博多三姉弟
彼はブリブリしていた。昭和20年生まれ、産業界で活躍し、今は大切な仕事をしておられる。それでも人柄は優しく、謙虚で、控えめだ。その彼と沖縄のホテルのロビーでお会いしたら、珍しくブリブリしているのだ。
しばらくして、彼は憤懣やるかたないという顔をして私に言った。
「先生、酷いですね。日本の若者はいったいどうしてしまったのですかね」
と言った。どうも、那覇空港でイヤなことがあったらしい。
私は多くは聞かなかった。私も昨日、那覇空港を降り、十分に同じ気分に浸ってきたのである。ものすごい格好、近くに誰もいないと思っているかのごとき歩き方・・・すべては昔流に言えば「傍若無人」である。それに加えて観光地に来たという気の緩みもあるだろう、とても見ていられない。空港で働く人はさぞ毎日、イヤな思いをしているだろうが、当人達はまったくそんなことを気にしている風もない。
「教育に失敗しましたね」と私。
「マスコミですよ、マスコミ」と彼。
「日教組にも、我々、教員側にも問題はありますが」
「番組が全部、吉本じゃねー」
話はすれ違っていたが、ともかく彼は気分が悪いようだった。
「先輩や私たちが必死に働いて、今の繁栄した日本を築いても、その結果が傲慢無礼な若者を作ったとしたら、我々は何のために働いたのですかね」
と私も彼の気分が移ってため息をつく。豊かになればサボるのは動物の常だが、人間も同じなのだろう。お金があるのにサボって何が悪い、法律に違反しないのだから良いじゃないか、と言われると二の句が継げない。
私はその後、飛行機に乗って博多に着いた。次の仕事で頭がいっぱいになっていた私は沖縄のイヤな思い出をすっかり忘れて、講演をし、そして名古屋に帰るべく地下鉄に乗った。博多の地下鉄は最新設備が整い、地下でも携帯電話が通じる清潔な車内である。実に快適だ。
でも、私はそこで沖縄での彼を思い出す風景に出会ってしまった。
地下鉄に乗ってふと横を見ると、「優先席」に3人の子供が座っている。長女は中学2年生、次女小学校4年生、そして末の弟が小学校1年生だろうか、その3人が優先席に座っている。そしてその前に、小うるさそうな母親と公務員風の父親。年齢は45才と50才といったところだ。
車中はまだ座席が満杯ということでも無かったし、老人がいるということもない。でも、子供が3人、優先席を占領しているのはいささか驚くべき風景だった。
・・・博多っていうところはこんな所かな?
私は解釈に苦しんでいた。
しばらくして隅に座っていた長女が盛んに非常用か業務用の取っ手を開けようとしている。その前の父親はそれを見て黙っていた。次女は後ろを向いて優先席にはどういう人が座るかという張り紙をさすっている。新幹線まで彼らと一緒だった私はタップリと末の男の子のいたずらも見ることができた。彼らには公衆道徳という概念は無い。
サルは7時に朝食を与え、7時半に引き上げれば7時に起きる。与えた朝食をいつでも食べられると判ると、11時まで寝坊する。自分だけのことしか判らず、もちろん餌を出してくれる人の生活など想像もできない。それがサルである。人生計画も持っていない。
「教育は獣を人にする」と信じて教育に携わってきた。でも、豊かになり、教育程度が上がり、そして人格が下がるなら、教育とはいったい何をやっているのだろうか?人格教育がほぼ終わった人が来る大学には交通規制の看板が乱立し、学生は見苦しい格好で登校する。
そればかりではない・・・
私の気分も沖縄の彼のように憤懣やるかたなくなってきた。そう言えば、今、講演が終わって帰ってきた学会でも大学院生が発表していたが、発表が終わって質疑に入るとその大学院生は判らない質問が出ると質問をすり替えて答え、データを聞かれるとウソの返事をしていた。これも普段から大学で見られることである。
人間とはそういうものだ、と諦めたり、老人の繰り言、と冷やかしてもいけない。誇り高き日本人が次世代も、その次の世代も幸福に過ごすためには、我々は礼儀正しく、他人のことがわかるそういう存在でなければならない、と私はそう思った。
私は優先席の斜め前に立ち、よっぽど3人の子供の写真を撮ろうかと迷った。もし、写真を撮って親が「プライバシー」と言ったら、私も「公衆道徳」と言いたかった。
今回の旅の終わりはあまり良くなかった。
おわり