒業してからの社会で、大学で得た専門知識を厳しく問われることは少ない。(大学卒業者に対する会社の入社試験の案内には「高等学校程度の学力を問う」とあり、大学における専門はあまり問われない。)

7) アメリカ、ヨーロッパ、中国の学生は「大学を出たらできれば自分で事業をしたい」と希望しているが、日本の学生の大半は「できれば大会社か官庁に勤めたい」と思っている。

8) 先回、先々回に示したように、日本の高等教育の国家投資も奨学金も、先進国の中では低い。従って、アメリカ、ヨーロッパの中では、学生の負担は大きい。

 日本人は他の民族とかなり考え方も普段の行動も違い、世界から見ると「特殊」という部類に入る。その典型的なものが「家」である。

 すでに日本も法律的には「家」という存在はなくなり、20歳を過ぎると親とは独立した人間として行動しなければならない。でも、事実は日本人の多くは「結婚まで」「大学卒業まで」は親の扶養を受ける。

 子供にとって親はうっとうしいけれどメリットもあり、そこにドップリと浸かる。そして、現代の学生の親孝行は相当なもので、ほとんどの学生が心の中で「親に恩を返さなければ」と思っている。これは素晴らしいことでもある。

 でも、現代民法の思想から言えば、20歳を過ぎて本来なら親に世話になること自体、おかしいのだが、それはそれとして納得している。「すまないとは思っているが、学生の時代は・・」と甘えさせて貰っているというところだ。

 つまり日本の学生は、時間という意味では兵役が無く、お金という意味では親が出すという2重の特殊性を持っている。

 そこで、次の事実を踏まえて、もう一度、「日本の大学生が払う学費は高いか?」を考えてみる。

1) アメリカの学生は、自分で生活費と学費を払う。学費も安いし(40万円)、奨学金も高いので(70万円)、一見して楽だが、生活費(120万円)を払う。差し引き、アメリカの学生は年間90万円をアルバイトで稼がなければならない。お金が続かなくなったら1年休学して稼ぎ、また復学する。

2) 日本の学生は、学費も生活費も親が出す。学費は高いし(100万円)、奨学金も安い(20万円)。だから、一見して苦しいが、生活費(120万円)を払っていない。差し引き、日本の学生は年間支払いゼロ円。親は200万円ということになる。もちろん、大学生の中には親からの仕送りが不十分で自分でアルバイトをしている学生もいるが、生活費や学費のためにアルバイトをしている学生は少数だ。

3) 日本の学生は、兵役が無く勉強量が少ない。アメリカの学生よりデューティーが2つ少ない。日本の学生は勉強量が少ない上に、授業中にアルバイトに行く学生がいる。国立大学の授業中にアルバイトに行くということは、授業には高い税金が使われているので、その時間にアルバイトをするとお金の2重取りのような気がする。

4) もし、学費を下げるというならば、教育の質を下げるか、税金で賄うかだが、国はお金を持っているわけではないので、税金で賄うということは「隣の人に自分の学費を出して貰う」ということである。

 もともと、国立大学というのがなぜあるのか?と考えることがある。私立大学なら120万円、国立大学なら80万円。この差の40万円は税金だから、国民全体が負担する。なぜ、大学に関係ない人も学生のために払わなければならないのか?これを国立大学の学生に聞くと2つの種類の返事が返ってくる。

 一つは、「オレは優秀だからお金を貰っても当然だ。だって、イチローだって人よりお金を多く貰っている。この世では、能力がある人は多く貰っている」という答えである。

 もう一つも同じような内容だが、「オレは優秀だから、社会に出たら社会により多く貢献する。だから国民はそれに期待してオレの学費を払ってくれる」というものである。

 前者が「現代風」、後者が「明治風」というところだ。

 でも、イチローの契約金は球場に来て野球を楽しんだ人から出ているが、大学へ出す税金は大学とは無縁な人からも取る。それを大学生が受け取るのだから、税金を払う方は異論があるだろう。

 また国立大学を出た優れた人が身を捨てて社会のために役立っているかというと、学生時代は税金で勉学させてもらったのに、社会に出てその分を社会に戻すという行動をする人は少ない。日本は「お礼のために大学に寄付する人」も極端に少ない。

 このような現状を考えると、学費問題について私は次のように思う。

 「日本の文化を尊重して、大学時代は親に出して貰う代わりに、その恩を忘れずに卒業したら親に孝行する。そして、国立に入れば同じ教育を安く受けられるということにしておいた方が勉強するファイトも出るので人間らしくて良い。」。つまり現状主義である。

 学費は現状で良い。学費を親が出していること、大学への進学率が約半分であること、すでに国立大学などがあり、大学教育にかなりのお金を出していること、そして日本の学生は「休講」を喜ぶように勉学の意欲が低いことなどがその理由である。

 また、日本の平均所得から言えば、大学の学費は決して高くはない。学生は親の苦労に報いるように遊ばず、勉強に励んで欲しい。兵役が無いということは素晴らしいことなのだから、それを前向きに使いたい。そして何よりも大学時代は勉学にいそしむことだろう。

 かつて「税金」はお上から降ってくると錯覚していた時代があった。でも現代は「税金を貰う」というのは「関係ない隣の人の給料の一部を貰う」ということである。だから、学生団体ももう少し深く考え、単に表面的な学費の比較ではないポスターを出すと良い。