文字と戦争
4時に起きても、まだ北国の朝は暗くて寒い。雌阿寒岳からの冬の風は太陽が東から緩やかに顔を見せる時刻にならないとその鋭い勢いを弱めることはない。
今日はお婆さんの順番だった。アキが隣でジッと耳を立てて聞いている。毎日、こうして夜も明けない4時から3時間ほど、寝床の中でお爺さんとお婆さんから神様の話、昔の物語、そして生活の事を話して貰う。
アイヌには文字がない。だからすべての知恵は言葉で伝えられ、頭の中に残しておかなければならない。記憶できないような知識は捨てられ、忘れられる。だから、必要なこと、大切なことだけが残り、知識は選りすぐられる。
記憶力が無ければ生きていくことは難しい。
アイヌには見事なデザインで仕立てられた極彩色の衣服があり、断熱性に優れ住みやすいチセ(家屋)がある。狩猟生活を続ける彼らには獣やサケを採るための多くの仕掛けも用意されている。でも一般的な科学は発達しなかった。
科学はその最初の段階から「文字」を求める。哲学的な人間の知恵の伝達にも文字は欠かせなかったし、ましてピタゴラスの定理のように口では伝えにくい幾何学などは、文字や紙が無いとなかなか思うようには発展しない。
アイヌの人と話をすると、その科学的思考方法に驚く。実に論理的で科学的である。むしろ文字を持ち科学の力を使っている和人の方が情緒的である。その理由は比較的普遍的なものらしく、「考える相手」と常に対峙している狩猟民族の特徴だと言う。
ともかくアイヌには文字が無い。そして十分に論理的、科学的な頭脳を持っていても科学や技術は発達しなかった。このアイヌ文明はどうなっただろうか?
3つの大きな特徴がある。
1) 階級制が発達しなかった。
2) 戦争をしなかった。
3) 滅びそうになっている。
この3つは相互に関係している。「神に感謝すること、生きること、喜ぶこと」に力を注いだアイヌ文明は、階級制などはいらなかった。一時、和人との関係ができた時に乙名と呼ばれる酋長のようなものができたが、これは和人がアイヌを統率する時に、階級が無いと統率できないと考えたからである。
戦争は和人との間に3回あっただけで、アイヌ同士の戦闘は無かったと考えられる。これはアイヌ考古学から見ておそらく正しいと思う。
階級制が無く、戦争をしないので、「暴力」には弱い。だから明治維新以来、暴力に強い和人に攻められて先祖代々の土地を追われ、今、滅びる寸前にある。いつの間にかアイヌの土地が和人のものになっているのである。
韓国、北朝鮮との関係で1910年の日韓併合が問題になっている。確かに日本が朝鮮半島まで出かけていって大韓帝国を併合したのは間違いだったかも知れない。少し前に清と朝鮮を取り合い、ロシアと朝鮮を取り合ったからといっても併合してはいけなかっただろう。
1899年、明治政府は「北海道旧土人保護法」を定め、アイヌを日本の政治の仕組みの中に編入した。アイヌは暴力では反抗しなかったから、法律を作るだけで良かった。その後も、アイヌは継続的に「自分たちの土地は自分たちに」と訴えたが、暴力が正義と考える和人には相手にされなかった。裁判所は「法律があるから」と言った。後先が違う。
日韓併合の11年前である。
科学は暴力に形を変える。そしてもっとも「人間らしく」生活をしていたアイヌをその土地から追い出し、和人に無理矢理に同化させてきた。本当は心の隅で「すまない」と思っていても人間は目先の自分の利益を尊重する。
それには文字が必要で、科学が力になる。我々、科学者はそのための力になってしまうのか?
おわり