ヨーロッパの倫理はおかしい


 日本の多くの大学の哲学科はヨーロッパ哲学を教える。それは当然のことで、世界を見渡すとヨーロッパ哲学はギリシャ時代以降、素晴らしい成果を上げてきた。私はソクラテスの記録を最初に読んだときに、あまりの素晴らしさにビックリしたことを良く覚えている。ソクラテス自身はなにも積極的に発言していないのに、対話が進むうちに真実が闇の中から出現してくるのだから。

 もちろん、古代ギリシャについで中世ヨーロッパも、近代も、そして現代哲学、倫理学に至まで、ヨーロッパ哲学は偉い。

 インドには四大文明以来の巨大な哲学体系があり、お釈迦様や多くの哲学者がいて、最近ではガンジー、タゴールがでた。中国にも黄帝、孔子、そして中世の禅学者までこれも哲学の宝庫である。その一人一人の記録や著作を読むと素晴らしい!ヨーロッパとは違う価値観や偉大さを感じる。でも客観的にはヨーロッパにはかなわない。ヨーロッパ哲学は連続性があり、体系的で深く、ともかく素晴らしい。

 でも、私はヨーロッパ近代哲学はダメだと思う。ましてその哲学を日本の大学で教えることにはあまり賛成できない。

 その【理由】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 哲学とは人間を対象とする学問であり、倫理は人間かくあるべしという考え方や行動規範を考える哲学の一部門である。だから、哲学や倫理学を専門とする人は自らが"哲学的"であり、"倫理学的"で無ければならない。それは機械工学の専門家が、橋を設計するときに、安く作れば儲かるからと言って落ちる橋を設計するとしたら、その機械工学の専門家は機械工学としては失格となるからであり、それと同じである。

 ヨーロッパは大航海時代以来、アジア・アフリカを植民地として栄え、その富で社会が繁栄した。それは15世紀からすでに500年も経過している。その間に、哲学をする時間もあり、それが磨かれたのである。もし、ヨーロッパが植民地の圧政を中止したら、植民地となって呻吟していた民族から本当はもっと優れた哲学者が出たかもしれない。ヨーロッパ哲学者や倫理学者はインドからもたらされる香料をかけて牛肉を食べ、ブラジルからもたらされるコーヒーを飲んでこの500年間、豊かで文化的な時を過ごした。そして、ヨーロッパ哲学や倫理学を読むかぎりにおいては、植民地からの収奪で飲食をしていることに対しての反省はない。

 だから、そこから出てくる智慧は本物だろうか?ヨーロッパ人の論理は精緻で尊敬すべきものだけれど、基本が間違っている。泥棒しながら泥棒が悪いと言うことはできるが、自分が泥棒を止められないのなら、それは正しい言動ではない。