アイヌの伝統

 

 アイヌの文化を勉強したことは私に多くのものを教えてくれた。なんといっても印象的だったのは、アイヌには戦争が無く、殿様がいないことだった。

 和人(日本の人)との間のいざこざで3度の戦闘が起こっているが、私のような和人から見ても「こちらが無理矢理仕掛けた戦争」と言わざるを得ず、アイヌと普通におつきあいしていたら到底、起こらなかっただろう。

 第二には、酋長のような人はいるけれど、歴史的に殿様のような特権階級は無かったらしい。アイヌは文字を持たず、恒久的な建物も造らなかったのでハッキリとはわからないが、研究の第一人者である宇田川先生にお伺いしても否定はされなかった。

 谷元旦の著「蝦夷紀行附図」(北海道大学所蔵)の中に乙名と呼ばれた酋長の絵が載っているが、乙名というのは少し地位の高いアイヌの人のことを指している。でも、どちらかというと近世になって和人との関係で若干の階級ができたり、それを和人が利用したりして階級制ができたとも言えよう。

 多くの国が封建時代であった頃、特権階級を持たなかったというのは素晴らしいことで、戦争をせず、特権階級を作らなかったこのアイヌ文明は、どんなに考えても和人どころか、ヨーロッパ文明などと比較しても、もっとも優れた文明の一つだ。

 自然の中に生き、無事に生活をさせてくれる神様に感謝し、相和して生活するなら戦争も要らず、階級も必要がない。「自分のものは自分のもの、他人のものは他人のもの」という、ごく当たり前のことを守るだけで階級も戦争もいらないのである。

 アイヌの人は今でも、そんな伝統を重んじている。ある時、アイヌの人の家でお話をしていると、最近、体の調子が悪いので神様にお祈りしたい。ついては一緒に祈ってくれないかという事になった。そしてアイヌのしきたりにそってお祈りをした。

 その敬虔な雰囲気は今でも強く印象に残っている。しかしそれよりも、お祈りの最中にお酒を回すのだが、その時にご主人が「今、あなたの健康のために祈りました」と言われたのにはビックリした。体が不調なのはそのご主人であるのに、まず私の健康を祈ってくれたのだ!

 現代の私たちにはあり得ないこのことだけでも、アイヌ文化の一端を垣間見ることができる。そして「神に祈る」という伝統的行事が近代的な生活の中に活きているのを感じた。

 それから程なくして、私は若いアイヌの方と食事を共にした。その席で私が「アイヌの方は伝統的な生活を止めたのですか?」というような意味の質問をした。そうすると、その方は、「それはあなた方が日本刀を差して丁髷(ちょんまげ)を結っていないのと同じです」と言われて、これもビックリしたものである。

 確かにアイヌの伝統的生活は素晴らしい。でも、それを現代の社会でしようと思っても無理だろう。日本でも江戸時代の生活は素晴らしい。でも今では日本刀を差し、丁髷を結って町を歩くわけにはいかない。伝統的な生活が良いことと、それをそのまま現代の生活の中で実施するのには少し距離がある。

 アイヌの方にお会いすると、彼らは活かすべき伝統は活かし、近代生活の便利さは便利さで取り入れているように見える。もし日本人もそのような知恵があったら、環境問題も少しは緩和されるし、ギクシャクした株式会社の問題にしろ、靖国参拝にしろ、国民みんなで考えることができるのに・・・

おわり