40年目の追撃


 スペリオル湖はアメリカとカナダの国境に並ぶ5大湖の1つ。ニューヨークに近いエリー湖など他の湖と違ってもっとも西側で緯度的も北である。アメリカ北部のミネソタ州、ウィスコンシン州などに接しているこの辺りの気候の厳しさは、想像もできない。冬ともなると気温が下がり、とくに夜にはピューピューと吹きすさむ激しい風の音が外から聞こえてくる。丸太でできたがっしりとした家が、あまりに冷たく激しい風に僅かに悲鳴を上げるように軋む。そんな夜は人間は外を歩くこともできない。

 良く耳を澄ますと、風の音の他にザーザーという奇妙な音が聞こえる。動物さえ外には出られないようなそんな寒い中をなにかがうごめいているようである。その音はあるときは遠ざかり、ある時は近づいてくる。そんなときに目の前の暖炉の火がわずかでも消えかかったりすると、背筋が寒くなる。家族はひっそり身を寄せて暖炉の火を見ている。1人暮らしでは耐えられない。

 奇妙なその音はあまりの寒さと強い風でついに力つきた樹木が、倒れて凍りついたまま凍てついた草原を転がる音である。そういえばゴロンゴロンと言う小さな樹木が転がる音も混じっている。それが激しい風の音に混ざってこの地方の冬の夜はさらに不気味になる。

 そんな極寒の地でも、夏になると快適な生活が訪れる。スペリオル湖の氷もやっと溶け、冬の風に負けずに生き残った木々は緑の芽を吹く。湖の北のカナダには多くのオオシカが生息していて、のんびりと湖の畔に憩いを求めてやってくる。湖畔でシカが長閑に水を飲んでいる様は一見、穏やかに見えるが、シカを追ってオオカミの一群も湖を遠巻きにしている。時には狙いをつけられたシカたちの何頭かがたちまちオオカミの餌食となる。

 1908年はオオカミの活動が特に活発な年であった。多くのシカがオオカミに襲われ、スペリオル湖の湖畔に無惨な死骸を晒していた。そして、その年、繰り返されるオオカミの攻撃に耐えられなくなった数匹のシカが、追われるようにして湖の中へと泳ぎだした。湖の向こう岸は見えない。それでもシカたちは行き先もない逃避行を始める。とにかく岸にいたらシカの一家は全滅なのだ。

 スペリオル湖には岸から22キロも離れたこところに"ロイヤル島"という島がある。このシカの一団は幸運にもこのロイヤル島に泳ぎ着いた。

 運が良いと言えば、さらに良いことがあった。このシカの一団がロイヤル島に泳ぎ着くまで、この島には大きな動物が泳いで渡たることはなかった。オオカミの追撃の恐怖におびえ、22キロの水泳の果てにヘトヘトになって上陸したロイヤル島にもし、強力な動物が生息していたら、全滅していただろう。だが、ロイヤル島は天国のようだった。樹木は生い茂り、鳥がさえずり、岸辺にはスペリオル湖のさざ波が心地よく打ち寄せている。もうオオカミに襲われる心配がない。

 こうして移り住んだシカの一団に幸福な日々が訪れ、健やかな成長、若いシカ同士の恋愛、そして安定した家庭生活・・・移り住んでから7年目には22頭のシカは200頭まで増えた。温暖な気候と天敵のいないこの世の天国がさらに7年続き、群れは3,000頭あまりになっていた。 

 翌年は少し気候が不順であった。それでも肥えて栄養十分のお母さんはまた新しい家族を生んだ。何となく草原の草が少なくなり、元気のいいシカの若者たちは、味の落ちた草原の草を嫌がり、生い茂った樹木の若芽をむさぼりはじめる。嵐の予兆はわずかな雲の動きから来る。はじめは輝く雲であり、心地より一陣の風の時もある。でも、すでにその中に次のすさまじい破壊の予感が漂ってくるのだ。

 悲劇は次の年から始まった。

 草原の草は目に見えて無くなり、木の若芽を背の届くところに見つけるのは困難となった。年老いたシカは気力を失い、この年に何頭かが死んだ。次の年には草原にはもう食べることができるような草は無くなり、頼みの綱であった木の葉も、皮までも丸坊主になっていた。草原の草が少なくなり、樹木の若芽を食べ尽す。いったん、そのようになると翌年にはさらに悪い状態になるのだ。

 2,000頭あまりのシカがそれから7年のうちに餓死した。やせ細った体を晒したシカの死骸がロイヤル島を覆い尽くす。シカのような大型の動物の死骸が、この小さいロイヤル島に横たわる姿はすさまじい。アフリカのサバンナのように死肉を漁るハイエナやハゲワシもいないロイヤル島、屍を隠す谷も茂みもないこの島で、自らの死骸を晒した動物は仲間の前で徐々に朽ち果てていくのを待つしかない。数年前、若いシカの鋭い声が響き、子供のはしゃぐ声が聞こえた、あの幸福だった頃を思い出すことすらできないほどの無惨な光景と変わったのである。

 記録によると1930年代から1940年代にはロイヤル島のシカの数は800頭とされている。3匹に2匹のシカが死に、残った800頭も昔の面影をすっかり失い、やせ細った体をのろのろと動かし、やっとの思いで草にありついているのである。それでも、ギリギリの食料の中でそれでも何とか生きながらえていた。

 1948年からアメリカの北部とカナダの南部は大寒波が襲ってきた。この寒波はその後,9年間も続く。ただでさえやっとの思いで生きていたロイヤル島のシカに厳しい冬の風が襲う。樹木でさえその冷気に耐えられずに力つきて倒れ、強い風でビュービューと樹木が転がったあの風。それが弱ったシカの群を容赦なく襲う。湖はカチンカチンに凍り付き、水を飲むことすらままならない。シカの一群はお互いにやせ細った身を寄せて、ただひたすら風のやむのを待つしかなかった。

 寒波の7年目、1954年のことであった。この年もスペリアル湖はビッシリと氷が張り、その氷の上を吹雪混じりの風が吹き抜けている。疲れ切ってぼんやりと湖の方をみていた1匹のシカが突然起きあがると鋭い鳴き声を上げた。頭を上げただけでも頭中の毛が逆立つような強風の中、数頭のオオシカが叫び声につられるように湖の方に頭を向け、そしてパニックが始まった。湖の方に黒くシミのような斑点が見え、それが吹雪の中で徐々にはっきりと見えてくる。紛れもなく・・・・オオカミなのだ!

 実は、寒波で苦しんでいたのはロイヤル島のシカだけではなかった。毎年、毎年、厳しい寒さが続き、それが7年目にも入ると、大陸でも草食動物の姿がめっきり減り、そのため狩猟ができなくなったオオカミも極端な飢えに苦しんだのである。そして、40年前、オオシカの一団がオオカミに襲われるのに耐えられずにロイヤル島に渡ってきたように、今度はオオカミが飢えに苦しんで氷を踏んで渡ってきたのだ。

 まさに"40年目の追撃"であった。

 このときロイヤル島に渡ったオオカミは16頭と記録されている。40年前この島に渡ったオオシカが食べ放題の草にありついたのと同じ環境がオオカミに与えられた。すでに飢えて横たわり、動きもままならないオオシカが、逃げることもできない島にまだ800頭も残っていた。オオシカは逃げることもできないままオオカミの餌食になっていった。

 氷の湖を渡ってきたこの幸運なオオカミの一群がロイヤル島に住みついたのは言うまでもない。シカはいつでもいとも容易く捕らえることができたし、その上、島にはオオカミ以外の肉食動物はいないので争う必要もなかった。オオカミは徐々にその数を増やし、3年後にはオオカミは20頭になり、その代わりに、オオシカは200頭も減り、600頭となった。3年間でオオカミ1頭増えるごとに50頭のシカが減った計算になるので、このまま放置していてはロイヤル島のオオシカも絶滅も時間の問題と見られた。

 ロイヤル島のオオカミを退治しなければいけない!そうしないとあの可愛いシカの子供は1匹残らず食べられてしまうのは時間の問題だ。政治家はなにをしているのか!世論は沸き立った。類似の環境問題がすでにロッキーの方でも起こっていた。ピューマが増え、シカを食い荒らし始めたのだ。人気の落ち始めていた大統領は可愛いシカを守ることで失地回復を狙い、大々的な宣伝を伴って狩猟隊を編成してピューマ退治に乗り出していた。

 一方、ロイヤル島のこの悲惨な劇をつぶさに観測していた生態学者達はある別の兆候のあることに気付いていた。1933年にも見られたあの僅かな兆候・・・3,000頭の栄養十分のシカのうちの何頭かがお腹を空かして木の若芽を食べ始めたあのときと全く違う現象だった。それはオオカミがオオシカの狩りを「控える」ようになったのだった。そして、1958年、それまで毎年増え続けていたオオカミが20頭のまま増えず、翌年もオオカミの数は増えない。その次の年もまた・・・

 今になってみると、その年を最後にオオカミは数を増やさなくなった。オオシカの方と言えば、年老いたシカや病弱なシカはオオカミに食べられて全滅した。しかし、残った600頭シカは元気を取り戻していった。ロイヤル島にそんな兆候が見られていた頃、大陸の記録的な寒波も収まり、ようやく暖かい気候が戻ってきた。温暖な気候はロイヤル島にも等しくおよび、ロイヤル島には再び豊かな草原がよみがえり、木の若芽は十分に回復する期間を与えられた。

 以来、2度とロイヤル島には悲劇は訪れていない。

 ロイヤル島は四方を湖に囲まれ、太陽の光を浴びて育った草を草食動物が食べる。そしてその草食動物を肉食動物が捕らえる。このような"閉じた"世界では、生命を維持する生物同士はお互いに依存し、命を循環する。ロイヤル島では降り注ぐ太陽の光で年間2,900トンの草木が育つ。光のエネルギーを吸収し、光合成をして毎日の自分たちの代謝活動を維持し、その残りが2,900㌧という訳である。そしてその草木を栄養源にして生きるオオシカが4.5㌧、さらにそのオオシカを餌にして生活するオオカミが0.8㌧という内訳になる。このような関係を食物連鎖といい、オオカミを頂点としてピラミッドの形になるので栄養ピラミッドと呼ばれることもある。生物界が太陽エネルギーの有効利用を進めるように自然淘汰をしてきたかどうかは定かではないが、栄養ピラミッドを見ていると一定の太陽エネルギーのもとで、可能な限り多様な命を作り出そうとするのがDNAであると感じられる。

 ところで、ロイヤル島にオオシカだけが棲息しているとき、オオシカは「自分たちが食糧とする草木の成長」とは無関係に、目の前に草木があれば食べる、そして食べただけ繁殖するということを行動規範にしていたことがわかる。このような行動規範にそって生活をすれば、そのうち、資源は枯渇し餓死するのは当然のことである。事実、オオシカはロイヤル島の草を食べ尽くすまで繁殖し、そして餓死した。

 これに対して、オオカミは「食糧とするオオシカの量を計算しながら猟をする」と考えられる行動を取っている。オオカミがロイヤル島の栄養ピラミッドを知っており、この島のオオカミの限界重量が0.8㌧であることを知っていた訳ではない。しかし、オオカミが狩りを控えたことは間違いないのである。自然の不思議といえばそれまでであるが、きわめて不思議なことであり、それがこのロイヤル島という閉鎖的な空間で起こった現実でもある。このようなオオカミの生態はロイヤル島ばかりではなく中央アジアなどでも観測されている。

 中央アジアの草原では羊飼いが数十頭の羊を追う。そしてその回りにオオカミが狙いを定めて機会を伺っている。それでも羊飼いは心配もしていないようにのんびりと羊を追っている。実は、オオカミと羊飼いの間には暗黙の協定があって、オオカミは羊を食糧とするが、その代わり「元気な羊は襲わない」ということで羊飼いと妥協しているのである。オオカミはお腹が減ってくると羊の群れの中に伝染病にかかったり、病気で弱ったりしている羊はいないかと探し始める。そして羊飼いもわからないほど早期発見をしてその羊を捕らえて食べる。オオカミにとっては食糧の確保、羊飼いにとっては群れの健康を保つ為に必要なオオカミなのである。しかし、このような表現の方法は不適切だろう。オオカミは羊飼いと話したこともなく、協定や暗黙の了解などあろうはずはないのである。オオカミはオオカミの利害があって、羊飼いを襲わないこと、健康な羊の肉も病気の羊も同じ栄養になること、そして長い淘汰の中で、健康な羊を際限なく襲うとそのうちその種族が絶滅するので、そのような無謀なオオカミはすでに淘汰されていると考えるべきだろうからである。

 栄養ピラミッドの頂点に立つ動物がある地域の動植物の数の持続性を保つように行動することはよく知られている。その典型的な例がサバンナのライオンである。ライオンはサバンナの生物の頂点にいて、狩りはそれほど上手ではないが、それでも他の動物が真正面から戦っても勝てない。そのような動物が全力で狩りをして、子孫を増やすことに熱中したら、サバンナの「ライオン人口」は直ちに飽和に達し、ライオンの餌になる動物は枯渇するだろう。だから・・・ライオンが論理的に考えているのではなく、頂点に立ち、現代まで生き残っている動物は適切な性質を持っている・・・ライオンはいつもごろごろと寝ていて、お腹がすかないと狩りにでない。それもあまり余裕が無い状態で狩りをして狩りが数度、失敗すると飢えの危険性もある。

 それが自然の智慧であるが、それに対して人間は生物の頂点に立っているが、特に宗教革命以来、「一所懸命働く」ことが美徳という錯覚を生み、現在のような異常な繁殖を遂げている。

 ところで、力ということに注目してロイヤル島のことを見てみることにしよう。

 ロイヤル島の自然は、その樹木といい、オオシカといい、そしてオオカミすらも美しいが、冷静に見ると、そこは力が支配している世界である。オオシカは優しい動物であるが草を食べるのに、草の同意を得ている訳ではない。もちろんオオカミがオオシカを襲うのは力だ。だから、自然のなりわい、栄養ピラミッドというと表現は良いが、その実、力、それも暴力の支配する社会である。もし暴力団が悪い存在であり、他の生物を力でねじ伏せることが醜いことなら、ロイヤル島は何時になっても醜い島であることに代わりはない。このことを昔は「畜生の浅はかさ」といった。

 ところで世界で一番権力を持っているアメリカ大統領が関与したロッキーの方はどうなっただろうか?

 ピューマの狩猟隊が出動して可愛いシカを殺す憎っくきピューマを駆除した。シカは喜び、安心して草をはみ、そしてまた昔の元気を取り戻して繁殖していった。しかし、結果としておこったことはロイヤル島の際限となり、増えたシカは食糧不足のために大量に餓死したのである。シカが幸せに暮らすことができる条件は、シカの智慧でも人間の知恵でもなく、オオカミやピューマの智慧だった。